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気晴らし細論

2020年05月の記事

ダンシャラーズハイは危ない 『365日のシンプルライフ』


どうも、こんにちは。

本日は、おうち時間の長い今の時期に観る人が増えているのではないかと思われるこちらの作品をご紹介します。



365日のシンプルライフ(2013)

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フィンランドの首都ヘルシンキに住む26歳のペトリは、都会っ子で多趣味。最新の電子機器、楽器、釣り具、おしゃれな家電、車などたくさんのモノを持っています。しかしふと自分の部屋を見渡して、モノに埋もれて暮らすことに危機感を覚え、ある実験を始めます。自分の持ち物を一旦すべて倉庫に預け、1日に1個だけ取り出せるというルールで1年間過ごし、その間、新しいものは買わない。ペトリ自身が監督を務めたドキュメンタリー作品です。



簡単に言うと、いらないものを捨てていくのではなく、必要なものから順番に獲得していくスタイルの断捨離。必然的に優先度の低いものは自分の家に持ち込めなくなる究極の断捨離。

監督兼主演のペトリがやるときはとことんやるタイプの人間なんだなっていうのが開始直後にわかります。なにせ自分の持ち物をすべて倉庫に預けてから1日目がスタート。服も例外ではありません。つまり全裸でのスタート。真夜中、住んでるアパートの近くに捨ててある新聞紙を拾って局部を隠し、倉庫まで猛ダッシュします。実験を開始したのはまだ雪の残る時期なので(フィンランドだから4月頃っすかね)、まず選んだのはロングコート。とりあえずこれで新聞紙は捨てられるし警察に逮捕される心配もなくなる。

そんなわけで、コート、靴、ブランケット、ズボン、シャツ、ネックウォーマー、ベッドマットレスというように、最初の一週間はとにかく凍え死なないよう、そして変質者にならないよう身につけるものを優先して倉庫から取り出してきます。実験を始める前、最初の方に必要になるものは何だろう? という話をしている場面で、ペトリの幼馴染が「絶対にブランケットだ」と自信たっぷりに言い出すところがありました。

「寝袋になるしスカートにもなるし、(シャワーを浴びたら)体を拭いたあとも干しておけばすぐに乾く。丸めれば枕にもなるぞ。カーテンにもなる」と、お前このイカれた実験やったことあんの? という素晴らしいプレゼンをしてきて、ペトリもそのプレゼンに一理あると感じたのか、3日目にブランケット(厳密に言うとタオルケットのような感じのもの)をチョイス。しばらくブランケット依存生活をするわけですが、そのブランケット、生活が整ってきたら私は二度と使いたくないね。だってしばらく洗い替えができてないから絶対汚いでしょ。

さて、7日目にマットレスを持ち帰って約1週間ぶりに快適な眠りを得ると、翌朝には「毎日1個ずつモノを取り出していくたびに幸福度がどんどん増していく。もし毎日がそんなことになったら今年1年は祭りだな」なんて、ドキュメンタリーらしく真理をついたええことを言った矢先、ペトリは突如としてもう何もいらないゾーンに突入。

自宅には家電や家具の類がひとつもなく、自分は下着も靴下も履いてない状態で、かろうじて人としての尊厳を保てる程度のアイテムしか揃ってないにもかかわらず、「生活には7個で充分。何もいらない。何もほしくない」と、ダンシャラーズハイで加減がバカになっています。本人も「まるで反抗期の子供みたいだな。モノに反抗している」と認めているのだけど、なんかすげえわかるよ、その気持ち。ちょっと意地になっちゃうというか、この実験に入り込みすぎて、1日1個取り出す必要なくね? 365個もいらなくね? という、実験の大前提を覆す境地に入ってしまう感じ。ほら、ペトリって、やるときはとことんやるタイプだから(友達か)。

でもこの実験の目的は発展した文明や技術に逆らうことではないし、必要最低限のものだけで暮らすミニマリストになりたいわけでもない。モノに埋もれて見失った「自分にとって大切なものは何か」を見極めるための試みなので、10日間ほどダンシャラーズハイ期間を経たのち、根本の目的を思い出して10日分のアイテムをまとめて倉庫に取りに行きます。

ちょっと脱線しますが、この場面を見てたら、私の友人が引っ越しの時の片付けでいらないものを捨ててたら全部いらないように思えてきて片っ端からゴミ袋に突っ込み、朝方になって引っ越しに必要な書類がないことに気づいてゴミ袋を漁った。あれは危なかった。と言ってたのを思い出しました。

話を戻します。

一見、ペトリがひとりで勝手にやってるように見えるこの試みは、周りの人の助けなしではできないのが重要なポイントです。基本的に倉庫には何日か分をまとめて取りに行くので、そのたびに弟や友達を呼んでるし、1年間新しいものを買えないから何か壊れたら修理屋やってる友達に電話する。スマホも倉庫に置いてきちゃってるので、スマホがないと連絡の取れない人とは必然的に疎遠になって、近所に住んでる友達や身内とのつながりが強固になっていくんですね。こんなことやるなんてお前頭おかしいぞ、と言いながら笑って付き合ってくれる人とだけ付き合いが続いていく。

モノの断捨離が奇しくも人間関係にまで影響してくるわけですが、劇中にはペトリのおばあちゃんがキーパーソンとして登場します。ペトリがおばあちゃん子というのもあって、この人がいろいろ大切なことを教えてくれるすばらしいおばあちゃんでね。おばあちゃんの知恵袋ってあるけどさ、どこの国でもおばあちゃんって安心感と助言を与えてくれる存在なんですね。ほら、ステラおばさんとか、クレアおばさんとかいるじゃん。ちなみに、クレアおばさんの子供たちはもうすっかり大人になって巣立っていき、村の子供たちを我が子のようにかわいがっているという裏設定があるので、年齢的にはほとんどクレアおばあさんですので。

あとは、久しぶりに会ったお母さんが口髭だけ生やしてる息子(ペトリ)を見て笑い出して、「似合わないから早く剃ったほうがいいわよ」って言いながらペトリの顔を見るたびにずっと爆笑してるのとか、ドキュメンタリーのリアルさがあって妙に好きでした。



彼女の家の冷蔵庫が壊れた時は、普通に新しいの買ってやれよって思った。

三島由紀夫のいう「完全な青年」とは渡邊圭祐のことではなかろうか


どうも、こんにちは。

本日の議題は三島由紀夫のくそ長哲学小説『禁色』に登場する南悠一というキャラクターと、若手俳優・渡邊圭祐の親和性についてであります。

『禁色』は、女運が悪い(と自分で勝手に思っている)老作家・檜俊輔が、女に興味のない同性愛者の美青年・南悠一と知り合い、彼を使って自分を痛い目に遭わせてきた女たちに復讐を企てるという話なのですが、小説の中身については例によって例のごとくスルーします。問題なのはそこじゃないんで。南悠一なんで。

南悠一は絶世の美青年なんですけれども、決して中性的な美しさではないのがミソであります。作家先生は職業病か、彼を一目見た瞬間にその美しさを怒涛の勢いで表現しています。とにかく筆が走って仕方ないご様子。南悠一の外見を表現する言葉たちを一部抜粋したのがこちら。

おどろくべく美しい青年、アポロン像のような肉体、気高く立てた頸、なだらかな肩、ゆるやかな広い胸郭、優雅な丸みを帯びた腕、にわかに細まった清潔な充実した胴、剣のように雄々しく締まった脚、俊敏な細い眉、深い憂わしい目、やや厚みを帯びた初々しい唇、見事な鼻梁、引き締まった頬、暗い無感動な眼差、白い強烈な歯、躍動する身のこなし、その面差しは狼の美貌、完全な青年…etc(完全な青年ってすごくないか?)

ちょっと気持ち悪いくらい詳細に述べられておりますけれども、のちに登場する英ちゃんという同性愛者のキャラクターが非常に簡潔にまとめてくれています。

「どんな顔って、男らしい彫りの深い顔ね。目が鋭くて歯が白くてキリッとしていて、横顔なんかとても精悍だよ。そうして又体がいいの。きっとスポーツマンなんだね」


そんなのもう渡邊圭祐しかおらんじゃろ。


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渡邊圭祐は『仮面ライダージオウ』のメインキャラクターであるウォズ役でデビューした若手俳優なのですが、ごらんのようにとてもはっきりした顔立ちをしておいでです。おまけに身長は182センチあるらしいです(『禁色』の南悠一も長身だと記されています)。髪が長いのがトレードマークで、本人も演じる役の都合で制約がない限り自分の意思では切るつもりがないらしいんですが、検索すれば少し短めの頃の画像も出てきます。



私は大学生の時に友人から『禁色』の話を聞いて俄然興味を持ち、いそいそと文庫本を買って読み始めたのですが、いかんせん文章が小難しくてかなり序盤で脱落しました。そこからいわゆる積み本として長らく放置していたのですけれども、スイッチはどこに転がってるかわからないものですね。もはや一生読むことはないかもしれないくらいに思っていたのに、南悠一を渡邊圭祐でイメージしたら読むのがもうはかどってはかどって仕方なくてね。というわけで、渡邊圭祐でイメージしたらとても堪らなかったおすすめの場面をご紹介します。

悠一は学生ながら母のために持参金目当ての結婚をするのですが、結婚以前は自分が同性愛者であることにも確信がなく、いつも不安げだった彼が結婚後は箍が外れたように好き放題やり始めます。ゲイが集まるカフェやパーティーに顔を出し、その美貌で数々の男たちをつまみ食いし、一方で作家先生の指示で何人かの女を翻弄し、手玉にとる。やがてゲイコミュニティの中で手に入れた人脈などを使って自分の好きなように行動するようになると、人生において初めて自由を感じるようになるわけですね。

そんな時、ダンスホールに一緒に遊びに来ていた鏑木夫人(作家先生の指示で籠絡している女性の一人)に「何があなたそんなにたのしいの」と訊かれる場面があります。訊かれた後どう答えたか、以下に原文そのまま載せます。

若者は媚態を声に含めて、女の目をきまじめに見ながら言った。
「わからないの?」
 その瞬間は鏑木夫人を息もたえなんばかりに幸福な気持にさせた。



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「わからないの?」


ひえ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜。
こんなこと言われたら、そりゃあ息もたえなんばかりじゃろ。私はしばらくソファに沈んだ。個人的にはここが小説の最大のハイライトです。

そしてまた別の場面なのですが、恭子(作家先生の指示で籠絡しているもう一人の女性)と久しぶりに会った時、「あなた何だか、一寸見ないうちにお変りになったのね」と言われるところ。見る人によって表現は違うけど、みんな確実に悠一の変化に気づき始めてるっていうのを巧みに表す三島由紀夫の力はすごいなって思った。

「どんな風に?」
「そうね。すこし猛獣みたいなところが出て来てよ」
 これをきいた悠一は大そう笑い、恭子はその笑っている口に肉食獣の歯の白さを見い出した。
(中略)
 彼には何か突然目をさまして爽やかな風の中を駈けて来た人のような生々(いきいき)とした印象があった。その美しい目は正面から恭子を見つめて、たじろがない。視線はたぐいないほどやさしく、しかも無礼に、簡潔に、彼の欲望を物語っていたのである。



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肉食獣の歯の白さ…。



さて、悠一の美しさが生命線とも言えるこの作品において、先述したように冒頭ではその美しさの程度の甚だ驚異的なことが怒涛のごとく描かれてものすごい迫力だったのだけど、中盤に差し掛かるとだんだんと悠一の美しさに関する表現が減ってきます。作中の登場人物も、読んでるこちら側も、悠一の美しさに慣れてくる。だが天下の三島がそれで終わろうはずもない。若干中だるみしてきた頃に、檜先生は悠一の美しさに恋していることを悠一本人から指摘されるというカウンターパンチを食らうのです。

檜は女に過去何度も裏切られ、泡を食わされた経験から女を憎み、美しく若い悠一を使って自分を苦しめてきた女たちに復讐を企てる。檜は異性愛者なので、男の悠一を美しいと思いこそすれ、そこに恋愛感情や性欲はありませんでした。自分の容貌が醜いため女に好かれなかった、寂しい青春時代を送ってきたと思っている檜にとって、見目麗しく同時に男らしい精悍さも兼ね備えた悠一は自分の思い描く理想通りの「完全な青年」であり、妬み嫉みを超越してほとんど憧れのような感情を抱いていたわけです。

で、つまりそれって、僕の美しさに恋してるってことなんじゃないですか、ってなことなんですね。檜はこの世に肉体的な接触以外の感動は存在しない(なんじゃそりゃ)と豪語しているのですが、あなたは僕に初めて会った時に感動したでしょう、と悠一に言われて檜は衝撃を受けます。檜が肉感にしか感動しないのであれば、悠一の肉体やその美しさに感動を覚えたということはつまり悠一に性的な魅力を感じたということになるよね。正真正銘の異性愛者の檜さえも悠一の美しさにはひれ伏すしかないんだ。圧倒的な美の前では無力。

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とにかく私はね、渡邊圭祐の美貌をフィルムに残してほしいのよ。正直『禁色』でなくても構わない。贅沢は言わん。渡邊圭祐には日本文学の耽美を表現してもらわねばならない。デビューが遅めだったから、彼は今年で27歳ぞ。映画界よ、今すぐ立ち上がれ。この前、彼のインスタライブ見たら髭生やしてて、かなり似合ってたのできっといい歳の取り方をするタイプの男性だと思いますけど、それとこれとは話が別です。ぜひ20代のうちに、この美貌を映画作品に収めてくれ。美青年を半永久的に保存するのが映画のひとつの使命なので。頼む。

アッシュはダウンタウンのキャッチャー 『BANANA FISH』


どうも、こんにちは。

ツイッターでは『BANANA FISH』を観てるというのをつぶやいてはいたんですが、感想を140字にはとてもまとめられないのでこちらに書きます。



BANANA FISH(2018)

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17歳にしてニューヨーク・ダウンタウンのストリートギャングを束ねるアッシュ・リンクスは、自分の手下が銃殺した男が死に際に「バナナフィッシュ」とつぶやくのを聞きます。それはイラク帰還兵の兄・グリフィンがしばしば口にする言葉と同じでした。アッシュは「バナナフィッシュ」の正体をつきとめるため、仲間とともに動き出します。吉田秋生による同名漫画のテレビアニメシリーズです。



『BANANA FISH』はしんどいから覚悟して観ろ(読め)と聞いてはいたのですが、この「しんどい」はオタクのよく言う「しんどい(=とてもすばらしい)」だと思ってたので思い切り油断していました。アッシュと英二のBLがしんどいんだろって高を括ってたら本当にストーリーが壮絶でしんどかったです。みんながしんどいラスト。ていうかまずアッシュは何回レイプされてんだよ。作中だけでも3、4回されてなかったか。



しんどいポイントその① 敵が多すぎるアッシュ

主人公のアッシュはブロンドの髪と翡翠色の瞳を持つ美少年で、ニューヨークを牛耳るコルシカマフィアのドンであるゴルツィネに幼い頃に目をつけられ、男娼として育てられました。やがてアッシュはゴルツィネから逃げてストリートギャングのボスとなったわけですが、その後も周りは敵ばかり。ゴルツィネはもちろん様々なゲスいオヤジに捕らえられ、襲われている。何がつらいって、アッシュは銃を持たせれば百発百中、体は屈強で頭もよく、簡単には屈服されないのにそれができないほど常に満身創痍なことよ。「バナナフィッシュ」が国家機密レベルのやばい代物なため、その正体を追うアッシュは四方八方から狙われているのです。

アッシュは心も体も化け物級に強くて、銃で撃たれようが、ナイフで切りつけられようが、レイプされようが、すぐに立ち上がります。あるキャラクターに「あなたはなぜそんなにすぐに立ち直れるの?」って訊かれるんですけど(その質問も死ぬほど無神経だと思うけど)、それに対してアッシュは「立ち直らなきゃ俺はもう死んでる」というようなことを言います。でもね、逆に言えば立ち上がってしまうからこそ何度も何度も繰り返し傷つけられて死にかけるわけよ。強いがゆえに際限なく傷つけられる。しんどい。

そうやって相手を殺さなければ自分が殺されてしまう弱肉強食の世界で生きてきたアッシュと対照的に描かれるのが、日本からやってきた大学生・奥村英二。カメラマンのアシスタントとしてふらりと訪れたニューヨークでアッシュたちの血なまぐさい抗争に巻き込まれるわけですが、他でもない、このごくごく平均的な日本人大学生がアッシュの心を救うことになります。



しんどいポイントその② アッシュは何でもできる

問題が全部片付いたら日本においでよ、君ならなんだってできるよ、と英二がアッシュに言う場面があるのですが、これがアッシュには気休めの励ましじゃなくて事実なんです。ゴルツィネはアッシュの美貌だけでなく才覚にも惚れ込み、学を与え、戦闘訓練も積ませ、政財界での社交のためにワインやら宝石やらに関する目利きの知識も与えました。これはアッシュを自分の手足として働かせたかったからなんだろうけど、逆にいろいろ与えてしまったせいで反抗され、ゴルツィネは自分の命も社会的立場も危険にさらされるわけなので、ぶっちゃけ何してんねんって感じなんだよね。

アッシュはIQ180とか200越えとかいう話も上がるほどの秀才です。バナナフィッシュについて調べ上げて独自に論文とか書いちゃうし、ハッキングなんかもしれっとやってしまう。またカリスマ性があり、白人嫌いの黒人ギャングたちもアッシュには一目置いている。その気になれば大学院で博士号だって取れるだろうし、株で稼ぐこともできるだろうし、起業家にだってなれると思う。身を隠して生きていく方法なんていくらでもあるのよ。でもアッシュ自身はそれがあんまり現実的だと思ってない。そんな平和な暮らしは自分には縁がないと思ってる。それがまたしんどい。

ちなみに、君も日本においでよ話の延長で、英二がアッシュに日本語を教えるシーンがあります。まずは基本のあいさつから、ということで「おはようございます」「こんにちは」「おやすみなさい」「さよなら」


「さよなら」


おい英二、言霊ってもんを知らねえのか。

島根県出雲市出身の英二くん、八百万の神様についてアッシュに講釈をたれておきながら言霊を知らねえとは言わせねえぞ。出雲スピリッツを持つ人間なら、自分たちの状況を考えればそんな言葉を口にするのもためらうはずだろうに、平然と、何度も、言っている。お前は危機感がなさすぎる。

危機感がなさすぎると言えば、ビザ問題な。わりと序盤で英二と伊部さん(英二をアシスタントとして使ってるカメラマン)のビザが切れそうだからもう帰らなきゃって話になるんですけど、英二がチャイニーズマフィアに拉致られたり何なりでその時に帰れなかったんですよね。そしてその後も何度も日本に帰ろうとする(アッシュが帰らせようとする)描写はあるんですが、ことごとくぶっちぎる。

原作漫画では結局英二は約2年間アメリカにいたことになってるらしいんですが、おいおい? 観光ビザで入国してんだろうからせいぜい3ヶ月か半年が限界だろ? 英二って大学は休学してんだっけ? お前、日本には友達とかいないの? 連絡来ないの? ていうか伊部さんは最初仕事で渡米したわけだけど、その仕事は平気なの? サラリーマンではないのね? ビザぶっちぎってアメリカにい続けるなんてクビだろ。伊部さんの知り合いで警察も頻繁に登場してるんですけど、不法滞在で強制送還とかないんですか?



しんどいポイントその③ ライ麦畑でつかまえて

アニメシリーズは各話にタイトルがついていて、それらはすべて実際にアメリカで発刊されている小説のタイトルから引用されています。ほぼヘミングウェイとフィッツジェラルドなんですけど、最初と最後がサリンジャー。原作者の吉田秋生自身がサリンジャーの『バナナフィッシュにうってつけの日』という短編小説から本作の着想を得たらしく、もちろん第1話のタイトルは「A Perfect Day For Bananafish(バナナフィッシュにうってつけの日)」。そして最終話のタイトルが「The Catcher in the Rye(ライ麦畑でつかまえて)」っつーのがもうしんどい。

偉そうなこと言っておいて私は『ライ麦畑でつかまえて』が未読なので拙い知識になるんですが、このタイトルは小説の主人公であるホールデンのセリフから取ったものです。広大なライ麦畑で子供たちが遊んでいて、すぐ近くには崖がある。周りに大人は自分しかいない。そこで自分は崖のふちに立って、誰か崖から落ちそうになる子供がいたら片っ端から捕まえていく。自分はそういうものになりたいんだ。とホールデンは言います。

原文の「The Catcher in the Rye」は捕まえる人のことを言ってるのに対して、日本語訳の「ライ麦畑でつかまえて」は捕まえられる子供のことを言っていますが、これが案外間違ってない(いろいろ賛否はありますが)。なんでかというと、ホールデンが言ってるのは物理的なことではなく比喩で、崖から落ちそうになる子供というのは社会からこぼれ落ちそうになってる子供のことであり、ホールデン自身がそういうはみ出し者の子供だからこそ自分と同じような境遇の子供たちを助けたいし、自分も誰かに助けてほしかった、ということだからなんですね。

これがそっくりそのままアッシュにも言えます。マフィアに買われて男娼になり、そこを逃げ出してダウンタウンを束ねるストリートギャングのボスになった。自分や仲間の身を守るためには人も殺す。完全に社会のはみ出し者です。つまり崖から落ちそうな子供です。一方で、アッシュをボスと慕うストリートギャングたちからしてみれば、アッシュは子供たちを捕まえるキャッチャーでもあるわけです。でな、崖から落ちそうな子供のアッシュは誰に捕まえてもらうのかっていうと、それが英二なんだよね。

17歳にして何度も死線をくぐり抜け地獄から這い上がってきたアッシュは、仲間たちにも畏怖を抱かれる存在です。信頼されこそすれ、心配されるようなことはない。でも英二だけは、アッシュの強さを目の当たりにしても、自分がアッシュに助けられる側であっても、アッシュが危険なことを侵すたびに友達としてその身を心底案じているのです。アッシュはそうやって無条件にただただ自分のことを心配してくれる英二に救われる。

ひょっとすると、アッシュがストリートギャングのボスをやめて平和な暮らしをする気がなかったのは、社会からこぼれ落ちそうな子供たちを捕まえるキャッチャーでありたかったからなのでは、と思います。自分がやめたらダウンタウンは秩序を失って、ゴロツキが共食いし合い、権力のあるマフィアたちに蹂躙される。でもアッシュは誰よりも傷つけられて踏みにじられた子供だから、人のことなんて心配しないで自分を優先させても誰も文句は言わなかったのに。むしろそうしてほしかったのに。結末がしんどすぎて私は勝手に傷心しています。