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気晴らし細論

2019年06月の記事

日曜じゃなくて月曜から始まる 『セブン・シスターズ』


どうも、こんにちは。

本日は設定のユニークな近未来SFをご紹介。



『セブン・シスターズ』(2017)

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近未来、世界的な人口爆発による食糧難が深刻化し、一人っ子政策を打ち出したある国家が舞台です。食糧難の対策として遺伝子組み換えによって大量収穫が可能になった穀物が開発されますが、その穀物が人体に影響して多胎児が増えるというジレンマ社会に生まれた七つ子姉妹のお話。

七つ子の母は出産とともに亡くなり、父は行方不明ということで、母方のおじいちゃん(ウィレム・デフォー)が彼女らを育てるわけなのですが、まずこのおじいちゃんが只者ではありません。自称ボンクラのおじいちゃんは国家から隠れて七人を育て上げてるし、もちろん七つ子は社会的には一人の人間でIDもひとつしかないので、それをうまく共有させるために独自のシステムを開発しちゃってるんですよね。ボンクラどころか凄腕の技術屋じゃないですか。その技術を活かせる仕事したら荒稼ぎできると思う。

自称ボンクラで働いてる様子がないのに七人もの子供を育てる資金は一体どこから捻出しているのか、そして成長した七つ子はやはり一人の人間のふりをして銀行勤めしているので、たった一人分の給料で七人食べていけるのか、という部分が個人的には気になって気になって仕方ないのですが、そのあたりは気にするだけ野暮なのだと思います。

やっぱり近未来SFはアイデア勝負ですから、設定はシンプルであればシンプルなだけいい。外部からツッコまれまいと辻褄を合わせようとして細かい設定を加えると、ややこしくなっておもしろさが落ちるから。細けえことはいいんだよ精神で開き直るくらいがちょうどいいのかもしれません。本作に関しては、おじいちゃんは株か何かで稼いでいた、七つ子は高給取り、ということにしておきましょう。

さて、七人が一人のふりをして生きるその方法ですが、「曜日の数と同じじゃん!」とひらめいたおじいちゃんは、第一子から順番に月曜(Monday)、火曜(Tuesday)、水曜(Wednesday)……のように命名。七つ子が就学年齢に達すると「明日からはそれぞれ自分の曜日にだけ外出してよし!」と、週1の外出、週6の監禁生活を命ずるのでした。

ここでまた作品の大筋とは関係のない話で脱線するのですが、ちょっとした個人的な疑問です。

命名、日曜からじゃないんだね?

曜日の歌はサンデーから始まってサンデーカムズアゲインで終わるじゃん。

ええ、そうです。一週間って日曜から始まるんじゃないの?問題です。

近年、月曜始まりの手帳が増えてますが、私は日曜始まりじゃないと嫌なので毎年年末になると性懲りも無く声を荒げています。こちとら日曜が左端にないと気持ち悪いのよ。書き間違えるのよ。一日ずれちゃうのよ(ちゃんと日付を見て書き込めば済むだろ、というツッコミは受け付けません)。だって、考えてみてください。普通のカレンダーは未だ日曜始まりの勢力が根強いのに、なぜ手帳は月曜始まりにシフトしたのか。その妙な棲みわけは何なのか。私は「週末っつったら金土のことであって日曜は含まないだろ」推進派なのですが、悲しいかな、これは少数意見のようです。世間的には「週末=土日」派が大多数を占めるようです。

やれやれ。

そんなこんなで、月曜始まり急進派が多いのはてっきり日本国内の話だと思い込んでいたので、こんなところで海外にも月曜始まり文化があるのだということに驚きまして、少々調べてみました。するとなんと、日曜始まりはアメリカ式、月曜始まりはヨーロッパ式だということが判明。なるほど。『セブン・シスターズ』の監督トミー・ウィルコラはノルウェーの人だった。そういうことか。

ちなみに、イスラム圏では土曜始まりのカレンダーもあるらしいです。公休日が金曜で、お役所などは金土が休みなのだそう。つまりイスラム圏には「週末っつったら金土のことであって日曜は含まないだろ」推進派がいるということだな。仲間だ。

脱線が長くなりました。話を戻します。

一人七役というハイパー難しい役どころにチャレンジしているノオミ・ラパスさん。親しみを込めてノオミ姉さんと呼びましょう。かっこいいし、かわいいし、きつい感じがあるかと思えば少女のような可憐さもある。七人全員同じ顔だけど全然違う。誰が何曜日なのか最初はなかなかわかりづらいのですが、結構ビジュアルに特徴があるので、最初の二十分くらいを乗り切れば楽しい。私は赤毛の火曜が一番かわいらしくて好きです。

SFミステリーはネタバレ厳禁なので細かい話は避けますが、これだけは言わせてください。メインキャストを容赦なく殺していく。それがハリウッド。

ノオミ姉さんは、元祖ドラゴンタトゥーの女。つよい。

おいしいものを食べておいしい女になれ 『食べる女』


どうも、こんにちは。

いっぱい食べる君が好きって何年か前の某CMにありましたけれども、男でも女でも、いっぱい食べる人は気持ちがいいし、なおかつ食べ方がきれいな人は品があってすてきだと思います。当方、箸の持ち方がきれいな人と字のきれいな人には無条件に惹かれてしまいます(ちょろい)。



食べる女(2018)

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文筆家であり食にまつわる古書店を営むトン子(小泉今日子)のもとには、年齢や職業の異なる女友達が集まります。嫌なことやうまくいかないことがあっても、おいしいご飯を食べる。みんなで食卓を囲みながら、わいわい世間話をして夜が更けていきます。

タイトルの通り、女性がメインの作品で、幅広い世代の女優さんが集まっています。

キョンキョンこと小泉今日子、あっちゃんこと前田敦子、「別に」こと沢尻エリカ、長谷川博己とほぼ事実婚こと鈴木京香、小栗旬の出来すぎな嫁こと山田優、すずの姉こと広瀬アリス(ちなみに広瀬アリスと交際中のバスケットボール選手・田中大貴のことを私は友人との間でアリスと呼んでいます。いらん情報)、他にもシャロやんことシャーロット・ケイト・フォックスや、日本一綺麗な隣のお姉さんこと壇蜜など、バラエティに富んだキャストのみなさん。

脇を固める男性俳優も安心安定の布陣です。ユースケ・サンタマリア、池内博之、勝地涼、間宮祥太朗、小池徹平などなど。前田敦子と勝地涼は飲み仲間の設定なんですけど、いや夫婦じゃん、と誰もが思うことでしょう(撮影は結婚前)。それから山田優と間宮祥太朗はバーのママとバーテンダーという関係ですが、こちらもプライベートで親交があるらしい。なんでも間宮は小栗宅に遊びに行って酔いつぶれ、小栗と並んで寝ていたところを嫁の山田優が目撃。当時間宮は髪が長かったため、山田優はこいつ(小栗)ついに女を連れ込んだな、と思ったそうです。しかしバーのママやってる山田優は美人だ。そしてスタイルがいい。

さて、この作品では登場人物みーんなおいしそうにご飯を頬張ります。そこにフォーカスした映画だから当たり前なんだけど、一に美容、二に美容、三四が美容で五に美容、みたいな綺麗な女優さんたちが手づかみで菜の花や手羽先を食べている。とにかく食べっぷりがいい。女性がご飯をもりもり食べる姿って、なんだか平和と活力の源って気がするな。

私は男兄弟がいないけど父がよく食べる人なので、男はいっぱい食べるものというイメージがあったのですが、同年代の男友達はどういうわけか全然食べません。むしろ女友達のほうがよく食べる人ばかり(類は友を呼ぶってやつか)。近年は女性の社会進出も一般的になって、ジェンダーレスとかいう言葉も出てきて男も女もなくなってるから、女の人がたくさん食べて英気を養って元気に活動する姿はすごく今の時代を反映してるというか、明るい光がさしてるように思える。ほら、「いい村は女が元気だと聞いています」ってアシタカも言ってるし(アシタカ大好き妖怪)。

ただし作品全体として「女たちよ、強くあれ」みたいな傾向が強すぎた感は否めない。キャラ設定がちと偏ってた。主要の女性キャラクターは、離婚した女が2人、別居中の女が1人、あとはみんな独身。1人くらいは母として妻として結婚生活奮闘中のキャラがいてもよかったのでは?

それから、勝地涼演じる白石が「この人は "半分女" みたいなものだからね〜」と言われていたところも疑問です。そこに差別的な意味が含まれていないことははっきりしているのですが、それにしても、母亡きあと男所帯で家事を担当する主夫であり、イケメンのバーテンダーに恋してるから、というだけで "半分女" と称されていることには違和感を覚えました。特にオネエっぽい感じでもなかったし、「家事をやること」や「男に恋すること」が、イコール「女である」という固定観念が透けて見える。せっかくの明るい映画だったから、そのへんが少し残念だった。

あとはね、料理屋の女将役の鈴木京香が着ていた着物がとてもかわいくておしゃれだったので、それについてはまた後日機会があれば取り上げたいと思います。




『かもめ食堂』(2005)、『めがね』(2007)、『食堂かたつむり』(2010)など、おいしそうな和食がたくさん出てくる邦画はいろいろあります。私も最近その手の作品を観た気がするんですが、何だったか全く思い出せません。具のいろいろ混ざったおにぎりを握ってたと思うんだけど、ドラマですかね?

問題児というよりむしろすごくまともな人だった 『ダンサー、セルゲイ・ポルーニン 世界一優雅な野獣』


どうも、こんにちは。

本日は、ウクライナ出身のバレエダンサーのドキュメンタリー映画をご紹介します。


ダンサー、セルゲイ・ポルーニン 世界一優雅な野獣(2016)

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以前からセルゲイ・ポルーニンという名前と、なんかすげえダンサーらしいということだけは知っていて気になってた作品です。

私自身はダンスの類は一切経験がないのですけれども、見るのは結構好きでね、特に男性が踊るバレエ、ジャズ、モダン系のダンスにどういうわけか惹かれます。指の先まで神経の行き届いたしなやかな動きがね、あれ、この人たち重力無視してないか?みたいな動きがね。

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こういうやつです。わかりづらいか。



さて、セルゲイ・ポルーニンといえば、バレエ界の天才にして問題児、みたいなお触れ書きが定番になっていますが、ドキュメンタリーを見る限り、その問題児の部分というか悪い意味の "やばさ" を全く感じなかったのが個人的な印象です。

彼は史上最年少の19歳で英国ロイヤル・バレエ団のプリンシパルに抜擢され、その後コカイン、タトゥー、夜遊び、練習サボりなどの行動が問題視される中、突如23歳の時にバレエ団を自ら退団したという経歴があります。これだけ見ると、天才は孤独で誰にも理解されず、数々の問題行動も彼の境遇がそうさせた、みたいな感じがあるじゃないですか。私も作品を観る前はそんな感じだと思っていたのですが、実際は違いました。

セルゲイ自身と周囲の人たちの言葉から、彼がバレエ団をやめたのは単に目標や意味を失ったからだとわかります。

例えば、ポルーニン一家はセルゲイをバレエ学校に通わせる学費を作るために出稼ぎでばらばらになっていました。彼は自分が稼げるようになればまたみんなで暮らせると思ってたのに、両親の離婚によってそれも叶わなくなります(加えて、実際にプリンシパルになっても収入はそう多くなかった)。

セルゲイは入団してすぐに第1ソリストになり、そこから瞬く間にプリンシパルまで上り詰めます。劇中で彼のバレエ学校時代の同級生が話していますが、バレエ団にいる人間は誰もがプリンシパルになることを目標にします。逆に言えば、プリンシパル以上はないわけだからそこにたどり着いたことで目標を失ってもおかしくないし、金メダリストになったアスリートが燃え尽き症候群になったりするのを考えても自然なことでしょう。

セルゲイ本人が「家族は一番大切なものだ」と語ってたし、関係者の談で「彼は家族に会えなくて満たされない部分をファンからの愛で埋めていた」というのもありました。孤高を愛する者というわけではなさそうです。コカインについては、体が痛かったり疲れていてもこれをやれば高く飛べる的なことを言ってて、バレエを愛するあまり突き詰めたらそこに行ったんだなって感じです。ドーピングみたいな。アカンことには違いないけど。

彼は問題児扱いされてるけど、実はすごく真っ当な感覚の持ち主なのではないかと思います。これは劇中ではなく、ネットのインタビュー記事で拝見したものですが、彼はこんなことを言っています。

・1日14時間、週6日も働かせる業界なんて他に聞いたことがない。公演は年間120回あって、そこにリハーサルも加えたら数知れない。

・俳優やアスリートにはエージェントがいるけどバレエダンサーにはいない。出演料の交渉もできないし、質問することさえ許されない。

・バレエは常に誰かのポジションを誰かが狙ってる。誰かが怪我したらデビューできる。競争ばかりで他の大切なことが失われている。

めっちゃまともじゃん。

一般社会で言ったら、仕事のできる優秀な若者がブラック企業に早々に見切りをつけて転職しただけの話。現在セルゲイは俳優として映画に出演したり、バレエダンサーをサポートするためのプロジェクトを始めたり、ダンサー以外の仕事にも取り組んでいるようです。



では最後に、劇中にも登場する、セルゲイが『Take Me to Church』に乗せて踊った動画について。彼が跳躍する時にカメラも一緒に上に動くんですけど、それやっちゃうとどれだけ飛んでるかわかりづらいんだよね。英国ロイヤル・バレエ団時代の引きの映像で見るマネージュ(ピケターン?)が、やっぱり一番すごさが伝わると思います。

『ベティ・ブルー』が全然わからない


どうも、こんにちは。

前回思わず「わかる〜〜〜〜〜」と言ってしまう作品をご紹介したので、今度は逆に全然まったくわからなかった作品についてお話したいと思います。評価される理由はなんとなくわかるし、根強いファンがいるのもまあわかるし、ただ恋愛脳が皆無な小生にはお手上げだったというだけなので、要するに好みの問題ですね。



ベティ・ブルー/インテグラル完全版(1992)

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作家志望のゾルグ(ジャン=ユーグ・アングラード)と彼のもとに転がり込んできた天真爛漫なベティ(ベアトリス・ダル)による胃がもたれるくらいにベッタベタなメロドラマです。『ベティ・ブルー 愛と激情の日々』(1986)のディレクターズカット版ということで、オリジナル版よりも約1時間増量して3時間越えとなっております。

ディレクターズカット版だから仕方がないと言えば仕方がないけど、ラブストーリーで3時間越えっていうのがもう……。じゃあなんで観た。

さて、映画って、そこまでやっていいんだ?ってくらい裸とか写しまくるじゃないですか。全部見えてますけど大丈夫ですか、ってくらいモロだったりするじゃないですか。さすがに10代の頃は「おいマジか」って思ってたけど、最近もうその手の映画に慣れてしまって自分の中のフィルターがバカになってるのか、何も感じなくなってきてるんですよね。『ベティ・ブルー』も公開当時には物議を醸したくらい過激と言われてますが個人的には「へえ、そう」くらいの感じです。

内容はというと「愛と激情の日々」という副題の通り、とにかく激情の日々です。ベティがエキセントリックでメンヘラでゾルグへの愛が重めのやばい女なわけですが、最終的には今でいうところの統合失調症を疑うくらいおかしくなっちゃってるので、病的というよりはガチの病人です。でも一番の問題はベティよりも、ベティの数々の問題行動を目の当たりにしても引かないどころかますます惹かれちゃってるゾルグのほうでしょうね。

激情型のベティの問題行動
・無理難題を押し付けてきた大家の車にペンキをぶちまける
・飲食店でバイト中、気に入らない客の腕にフォークを突き刺す
・ゾルグの小説をこき下ろした編集者の家に乗り込み、怒鳴り散らした挙句に櫛で顔をひっかく
・ドアのはめ込みガラスを突如素手で割る

暴力性が突出してやばいんですよ。カッとなってこんなことやられたんじゃたまらないね。ベティは女だから暴れても周りの人が羽交締めにして抑えられるけど、もし男だったら手がつけられなくて少年院行きだと思う。それくらい凶暴。

それからゾルグとベティは基本的に頭の中がお花畑。物語中盤、妊娠検査薬で陽性が出て大喜びする2人。ちょっといいディナーなんかしたりしちゃって、まだ性別がわからないからということでゾルグは子供服を黒いのと赤いの1着ずつ買ってきちゃったりして、大いに祝福ムードです。で、その後のベティのセリフです(うろ覚えなのでニュアンスが違うのは悪しからず)。


「明日病院に行ってくるね」


いや、行ってなかったんかい。


それでどうして呑気に祝えるんだ。ていうかゾルグは男か女かわからないからって2着買うな。2着買っちゃったら男女の双子でない限りどっちかは着ないってことじゃん。買うなら黄色とかにしとけ。ごめんなさいね、おつむ弱い系のやつにはイライラしちゃうんで。

結末についても美しい最高のラストだって評価が多いけど、美しさのポイントがわからなかったっす。以下、思いきりネタバレしてるのでご注意ください。





気が狂ってしまったベティを見かねて、ゾルグは「俺たちはずっと一緒だ」なんつって、ベティを手にかけちゃうわけじゃないですか。それで自分も後を追うのかなって思ったら、その後たばこ吸いながらちゃっかり小説書いてんすよ。


勝手すぎるわ。


おそらくゾルグはベティの話(もしくは自分とベティの話)を書いてるんでしょう。なんやそれ。

こうなってくると、最初はベティがやべえメンヘラ女なんだと思ってたけど、だんだんゾルグのために身を滅ぼしたようにも見えてきて(もちろんベティの自業自得でもある)、だって劇中でベティの誕生日を祝うシーンがあるんですけど、ベティやっと二十歳になるんですよ。そしてゾルグは三十代。十代の子に手を出す三十過ぎの男はやばいだろ。

そもそもですよ。ゾルグって小説家志望だし、もしかしてベティはゾルグの書いた小説のヒロインなのかなとか想像し始めるともう収集がつかなくなりますのでこのへんにしておきます。



ところで、ベティを見ててひとつ思い浮かんだのが、矢沢あいの『NANA』です。

私が『NANA』を初めて読んだのは小学生の頃だったんですが、当時は、大人ってこういう感じなのか、くらいに思ってました。少女漫画にしては対象年齢が高めなので、せいぜい半分くらいしか内容理解してなかったと思います。それで、自分が主人公の「なな」2人と同じ二十歳になった頃に改めて読んでみたら、こいつら馬鹿かよ、と思いました。

どいつもこいつも恋に溺れすぎ。まともなの淳ちゃんと京介くらいでしょ。他の登場人物が派手な恋愛を繰り広げるあまり、淳ちゃんと京介が熟年夫婦みたいになってるけど、実際あんなもんだよ。ハチは半年の間に彼氏が3人替わり、結婚までしてるからな。しかも追っかけてたバンドの推しメンと。なんじゃその夢物語は。

ハチは恋に恋する典型的な恋愛体質だし、クールに見えるナナも精神的なもろさはハチ以上で、一度信頼した相手にはとことん依存する女。2人の性格を混ぜてちょっと猟奇的にしたらベティになるでしょ。