FC2ブログ

気晴らし細論

2020年08月の記事

ついにテッポウエビになったジェイミー・フォックス


どうも、こんにちは。

本日はジェイミー・フォックスを取り上げたいと思います。

jamie.jpg

1967年生まれ52歳(2020年8月現在)のアメリカ人俳優です。私はわりと昔から映画が好きで、小学生の頃とか近所のレンタルビデオ屋に父とよく行ったりしたんですが、ジェイミー・フォックスのことはその頃から知ってた気がする。何の作品で知ったのかは思い出せないけど、とにかく昔から顔と名前を知ってる数少ないハリウッド俳優です。ただし、先ほどいろいろ調べていて初めて本名を知りました。

本名:エリック・マーロン・ビショップ

なんかすごく上流階級の香りがするね? ビショップってチェスの駒のイメージしかないんですけど、なんかすごく高尚じゃないですか? 将棋でいうところの角と同じ動きするやつ。かっこいいね?(浅い感想)

さて、黒人俳優枠ではウィル・スミスとか、マーベルファンにはサミュエル・L・ジャクソンとかのほうが一般の認知度は高いのかもしれませんが、私としてはジェイミー・フォックスのほうが馴染み深い。だって昔からいろんな作品で見かけるもんね。しかも役の振り幅が尋常じゃないもんね。パッと思いつく限りで列挙してみます。

Ray/レイ(2004)……ミュージシャン(レイ・チャールズ)
マイアミ・バイス(2006)……警官
ドリームガールズ(2006)……音楽プロデューサー
キングダム 見えざる敵(2007)……FBI捜査官
ホワイトハウス・ダウン(2013)……大統領
アメイジング・スパイダーマン2(2014)……テロリスト
ANNIE/アニー(2014)……NY市長候補
ベイビー・ドライバー(2017)……チンピラ
スリープレス・ナイト(2017)……警官
フッド:ザ・ビギニング(2018)……アラビア兵(弓矢の師匠)
黒い司法 0%からの奇跡(2019)……冤罪の死刑囚

基本装備は警官役、その合間を縫って大統領からチンピラまで手広くこなします。アカデミー賞受賞歴もある大御所でありながら汚れ役でも出演時間の短い端役でもなんでも厭わず引き受けるのはジェイミー・フォックスの他にはジュリアン・ムーアくらいですよ。働きすぎと違う? ってくらい働いている。1本出演すれば何十万ドル何百万ドル(もっとか?)と稼げるだろうに。

アメリカという国において黒人俳優が演じることのできる全てのキャラクターを網羅する勢いのジェイミー・フォックス。大統領を演じる一方で黒人差別が今以上にひどかった時代の庶民を演じたりもして、キャスティングに困ったらジェイミー・フォックス呼んどけ、みたいな制作サイドの心情を感じる。彼のギャラがいくらか知らんけど、呼べるなら呼んどけば絶対失敗はないもんな。

そんなジェイミー・フォックスはNetflixの新作『プロジェクト・パワー』(2020)にも出演しています。特殊部隊に所属していた元エリート軍人なのになぜか警察に追われている、また彼自身も誰かを追っているという役柄です。善人か悪人かは明言を避けますが、最終的にはテッポウエビになります。

あの、観ていただければわかるので。は? と思った方、私は事実を申し上げただけですので。

作品としては昔の映画のオマージュシーンが2つ3つあったり、メインキャストの女の子が即興ラップかましたり、かなりドープな仕上がりになっています。大御所俳優を使ってるわりにB級っぽいVFXの感じとかおもしろくて私は結構好きでした。どうしても気弱そうなイメージが抜けないジョセフ・ゴードン・レヴィットがヤンキー崩れの地元警官役で首の方まで無精髭生えてたのは意外な一面を見た。それもおもしろかった。



ジェイミー・フォックスは今度マイク・タイソンの伝記映画をやるらしい。52歳にしてボクサー役とは、またハードな仕事を引き受けるもんだ。

仕事に自信を失ってグラグラになった伊吹を志摩が奮い立たせる9話 『MIU404』


どうも、こんにちは。

前回、綾野剛についての記事を書きました。おかげさまで数年ぶりに自分の中で綾野剛フィーバーが起きて困っています。というわけで本日は前回も少々お話しした『MIU404』についてです。

綾野剛演じる伊吹と星野源演じる志摩のバディは性格が正反対な凸凹コンビだとか、いつも暴走しがちな狂犬伊吹の手綱を握る志摩だとか、そんな風に説明されてるのをよく目にするのですが、それについて物申したい。なお、あらすじから説明し始めたらとんでもなく長文になってしまうので、割愛させていただきます。本記事はドラマ視聴中の方向けです。

先日8月21日に放送された第9話が激アツだったわけなんですが、劇中で何度も繰り返された「間に合う」「間に合わない」「間に合った」「間に合わなかった」というフレーズは、全視聴者が注目したキーワードだったのではないでしょうか。前回の8話までで、伊吹も志摩も身近な人の暴走を止められなかった、助けられなかった、という似た経験をしました。もっと早く気づけたら、自分が何か行動を起こしていたら助けることができたかもしれないのに、と後悔してもしきれない深い傷を負いました。しかし両者にはそれを経験した時期の違いと、それによる9話時点での心境の違いがあります。

まず志摩の場合。6年前、捜査一課にいた志摩は相棒を亡くし、自分が彼を自殺に追い込んだのではないかと長年自責の念にかられていました。しかし伊吹のおかげで元相棒の死の真相が判明して、不慮の事故だったとわかりました。また、1話での伊吹の「機捜っていいよな。誰かが最悪の事態になる前に止められる」という言葉に感動したと話したり、機捜の仕事に希望を見出してかなり前向きになっています。

一方の伊吹はというと、先述した通り1話では機捜の仕事が楽しくて仕方ない様子でした。しかし8話では警察官を目指すきっかけを与えてくれた恩師が殺人を犯して逮捕されるという現実に直面します。尊敬し、目標としていた人が道を踏み外した。自分はそれを止められなかった。そのことに伊吹はショックを受けてグラグラになっています。仮にこのまま定年まで勤め上げたとして、救えた人の数より救えなかった人のほうが遥かに多いのではないか、と志摩に問いかけます。果たして次は間に合うのか、人が堕ちる前にその手を掴めるのか。

伊吹「止められるかな」
志摩「止められるよ」

伊吹「間に合うかな」
志摩「間に合う」

2人の会話から、伊吹が不安で揺れていることがわかります。そしてこの後2人とも「間に合う」とまるで自分たちに言い聞かせるように何度も唱え続けます。間に合わなかった時の絶望はもう味わいたくない。次は間に合うと信じたい。自分の仕事(機捜の仕事)に自信を失いかけてる伊吹を志摩が必死に奮い立たせる。似た経験をした者として。9話は終始そんな構図で動いています。

また、伊吹が仕事に自信をなくしていることは他の場面でも窺えます。闇社会の男に追われ、2年間身を隠す生活を続けているハムちゃんこと羽野麦(黒川智花)の「機捜のみんなが守ってる街だね」という言葉を聞いた時、伊吹から笑顔が消えました。

かつて相棒を事故で失ったことも、心の底から尊敬してた恩師が罪を犯したことも、確かにつらいことだけど結局は自分ではなく他人のことじゃないですか。でも仕事となると違う。仕事って毎日の生活に直結するものだし、警察官なんていうのは好きでなおかつ誇りを持ってないとできないでしょう。伊吹も志摩も30代後半ですでに警察官として10年以上(20年近く)勤め、中堅どころになっています。つまり仕事に自信を失うことは自分の人生に関わってくる死活問題なわけよ。

特に伊吹は奥多摩の交番勤めという名の左遷期間が長らく続き、やっと都心に来て初めての大仕事をしてるし、刑事である恩師に憧れて警察官になって、やっと少し近づけたと思ったらその憧れの恩師は罪を犯してしまった。もう機捜の仕事にすがるしかないのに、その機捜の仕事に自信を失ったら、もうどうすればいいのかわかんないじゃん。

先の「機捜のみんなが守ってる街だね」の場面で、ハムちゃんはこんなことも言っています。

「全部表ならいいのにね。表の世界だけ。悪い人が捕まって、がんばったら報われて、正しいことをした人が後悔しないで済む世界」

そんなことは無理だってきっとみんなわかってる。理屈で考えれば当然のことのはずなのに、絶対に実現しない夢物語だって、これを言った張本人のハムちゃんもたぶんわかってる。でもだからこそ願わずにはいられない。伊吹も志摩も理不尽なことはたくさん見てきてるし自分で経験もしてるから、理不尽に直面してもいちいち子どもみたいに泣き喚いたりしない(ただし伊吹にとって恩師の件はその限りではない)。2話の加々見にも、4話の青池さんにも、5話のマイちゃんや水森にも、同情はしても激しく動揺することはなかった。

だからね、ハムちゃんが拉致られた時に2人が猛烈に焦って、怒って、そしてハムちゃんを助けることができた時には泣きそうなほど安堵してたのは、ハムちゃんが死なないこと、生きて自由の身になること、それが2人にとって譲れない最後の一線だったからだと思います。理不尽な世の中にあっても、ハムちゃんだけは失えない。2人にとってハムちゃんが近しい人だったことももちろん関係あるけど、何も悪いことをしていないハムちゃんまで死んでしまったら、そんな理不尽に屈してしまったら、たぶん2人は本当に機捜の仕事に意味を見出せなくなる。警察官としての自負も、自分の信念や人生すらも失ってしまう。

ハムちゃんを2人で抱きしめながら、「間に合った」って言い合うところは

志摩「間に合った!(ほら、だから間に合うって言ったろ!)」
伊吹「間に合った……(本当だね、間に合ってよかった)」

って雰囲気だったので、やっぱり志摩が伊吹に自信を取り戻させてやると同時に、志摩もまた自分の自信を確固なものにしていくって感じだったよね。

では結論です。伊吹と志摩は正反対じゃないと私は声を大にして言いたい。2人は案外似てるところが多い。志摩にも無茶しがちなところはあって、伊吹も感情が高ぶってない時は冷静な行動ができる(志摩のしつけのおかげか)。しかし何にせよ久々に走ってる伊吹が見れたし、窓枠に足をかけずにそのまま飛び降りるボーナスラウンドまで付いてたので最高。ちなみに志摩が本当に冷静でまともな人間だったら、伊吹を追って自分も窓から飛び降りるなんてしないでしょ。





吹き荒れる綾野剛フィーバーの現状ですが、『亜人』(2017)とかさ、公開初日に観に行ったし、DVDが出た後も借りて観てたのに、Netflixで観れるのをいいことに主役の佐藤健を早送りして綾野剛の戦闘シーンだけ観まくっています。なにこれ病気?

歩く傷は綾野剛の一部にすぎない 『影裏』


どうも、こんにちは。

大学時代には綾野剛が好きだと友人知人家族に公言していたのですが、ここではあんまり言ってなかった気がするので本日取り上げることにしました。



影裏(2020)

20191028-eiri_full.jpg

転勤で盛岡に移り住んだ今野(綾野剛)は、地元盛岡出身の同僚・日浅(松田龍平)と知り合い、慣れない土地で次第に充実した日々を過ごし始めます。互いに心を許し距離を縮めていく2人でしたが、ある日突然、日浅は何も言わずに会社を辞め、今野の前から姿を消してしまいます。


この作品の公開情報が出た時、綾野剛と松田龍平のただならぬ関係友情が描かれるとあって、腐女子が喜びそうな映画だなと私は思ったわけです。そしてその直感は間違っていなかったと言っていいでしょう。おどおどして引っ込み思案気味の綾野剛に飄々として掴みどころのない松田龍平が一気に距離を縮めてきて、親友になって一緒に飲んで釣りしてお祭り行って、そういうやつです。

綾野剛と言えば、今年のアカデミー賞受賞作『パラサイト 半地下の家族』(2019)の監督ポン・ジュノが「歩く傷みたいな俳優」と称した逸話がありますが(綾野剛の出演している『怒り』(2016)を観て、作品の監督である李相日にそう話した)、『影裏』でもまさにそういう綾野剛が見れます。ていうか歩く傷ってネーミングセンス抜群か。

繊細ですぐに傷つき、悲しそうに俯く綾野剛。ちょっと猫背の綾野剛。世捨て人のような綾野剛。『怒り』や『影裏』以外にも、『そこのみにて光輝く』(2013)、『武曲』(2017)、『楽園』(2019)、『閉鎖病棟 -それぞれの朝-』(2019)、そんな感じの役どころの作品は枚挙に暇がないし、確かにそれが彼の真骨頂なのかもしれない。だが綾野剛のそんな役はもうぶっちゃけ見飽きたな。

少し前にシャラメくんの記事で、たまに役によって歩き方や話し方までまったく別人のようになる俳優がいると申し上げましたが、綾野剛もその類です。だからどんどんいろんな役をやってほしいわけ。例えば最近ちょうどTBSの連続ドラマ『MIU404』を観ているのですが、あの狂犬のような番犬のようなそれでいて懐いた人にはぶんぶんと尻尾を振る健気な飼い犬のような綾野剛を目の当たりにしてね、これこれ、こんな綾野剛を待ってたって思った。綾野剛のマジの陽キャラ役は珍しい。デハーンの陽キャラ率と同じくらい希少性がある。

そんな中で先ほど『影裏』の歩く傷のほうの綾野剛を見まして、なんとまあ器用な俳優やねんと改めて思いました。大股&がに股で歩く『MIU404』の伊吹に対して、『影裏』の今野は小股でちょこちょこって感じ。ていうか歩き方や話し方が違うのはがんばって意識すればできるかもしれないって納得できるけど、綾野剛の場合はもう顔からして全然違うもん。こりゃ綾野剛をよく知らない人は別の俳優かと思ってしまいそう。それくらい違う。

いわゆる蛇顔・爬虫類顔なせいで暗そうに見えますが(失礼)、実際は交友関係が広くてお茶目で誰にでも分け隔てなく接し、一緒に仕事をしたスタッフさんたちにはすこぶるウケがよい人らしいので、きっと本人は陽キャラなんでしょうね(若い頃は人間嫌いだったとも言ってたけど)。つまり陽キャラの綾野剛がもっと見たいです。私が言いたいのはそれだけです。





ちなみに『MIU404』の伊吹は足が速い設定なんですけど、綾野剛は高校まで陸上やっててガチで足速いし、スプリントのみならず長距離もいけるタイプだし、何よりフォームがきれいでめちゃめちゃかっこいいので走ってる綾野剛は最強。

日本語学習のすすめ 【敬語編】


どうも、こんにちは。

自称言語学オタクのわたくしは日々つまらないことを言っていますが、たまには役に立つ日本語の話をしたいと思います。毎日汗水垂らして働いている大人も、学校で「国語」なるものを勉強している子どもも、みんな知ってて損はない。というわけで、本日の議題は敬語です。

敬語には大きく分けて3種類あります。丁寧語、尊敬語、謙譲語です。丁寧語は「です」「ます」など日常的によく使うものなのでわかりやすいとして、問題は尊敬語と謙譲語の区別ですが、このように習った方いませんか?

相手をうやまうのが尊敬語。自分がへりくだるのが謙譲語。

なんやそれ。

へりくだるって何? は? と思った経験のある方、挙手願います。はい、みなさん挙げました。かく言う私も中学時分はなんや意味わからんと思っていました。しかし実際は単純な話です。主体(主語)は誰なのか。それだけを考えればオーケー。


主体(主語)が相手なら尊敬語。自分なら謙譲語。
主体というのは、動作を行う人・物のことです。これは厳密に言えば主語とはちょっと違うのですが、そうなるとわかりづらいので主語と考えてもらって結構です。では「見る」という動詞を例に考えてみます。


①ご覧になる
例;お手元の資料をご覧ください。

資料を見るのは誰か? 相手ですから、「ご覧になる」は尊敬語。


②拝見する
例:資料を拝見いたします。

資料を見るのは誰か? 自分なので、「拝見する」は謙譲語。


たったこれだけよ。うやまうとか、へりくだるとか、そんなまどろっこしい言葉はいらん。シンプルが一番。詳しいことを言うと敬語にはもっと細かい分類があるわけですが、そんなものは知りたい人だけが勉強すればいい話なので、一般常識としてはこれくらいで充分でしょう。なんで中学高校でこうやって教えてくれなかったのか、私は恨みさえ覚えるのだが。そして恨みを覚えるもう1つの問題。


題して「いただく」と「くださる」問題


よく耳にする言い回しでありながら、私がいつもしっくりこなくてもやもやするのがこちら。

「当店をご利用いただきまして、誠にありがとうございます」
「足元の悪い中お越しいただき、ありがとうございます」
(ラジオなどで)「ここまでお聞きいただき、ありがとうございました」

なんか気持ち悪くないですか? 違和感のある方はいませんか? 私は「いただく」じゃなくて「くださる」だろって言いたいんですけれども、この「いただく」と「くださる」の違いって何よ、というところは敬語にする前の普通語は何かを考えるとわかりやすくなります。

普通語種類主体(主語)
いただくもらう謙譲語自分 ※
くださるくれる尊敬語相手

「いただく」を普通語に戻すと「もらう」になるということは、上記の文を平易な形にすると、「利用してもらってありがとう」「来てもらってありがとう」「聞いてもらってありがとう」になってしまいます。ここでようやく違和感がお仕事をしてくれました。

どう考えても「利用してくれてありがとう」「来てくれてありがとう」「聞いてくれてありがとう」が正しい形じゃないですか。そして利用するのも、来るのも、聞くのも、全部相手の行動なので、尊敬語を使うのが文法的に正しいはずです。つまりこれらの正しい形はこうでしょう。

「当店をご利用くださいまして、誠にありがとうございます」
「足元の悪い中お越しくださり、ありがとうございます」
「ここまでお聞きくださり、ありがとうございました」

ちなみにこの記事を書くにあたっていろいろ調べていたら、「お越しになる」に関しては「いただく」でも「くださる」も両方OKで、こちらから頼んで来てもらう場合には「お越しいただく」、相手の善意で来てくれる場合には「お越しくださる」を使う、と言ってるサイトが複数ありました。でもそれってどこソースなの? 私は全力で疑っている。

こちらの要請だろうが相手の善意だろうが、どう転んでも「お越しになる」のは相手です。だから「お越しくださる」が正しいだろうと思うのですが、大学時代の教科書とか引っ張り出してみても決定的な証拠が見つからず結局もやもやしています。

もしこちらから頼んで「お越しいただいた」のを気にするのであれば、来てもらっちゃってごめんなさいね、ご足労をおかけしまして、という気持ちを込めて、その後に続く言葉は「ありがとうございます」じゃなくて「恐縮です」とか「痛み入ります」とか、つまり「へりくだる」言葉が来るのが自然だと思うのですが、いかがでしょうか。



さて、個人的な意見としては、学校教育ではもっと日本語の言語学的特徴を教えたほうがいいと思うのだが。日本語の発音や文法を勉強すると、英語やその他の外国語を学ぶ時に非常に役に立ちます。ていうかそもそも教科名が「国語」っていうのがおかしい。「日本語」にしたほうがいい。国語教育でもっとも必要のない知識、その名は「文節」。文節なんて意味ねーから! 少なくとも日本語学習してる外国人には教えねーから!

中高生諸君、文節の分け方は覚えなくていいぞ!






※「もらう(いただく)」の主体(主語)は自分、「くれる(くださる)」の主体(主語)は相手、というのがピンと来ない方もいると思うので、簡単な文を作ってみました。

私はお母さんに新しい靴を買ってもらった
お母さんが私に新しい靴を買ってくれた

「私はもらった」「お母さんがくれた」
「もらう(いただく)」のは自分、「くれる(くださる)」のは相手。