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気晴らし細論

2019年09月の記事

いだてんとウルトラソウル


日本のみなさん、ウルトラこんばんは! 松岡修造です。

こいつ何言ってんだと思った方、さては見てませんね、世界水泳。大会のテーマソングがB'zの「ultra soul」なので松岡修造はもうここ何大会もこの挨拶で貫き通しています。まあ今年の世界水泳はもう2ヶ月ほど前に終わってますけれども、ultra soulって、いいよね。

私はB'zの魅力というものが今ひとつ理解できてなかったんですが、最近やっとわかったんです。稲葉さんがかっこよすぎるよね。先日ご生誕日を迎えて55歳におなりあそばされたそうです。若返りの薬飲んでるだろ絶対。ていうか未だにタトゥーに根強い偏見のある日本でタトゥー入れてて批判されてないのは稲葉さんくらいだと思う。


4:35あたりで客の中で一人だけフライングでジャンプしてる人います(最高)



世界水泳がとっくに終わってるのにどうしてウルトラソウルかって、そりゃあ「前畑がんばれ」だよ。大河ドラマ『いだてん〜東京オリムピック噺~』の第36回(9/22放送)は、日本人女子初のオリンピック金メダリスト前畑秀子さんのお話でして、その金メダルをとった種目が競泳平泳ぎ200mというわけです。

上白石萌歌ちゃんが演じる前畑は、1932年ロサンゼルス大会に初めて出場して競泳では日本人女子初の銀メダル獲得。それだけでもすでに大業を成し遂げてるわけだけど、帰国後いろんな人から「次は金メダルだ」と言われまくり、時は昭和初期、結婚適齢期真っ只中の乙女がこれはもう金メダルを取るしかないと一心不乱に4年間を水泳に捧げた果てに1936年のベルリン大会で金メダルを取ります。

当時の実況ラジオアナウンサーが「前畑がんばれ」をひたすら連呼して、実況なのに他に何も言ってないっていう実際のエピソードが使われています。『いだてん』の主人公の一人である水泳協会の会長・田畑(阿部サダヲ)が「がんばれって言っちゃだめ!」なんて言いながら、それでもプールサイドでレースを見守る選手団みんなが熱くなって「がんばれ」と言い続けるので、最終的に「もういいや、がんばれ!」って自分も言っちゃう流れ、最高にクドカンで阿部サダヲだった。

ちなみに最高にクドカンで阿部サダヲだった個人的な神回は第25回「時代は変る」です。日本がオリンピックに出場し始めた頃は、まだ国民も政治家もオリンピックへの関心が低く、渡航費やら滞在費やらでやたら金がかかるので、そう何人も選手を出場させられないという悩みを抱えていました。大日本体育協会の重鎮・嘉納治五郎(役所広司)が「もう出場するのは自分で金が用意できるやつだけにしない?」と身も蓋もないことを言い始める中、意気揚々と風呂敷に包まれた札束を抱えて体協に乗り込んでくる田畑です。

「貴様、こんな大金、どこで!?」
「若者のために使うって言ったらくれました」
「誰が!?」
「高橋是清」

どんと画面に映る高橋是清役のショーケンの迫力たるや。落語のサゲかよってくらいの収まりの良さ。田畑は当時日本の大蔵大臣を務めていた高橋是清邸に図々しく上がり込み、嘉納治五郎に「彼は口がいだてんだね」と言われるその持ち前の話術で言いくるめ、国からオリンピック特別予算をぶんどってくるのでした(言い方)。しかもこのあたり、志ん生(森山未來)が落語「火焔太鼓」を話す場面と交錯しながら小気味よく進み、あの妙なテンポ感、ランナーズハイ的な高揚感がやばかった。

何と言っても「若者のために使うって言ったらくれました」って、セリフ最高じゃないか。軽い。なんて軽いノリ。体協が四苦八苦してた資金集めをさくっと達成する田畑の能力と、高橋是清の英断ですよ。実際本当にこんなやりとりがあったのかどうかは定かではないけど、今の政治家で若者のためなら金を出そうって器のやついるか、いないだろ。

高橋「(オリンピックは)国のためになるのかね」
田畑「なりませんな。しかし若者には励みになります」

最初は国のためじゃなく若者のためだと言っていたオリンピックが、やがて国のためになっていくんです。田畑の本業は政治部の記者なので、近頃暗いニュースが多いからせめてオリンピックの話題で盛り上げようとか、日本人選手が活躍すれば国が活気づくとか、一応そうやって日本の情勢を思ってオリンピックに熱を注いでいる部分もあります。

いきなり真面目なこと言うけど、愛国心って大事だと思うんですよ。行き過ぎるとヒトラーとか神風特攻みたいなことになるから絶対にだめだけど、他者を傷つけない健全な範囲であれば持っていて然るべきだと思う。別に大げさなことじゃなくて、田畑みたいにオリンピックの話題で日本を明るくしたいっていうのも、それこそスポーツの世界大会に出場した選手が国歌斉唱の時に泣いてたり、「国民のみなさんのためにがんばります」と言うのだって立派な愛国心でしょう。

「前畑がんばれ」回もそうだし、特に『いだてん』で女子スポーツをテーマに扱っていた6月頃、ちょうど女子サッカーW杯が開催されてまして、めちゃくちゃ感慨深かったよね。女子スポーツの普及に力を注いだ人がいて、女子がスポーツなんてはしたないと後ろ指さされた時代にそんな声に潰されず結果を出した人がいて、そういう積み重ねで今は女子もスポーツを楽しむことができて、みんなで応援することができるんだなって。

要するに『いだてん』は若者とスポーツと愛国心の話なんだよ。わたしは『いだてん』のオープニングを見るだけでもう胸がいっぱいになります。そんなわけで来年の東京オリンピックを私はとても楽しみにしているんですけど、競泳とバスケとサッカーのチケット応募したのに一個も当たってない。バスケにいたっては敗者復活のやつも応募したのに外れた。なんで?



おあとがよろしいようなので『いだてん』の話はこれくらいにして、冒頭でウルトラソウル世界水泳の話をしたからついでに私の推しの話をしておきます。聞いてないかもしれないけど聞いてくれ。

あの怪物マイケル・フェルプスを越える(ていうかすでに超えた?)と言われているアメリカ代表のドレセルさん(23)。この前の世界水泳で個人では自由形とバタフライでそれぞれ50m、100mで金取ってました。やばくない? ドレセルさんは泳ぎの技術が高いのはもちろんのこと、それ以上に飛び込みの技術が高すぎてスタートから15mのところですでに頭一つ分リードしてます。えぐくない? 50mのほうは距離が短いので差も開きにくいですけど、100mは今のところドレセルさんの一人勝ち状態。故障とかしなければ東京オリンピックもドレセルさんが金で間違いないから。

それからドレセルさんは左肩から左前腕にかけてタトゥー入れてて、なんか知らんけど結構時間かけて彫ってたみたいで、ここ数年の競泳の世界大会で目撃するたびにちょっとずつ進捗を確認してたんですが(追っかけか)、この前の世界水泳でようやく全貌が見えました。どういうわけかグリズリーと鷲が左腕に鎮座してました。わろた。

情にほだされがちステイサム 『トランスポーター』シリーズ


どうも、こんにちは。

以前、世界一かっこいいハゲを決めよう 『ワイルド・スピード/スーパーコンボ』の記事にてステイサム様の『トランスポーター』観ます宣言したので、本日はそのお話をいたします。


トランスポーター(2002)

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プロの運び屋として生計を立てるフランク(ジェイソン・ステイサム)は、その正確な仕事っぷりを買われて裏社会での評判は上々。常にルール絶対、契約遵守がモットーのフランクでしたが、ある日の仕事で自ら課したルールを破ったのをきっかけにトラブルに巻き込まれていきます。『トランスポーター2』(2005)、『トランスポーター3 アンリミテッド』(2008)と続きます。

当方勉強不足のためワイスピを観ていて、ただの元MI6エージェントがなんでこんなに運転うまいんだよ、と思っていたわけなのですが『トランスポーター』シリーズですでに凄腕ドライバーとしてのキャラが確立されてたんだなあ。正確無比のハンドル操作にギアチェンジ。そこはさすがに通れなくない? という激狭スペースに迷わず突っ込んでいく強心臓。片輪走行もお手の物。

何でも運ぶ代わりに契約にないことは絶対にやらないくそ堅物の英国人ドライバー・フランクですが、そんなものは建前に過ぎません。ルールを破らにゃ物語は進まない。初めこそ契約通りでなければてこでも動かない冷徹っぷりを見せるものの、女子供には弱い。特に女にはあほほど弱い。シリーズ通して女性キャラクターにほだされ、そのせいで仕事を請け負う上で自ら課したルールをことごとく破っていきます。

運転がうまく、度胸があり、元軍人なので腕っ節も強く、重火器の扱いもばっちり。サバイバル術も会得してるし、頭の回転もハイパー速い。そして無口。余計なことはしゃべりません。昔、深夜のバラエティ番組で「〈む〉から始まるモテる条件」というお題の大喜利をやってたのが記憶に残っているのですが、やっぱり「無口」は万国共通でモテるんでしょうか。フランクに守ってもらった女性たちはみんなフランクにうっとりしてすべからく誘惑してきます。フランクも一度は拒否するけどそれは所詮ポーズです。誘惑される、拒否する、もう一度誘惑される、ちょっと迷うけど結局受け入れる、といった感じで、出川哲朗と言い争いからのキッスのような流れができています。もはや一種のコントである。

しかしながらジェイソン・ステイサムがアクション俳優として有名になったのが本シリーズなので、見るべきところはとにかくアクションシーン。つまりそれ以外はおまけ。ステイサム様はカンフーや空手など東洋系の体術を身につけておられるゆえ、アクションシーンは往年の香港映画さながらの迫力とコメディチックな動きのハイブリッド。私はステイサム様の打点の高いキックが好きです。足が上がる上がる。両足開いて同時に二人を蹴るハイキックは最高。

それから私は『トランスポーター』を観て、アクションは撮り方が命なんだと学びました。KPOPおよびジャニーズJr.の記事にてダンスは定点カメラで見るとわかりやすいというあるあるをご紹介しましたが、アクションもしかりです。カット割りが多すぎると何が起きてるのかまったくわからないし、スローモーションの多用もいただけません。スローモーションは、よく見える代わりに動きのキレが失われてしまう諸刃の剣です。ご利用は計画的に。

また前述したように、ステイサム様はキックがかっこいいから全身をカメラに収めてくれないと困る。かっこよさが半減しちゃう。ステイサム様がプロの用心棒を演じている『ワイルドカード』(2015)という作品は、スローモーションの乱用&腰から上しかカメラに映ってないというダメダメ演出でステイサム様の良さが生かせてませんでした。同じ人を撮っていても撮り方が違えば出来栄えもまったく違うものになるんだね。



さて、本シリーズではヒロインや敵役などの重要なポジションに英語圏外出身の俳優を多くキャスティングしています。もちろんセリフは英語ですが、中国、フランス、イタリア、ウクライナ、みんなそれぞれの訛りがあって、その違いを聞くのも楽しいです。でもやっぱりブリティッシュ英語はいいな。聞き取りやすくて心地いい。そしてフランクの堅物設定は英国人だからこそなんでしょうね。『キングスマン』(2014)の「Manners maketh man.」なんてセリフが一世を風靡したように、英国人はマナーやルールを大事にするイメージが定着している。

とにかくどーやんが不憫だったドラマ 『あなたの番です』


どうも、こんにちは。

本日の議題は、先日最終回を迎えたドラマ『あなたの番です』についてです。

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新婚ほやほやの夫婦が引っ越してきたマンションで連続殺人事件に巻き込まれるミステリー。日本のドラマでは珍しい2クール連続・全20話の作品ということで、1ヶ月くらい前からストーリーが佳境に入り、SNSでは黒幕探しが大盛り上がり。私はこの5ヶ月間全くノータッチで来たのですが、毎週放送後に登場キャラクターの名前がツイッターでトレンド入りする盛り上がりぶりを目の当たりにして、最終回直前になってhuluで19話イッキ見しました。暇か。

ちなみに私の友人で最終回だけ観るとか意味のわからないことを言っていた強者もいるので、ドラマの楽しみ方は人それぞれか、と思った次第です。

で、満を持して最終回を観た。これは多くの視聴者が言ってるみたいですが、20話もの大作だったわりに結末に何のひねりもなくて正直肩透かし食らったよね。長いくせに結末がつまらないミステリーほど罪深いものはないからね。結局我々は秋元康の手のひらの上で転がされていただけだった。

以下、ネタバレしていますのでご了承いただける方のみお付き合いください。というか視聴済みの方しかわからない内容になると思います。



私はミステリーや推理小説はあまり詳しくないので特に考察してないし、ミステリーの掟とかもよくわからないので安易な批判は避けたいのですが、とりあえずこれだけは言うね。警察はちゃんと仕事をしろ。聞き込みと事情聴取をもっとちゃんとやれ。あれだけマンションの周辺で事件多発してたら、マンションの住民はもちろん近所の人たちにも徹底的に話聞くはずだし、それやってたらもっといろいろわかったでしょ。それから遺体はちゃんと解剖したの? 監察医朝顔に見てもらった?(まあ見てもらうなら朝顔よりUDIラボの面々のほうが腕はいいと思うけど。クロスオーバーしすぎ

殺人事件が多発してとにかく伏線を張りまくって風呂敷を広げまくったのが第一章。そして第二章の反撃編で本格的な犯人探しに乗り出しました。反撃編に入って私がおもしろいと思ったのは、犯人特定のためのAIを作ろうってなったところです。謎だらけの交換殺人ゲームでマンション内はみんな疑心暗鬼になっていて、翔太くんは菜奈ちゃんという愛する伴侶を殺されて暴走しています。そんな状況ですから、感情や思い込みに左右されずに客観的に犯人を分析するAIがあればこんなに心強いものはないでしょう。

でも正直言ってこのAIって役に立った?

だって、翔太くんとどーやんが黒島ちゃんを問い詰めてるのとほぼ同時に警察側も黒島ちゃんにたどり着いてますからね。いらなくね? しかも交換殺人ゲームとは無関係の殺人については内山と黒島ちゃんの共同犯行だったわけですが、AIの分析では犯人はあくまでも黒島ちゃんで、内山の関与までは言い当ててなかったはずです(そもそもAIはマンションの住人しか分析してなかった)。

大学院生がボランティアで作ったAIだから確度が低くても仕方がないと言われれば、そうだ。むしろ黒島ちゃんを当ててるだけで充分すごいし、そのシステム、警察に売りつけて金稼いだほうがいい。ていうかどーやんをタダ働きでこき使ってる翔太くんは立派なサイコパスなので危険です。あとね、第一章のラストで菜奈ちゃんを殺したのは、ドラマの展開的に第二幕で翔太くんに犯人探しをさせるためだろうなと思います。菜奈ちゃん殺害に関してはどう考えても黒島ちゃんの犯行動機が弱い。

結果的に翔太くんと黒島ちゃんに利用されただけのどーやん、不憫すぎる。

愛がテーマになってるなら、どーやんの存在が黒島ちゃんに何らかの影響を与えて、途中から犯行手口が変わったりしたらおもしろかったと思うんですけどね。黒島ちゃんは刺殺、絞殺、毒殺、なんでもござれです。人を殺し慣れてるとは言ってもガリガリなのにどこに人を絞め殺す力があるのかは謎です。理系だし力学を応用してるって話なのか、それにしても無理があるような気がするが。

黒島ちゃんは快楽殺人犯ということですが、それなら毒殺ほどあっけない殺害方法はないのでは? 特に菜奈ちゃんのようにゆっくり眠るように死んでいくなんてつまらないんじゃないでしょうか。だから黒島ちゃんが人と触れ合うことを知って、逆に残虐性が高まった殺害方法になっていくとかもアリだったと思う。肉や血のあたたかさを感じたくなってしまった、みたいな。あっ日曜の夜に放送できなくなる。

人生を共にしたいと思っていた人を殺された翔太くんと、初めて本気で好きになった人が連続殺人犯だったどーやん。愛する人を失った点は同じだけど、相手の女性たちは殺人の被害者と犯人という関係。吉田修一も顔負けのとんでもなく激重の設定なのに、二人の表情はとても晴れやか。なんでだよ。チャペルで朗らかに「おめでとう」「ありがとう」じゃねえんだよ。なんか二人だけじゃなくてマンションの住人みんな全体的に軽いんだよな。あんな殺人事件に巻き込まれたら一生のトラウマだって。児島さんとか絶対つらいって。

翔太くんとどーやんがもっと落ち込んでいたならば、お隣さんとしてお互いを慰め合って協力し合って生きていく後日談だけでドラマが作れそうです。性格的にも結構いいコンビだと思うので、なんかバディものやればいいんじゃない……? まほろ駅前多田便利軒的なやつやればいいんじゃない……? でもそれやると絶対おっさんずラブ始まっちゃうよな。まあ世のおねえさまたちが喜ぶからいいか。



個人的な好みの結末を言わせていただくと、ただの冗談だったのに本当に殺人が始まっていつの間にか大事になってしまったってことで20話もやるなら、警察組織が絡むどでかい問題に発展するくらいまでやってくれないと困る。神谷刑事の周辺は若干その匂いがしてたのに。死に損。

そして袴田吉彦こと久住が二回も死にかけてしぶとく生きてるのはただ悪運が強いだけってことですね。

ことばにフェティシュがある軍人の話 『虐殺器官』


どうも、こんにちは。

去年末にこの作品を観たらすごくおもしろかったので即座に原作小説を購入したのですが、期待していたほどではなくて、長らく積み本になってたのを先ほどようやく読破しました。個人的には映画のほうが断然よかった。



虐殺器官(2015)

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アメリカ情報軍の特殊部隊に所属するクラヴィス・シェパード大尉は、元MITの言語学者で国防総省の言語プロジェクトにも参加していたジョン・ポールという男の暗殺を命じられます。ジョン・ポールには後進国で虐殺を扇動している疑いがかけられていました。


まず私が映画を観てすごくおもしろいと思った理由。

ミリタリー×言語学という最強コラボ。

またか、と思った方は無理しないでください。そっとページを閉じてください。今日も言語学オタクが飽きもせずいろいろ言うよ。

『虐殺器官』には言語学の話が最初から最後までひたすら出てきます。専門用語や難解な概念も多数登場します。アニメ映画を観てて「生得的文生成機能」なんて言葉が出てくるとは思いませんでした。ぶっちゃけこれは私も知らない単語でした。ていうか「生得的文生成機能」という言葉が正しい用語なのかもちょっと疑問なんですけれども、簡単に言えば、人の脳には生まれつき文章を作る能力が備わってるというものです。

例として作中で申し訳程度に触れられているのがクレオール言語っつーやつなんですが、説明が難しいのでウィキペディアから引用しますと「クレオール言語とは、意思疎通ができない異なる言語の商人らなどの間で自然に作り上げられた言語(ピジン言語)が、その話者達の子供たちの世代で母語として話されるようになった言語を指す。」とのことです。

アフリカから奴隷としてアメリカに連れてこられた黒人の第一世代は、単語も文法も規則的で単純な拙い英語でしゃべる。でもその拙い英語を聞いて育った彼らの子供たちは、誰に教えられるでもなくその英語を進化させて新しい文法を生み出したりして独自の言語を作っちゃってんの。すごくない?ってな会話を登場人物たちが繰り広げます。

言語学とかくそほど興味ない人からしてみればこいつらは一体何の話をしているのか、という鬼畜ハイスピードで進む会話。この会話をしているのは、原作では主人公クラヴィスと言語学者ジョン・ポール。映画ではジョン・ポールの代わりに彼の愛人であるルツィア。ちなみにルツィアもまたMITで言語学を専攻していた人なのでこの手の会話はお手の物なわけですが、日本語学を専攻して言語学のなんたるかをある程度理解しているつもりの私でさえついていくのがギリギリ。だってこのシーンの途中で一時停止ボタン押したもんね。

そこで思う。主人公クラヴィスって何者?って話な。

職業はただの軍人。しかし、スクラブル(盤の上で単語を作って得点を競うボードゲーム)では一度も負けたことがないと豪語し、子供の頃にはお母さんから「お前はことばにフェティシュがあるようね」と言われたことがあるほどの自他共に認める言語愛者だそうです。

ことばにフェティシュがある?????

なんて思い切ったこと言うんですか。この小説はおおむね主人公の一人称で書かれているので、そこに綴られている文章は「ことばにフェティシュがある人間の言葉」として読者は認識しますよね。つまり言葉にこだわりのある人間が語ってるわけだから、当然こちらのハードルは上がる。しかもキーキャラクターは言語学者ですよ? 自らハードモードに突っ込む原作者・伊藤計劃は、彼自身が言語学に明るいか、あるいは強心臓の持ち主か。

つまり伊藤計劃は言語学をちゃんと勉強した人間か、という疑問。

あくまでも私の推測ですけど、ノーですね。たぶん本格的には学んでないと思います。独学で本を数冊読んだとか、それくらいのものだと思います。本作で触れているのは主に文法論と認知言語学です。がしかし言語学というくくりの中には、音声学、語彙論、文字表記論など、他にも様々な分野があります。このへんにかなりボロが出てる気がします。

「良心、という語彙を使うからいかがわしくなってしまうのであってね」

というセリフがあります。これはジョン・ポールが発したものですが、「語彙」の使い方が間違ってます。語彙というのはあるひとつのまとまりやカテゴリーを表すものです。例えば「帽子」の中には、野球帽、ベレー帽、ニット帽、ハット、麦わら帽子などの種類があって、そのバリエーションのことを語彙と言います。だから「良心という語彙を使う」なんて言い方は不自然です。

言語学者っつー設定の人がこれ間違っちゃまずいと思うんだよな。学士しか持ってない私でも知ってるわけですから。キャラクターがアメリカ人だからこれは英語のセリフというテイを踏まえる必要があるとか、そういうことは無視します。フィクションなので。そんなん言ってたらキリないから。

それからこんなセリフもありました。

「チェコ語は基本的にロシア語やクロアチア語と同じ、スラヴ語圏に属しますが、そのスラヴ語の特徴である、それぞれの単語の、置かれた状況による語形変化のバリエーションが極端です。二百以上の語形変化を見せる単語もありますよ」

こちらはルツィアのセリフです。まず言いたいのは、スラヴ語じゃなくて、スラヴ語じゃない? 分布図的に言えばスラヴ語圏で合ってると思うけど、上記のような文脈だったらスラヴ語派のほうが自然だと思います。あとは言いがかりみたいになるけど、ロシア語やクロアチア語と同じっていう前置きが必要なのか疑問だし、二百以上の語形変化を見せる単語もあるって、二百以上ってところが言いたいだけだろ(ひねくれ者の意見)。

原作は結構ボリュームのある長編小説なので、このように言語学関連の話が出てくれば出てくるほど墓穴を掘るような、言語学をかじった人が頑張ってその知識を披露してるような小賢しさが見えてきてしまうのが気になりました。一方で映画のほうはというと、その長編小説をどうにか2時間にまとめるためなのか、先ほど申し上げた観客を置いてきぼりにするほどの鬼畜ハイスピードのおかげで小賢しさがきれいに吹っ飛んでいました。私が映画のほうがおもしろいと思った理由はきっとそういうところです。同ジャンルの小説としては高野和明の『ジェノサイド』のほうが私は好きですね。



では最後にもうひとつツッコんで終わります。この作品の根幹の部分です。ギリギリネタバレですが言います。

ジョン・ポールはある発見をしていました。虐殺には文法があって、大量虐殺が起きる直前には、指導者のスピーチ、ラジオやテレビの放送、新聞、そういうものに必ず決まったパターンが現れる、と。これは言語の構造に関わらない深層文法だ、とのことなんですが、それって具体的にどういうものなわけ???

言いたいことはわかる。要するに市民を煽ってRPGでいうところのバーサーカー状態にするってことでしょ。でもそれがどんなものなのか伊藤計劃は教えてくれない。ああ、あれね。その文法書いちゃったら読者が殺戮始めちゃうから書かないでおくねってやつでしょ。わかってるわかってる。でもそれならそうと書いてほしいよね。みんなのためにここには記さない、ってやつ。これは小説のセオリーじゃん。

主人公が選択したラスト的に「みんなのためにここには記さない」っていうのは矛盾が出てくるって考えの方もいるかもしれないけど、そんなのどうにでもできる。アメリカの外に住んでる人がこれを読む可能性もあるから、ぼくは遠慮しておく。彼らを傷つけたくはない。って、それでオーケー。

虐殺の文法ってアイデアは秀逸だと思うし、オチもおもしろいんですよ。でもだからこそもっと徹底的に調べて細部にこだわってほしかった。ただ伊藤計劃がこれを書いた時期のことを考えると調べるのに限界があったことも想像に難くないので、なんだかやるせなくなってしまいます。



いつも英語の発音がどうとか言って、今日は語彙がどうとかごちゃごちゃ言いましたが、私の専門は現代日本語の文法です。