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気晴らし細論

2019年04月の記事

話題のアベンジャーズをスルーしようとしている話


どうも、こんにちは。

先に断っておきます。本記事はアベンジャーズのレビューではありません。おもしろい!最高!とめちゃくちゃ評価の高いアベンジャーズをスルーしようとしている話です。

今月頭頃、ある知人との間でこんな話題がのぼりました。

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『アベンジャーズ』シリーズを観るのか、観ないのか。


『アベンジャーズ/エンドゲーム』(2019)なるものの公開が迫り、全世界のマーベルファンが期待に胸を踊らせる中、本シリーズにノータッチで来ていたその知人と私は、エンドゲームを観るとなると過去作品の予習が必要だよね、と思案していました。

私「ちなみにマーベル作品(MCU)って今までいくつあるんですか?」
知人「アベンジャーズシリーズは今回が4作目。マーベル全体だと22作目です」

うん、やめよう。

この時すでに公開まで3週間を切っていました。仮に毎日1本ずつ消化する強行スケジュールを組んでも公開に間に合わない。『ドクター・ストレンジ』(2016)、『スパイダーマン:ホームカミング』(2017)、『ブラックパンサー』(2018)、『キャプテン・マーベル』(2019)は鑑賞済みだから残りは17作だけど、流れを把握するには全部観直したい(まあ別に公開に間に合わせる必要はないんだけど)。

それでですね、先日、1作目の『アベンジャーズ』(2012)が地上波放送してたので冒頭をチラ見したんですよ。本編の前にさらっとキャラクター紹介があり、サミュエル・L・ジャクソンを発見しました。そういえばこの人『キャプテン・マーベル』に出てた。もしや別人役? 何考えてんだマーベル。なんて思っていたら、ニック・フューリーという役名テロップが。え、同じ人じゃん。

そうなると、もう

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ここから

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ここへの経緯が不明すぎてストーリーが全然頭に入ってこない(なんなら時系列とかよくわかってないから、眼帯のほうが先で眼帯なしが後かと思った)。うっかり『キャプテン・マーベル』を観てしまったばっかりに、ニック・フューリーのビジュアル変化に気が散って全く集中できない。しかもその疑問を解決するには21作観ないといけないわけでしょ。

無理だ(大の字)。

だって3週間かかるもん。



しかもMCUには3人のクリスが出てくるまさかのトラップもしかけられてるしなあ(過去記事参照→洋画好きのための用語集【その1】)。

例えば、自他共に認める一番セクシーなクリスことクリス・ヘムズワースはソー役をやっているわけですが、ソー役のクリヘム見たらたぶん笑っちゃうなあ。私は数日前に『ホテル・エルロワイヤル』(2018)を観たので、新興宗教の教祖がハマりすぎててそのイメージで固まってしまった。

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現代に降り立ったジーザスクライストさながらの教祖クリヘム(なぜか常にシャツの前が全開)。

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ご覧のように『ホテル・エルロワイヤル』は教祖クリヘムが絶妙に気持ち悪いのが見どころです。断言します。



ところで全く関係のないくそ真面目な話をするけど、学者の落合陽一が新興宗教って単にそれだけではまったく悪じゃないのに、オウム真理教の事件があった日本では「新興宗教=悪」みたいなイメージが国民に刷り込まれてしまって、それがすごくもったいないというか残念なことだと思う、と言ってたのは本当にその通りだなと思います。落合陽一はカリスマ。いきなりどうした。



脱線しました。

私の父はMCUを全部チェック済みらしく、先の地上波放送を観ていた際にはいろいろと説明してくれました。

私「ソーって何者?」
父「神」

Oh, ジーザスクライスト。



当方、あまのじゃくな人間なので、世間が忘れた頃に突然思い立ってMCU22作に手をつけるはずです。大体3、4年後にアベンジャーズ超おもしろいんだけど!?とひとりで盛り上がってる輩がいたらたぶん私です。

宮崎駿は大事なことを端折りがちである、としっかり肝に銘じる


どうも、こんにちは。

先日『風立ちぬ』地上波放送されてましたね! みなさん観ましたか? 私は今回が初見でして、これ6年も前の作品なのかよ!と驚愕しています。

世間では主人公・堀越二郎の声を務めた庵野秀明がひどすぎると言われていますが、個人的には堀越二郎の同僚・本庄役の西島秀俊の声がそのまま西島秀俊でちょっとなあと思いました。だってあれは本庄じゃなくて西島秀俊だもん。



風立ちぬ(2013)

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飛行機が大好きな少年・堀越二郎は飛行機の設計士となる夢を抱き、やがてその夢を叶えるべく大学で設計を学びます。そして卒業後は三菱に就職。戦闘機開発部門のエースとして頭角をあらわします。


話が進んでくると、美しい飛行機を作りたいと言い続けた人が零戦を作りましたって流れか、なんて残酷なんだ、宮崎駿はえぐいことするなあ、と思えてきて、勝手に暗い気持ちになっていたんですね。さらに途中で菜穂子との恋が急展開して、めちゃめちゃほのぼのしたかわいいカップルなのに、菜穂子は結核を患っている身なので近い将来死んでしまう。ああこれもつらいやつ。やめろやめろ。この流れは最後めちゃくちゃ泣かせにくるやつだ、やめてくれ、と思ってたら、最後すーんって猛スピードで通り過ぎて行った。240ノット出てた。

私は本作を「零戦を設計した男の話」と認識していたので、当然太平洋戦争に関する描写があるんだろうなと思っていたのですが、それが一瞬でした。戦前の不穏な空気は始終漂いつつも、開戦から終戦までは最後の数分だけ、二郎が夢の中で語るほんの数行のセリフだけで駆け抜けます。

ただ美しい飛行機を作りたいと願った人が零戦を作り、敵味方関係なく大勢の人を死なせてしまった皮肉。その葛藤が「最後はズタズタでした」「一機も帰ってきませんでした」だけではあまりにも足りないのではないか、と思いました。コピーの「生きねば」がどうにも刺さってこない。宮崎駿は、これくらい誰でもわかるでしょ?というスタンスで必要な描写をかなり端折る人だけど、やはり今回も端折りすぎだろ、やれやれ、と思ってた。

ごめんな駿、おれが間違ってた。

宮崎駿は子供向けの作品でさえメタファーを多用するせいで難解なのに『風立ちぬ』は珍しく大人向けの作品ですから、そりゃあわかるわけがなかったよ。でも解説やレビューを読んでみたら、端折ってはいるけど本当に最低限の必要なことはちゃんと描かれてるんだと判明しました。「生きねば」の意味はちゃんと描かれています。


まず、作品の冒頭でポール・ヴァレリーの詩が映し出されます。日本語は本作のモデルの1人である堀辰雄の訳です。

「風立ちぬ、いざ生きめやも」

「いざ生きめやも」は反語なので「風が立った。生きてみようか(いや無理だよなあ)」という具合になるそうです。ちなみに原語を直訳すると「生きてみなければならない」というニュアンスらしいので、誤訳だ何だという論争があるみたいですが、それについてはひとまず置いておきます。

「生きてみようか、いや、無理だよなあ」

早い話、「生きていけねえよ」と言っているわけですね。そこで重要なのがラストの夢のシーンです。堀越二郎は、病で先立った妻・菜穂子から「生きて」と言われ、勝手に敬愛する師匠カプローニさんには「君は生きねばならん」と言われる。いいですか、これは堀越二郎の夢の中です。夢というのは本人の潜在意識や願望が反映されるものです。生きろと叱咤されるということは、つまり堀越二郎は死のうと考えていると言える。そして生きることを許してもらいたがってるとも言えるかもしれません。

あんなに飛行機が大好きで、仕事が大好きで、妻のことも大好きで、そんな人が妻を失い、自分の作った飛行機で多くの人が死んでしまって平気なはずがないじゃないですか。失意のどん底にいるに決まってる。堀越二郎(庵野秀明)が棒読みなのであまりへこんでないように見えるけれど、「実は堀越二郎は死のうと考えてる」ということさえわかれば、彼が悔恨や絶望や罪の意識に苛まれていることは充分伝わります。だからそこをもっとはっきり描いてくれればいいのに。


堀越「生きてみようか、いや、無理だよなあ(絶望)」

菜穂子「生きて」
カプローニ「君は生きねばならん」

堀越「生きねば(キリッ)」


こういう流れですね。すっきりした。

宮崎駿は大事なこと端折りがちってわかってたのに、一瞬でも浅いなと思ってしまった自分が情けない。でもまだ一回しか観てないから許してほしい。宮崎駿は何回観てもわからないことが多いから。

そもそも「宮崎駿は大事なところを端折る」というのを私がどこで知ったかというと、他でもない『もののけ姫』(1997)であります。ということで、突然ですがここからは『もののけ姫』の話にお付き合いくださいませ。

さて、超序盤の何かと取り沙汰される問題シーンです。

タタリ神と対峙した時に負った呪いのせいでアシタカは村を出なければならなくなり、そこへ許嫁のカヤが走り寄ってきます。一族の掟により、アシタカは二度と村へ帰ってくることはできません。今生の別れです。カヤは黒曜石でできた小刀(ペンダントのようなもの)をアシタカに手渡して言います。

カヤ「いつもいつも、カヤは兄様のことを想っています」
アシタカ「私もだ。いつもカヤを想おう」

アシタカめちゃめちゃハンサムに、爽やかに言います。今生の別れなどではないかのように。もしかしてアシタカってカヤのこと何とも思ってないんじゃないの? という疑いすら持ち上がるほど爽やかです。目を潤ませるカヤとは対照的に凛々しすぎるアシタカ(さらにこれが問題視されるのは、アシタカがカヤからもらったこの黒曜石の小刀を後にサンへあげてしまうからなのですが、それについては本題から逸れるのでノータッチで)。

そして村を出た次のシーンでは、ヤックルとともに日本列島をやはり爽やかに縦断してるアシタカがいます。すんなりと運命を受け入れて旅に出て、第二の人生を始めたように見える。でもね、見えるだけなんだよね。私は偶然ネットで岡田斗司夫の記事を発見し、大変に驚愕しました。

岡田さんいわく、アシタカは文句も言わず掟に従って素直に村を出ますが、本心では「なんで俺がこんな目に遭わなくちゃいけないんだ!」と腸が煮えくりかえっている、とのこと。確かに、アシタカがタタリ神を討ったことで村が守られ、女の子たちも助かったのに、英雄となるはずの当の本人は死の呪いを負い、さらには村を追い出されることになる。なんたる理不尽。アシタカは全然納得行ってないけど、許嫁の女の子には泣いたり喚いたりする姿を見せたくなくて精一杯気丈なふりをして笑ったものだから、ことのほか嬉しそうな感じになってしまってるのだとか。


まさかのカラ元気!!!!!!!!!!!


ものすごく器用に何でもこなすアシタカが、まさかそんなに不器用な青年だったなんて、わかるわけがなくない? 怒りに打ち震えてる描写がどこにあったよ。なあ、宮崎駿よ。それからもう一つ、聞いてねえよそんなの案件なのが、例の爽やか日本列島縦断シーンです。荘厳な音楽と美しい風景が旅の始まりを盛り上げるわけですが、宮崎駿は音楽や背景のスタッフにこんな注文をしたそうです。

「アシタカの心の中は絶望と怒りと悲しみで真っ黒になってる。そんな彼には最高の朝をあげたい」

朝っていうのがとても粋じゃありませんか。しかしこのシーンも一瞬で過ぎ去るので、もっと強調してもいいと思うんです。だって将来は一族の長となるはずだった17歳の青年が絶望と怒りと悲しみを抱えて旅に出るんだぜ。なんだろう、目頭が熱いな。

アシタカは真っ黒な心を浄化するまで一体どれだけの時間がかかったのかな、と思って簡単に検証してみました。当時エミシの一族が暮らしていたと思われるのがざっくり青森県あたり。そしてタタラ場の舞台とされているのが島根県。その間、大体1200キロメートルほどあります。ヤックル(エゾシカ)が1日でどれくらいの距離を移動できるのか資料がないので、とりあえず徒歩の場合で計算してみます。江戸時代の一般男性は1日35〜40キロほど歩いたそうなので、1200÷40とすると30日で踏破できます。ヤックルに乗ったらこれよりは気持ち速めだろうということで、仮に25日くらいとしておきます。

1ヶ月足らずじゃ絶望も怒りも悲しみも浄化できるわけないじゃん。

ジコ坊と粥を分け合った時も、甲六を助けた時も、サンに遭遇した時も、内心では怒りに打ち震えていたかもしれない。で、その後、アシタカはタタラ場でエボシに会うわけです。タタリ神を生み出した元凶。ひいてはアシタカの呪いの元凶。そう考えると、エボシに「賢しらにわずかな不運を見せびらかすな!」と言われた時のアシタカの心情よ。

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そりゃ殴りたくもなるわ。

エボシがいなければ、エボシが石火矢でナゴの守を痛めつけなければ、アシタカは呪いを受けることなく村で平穏に暮らせたんだから。エボシがどんな壮絶な人生を送ってきた知らんけど、アシタカも大概だかんな。肝に銘じておけよ、エボシ。





メガネを外した堀越二郎は、意外にもアシタカに負けない豊かな眉毛とパッチリ目をお持ちで男前である。そして言動もかなり男前なところがあるので、ジブリのヒーローではアシタカの次に好きかもしれません。

シャラメ君の「huh?」のキレについて 『ビューティフル・ボーイ』


どうも、こんにちは。

本日は先週公開が始まったこちらの作品です。



ビューティフル・ボーイ(2018)

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ドラッグ依存症に苦しみ、何度もやめようと試みては再発を繰り返す息子ニック(ティモシー・シャラメ)と、そんな息子を心配し助けようと必死になる父デイヴ(スティーヴ・カレル)の話です。

息子は薬をやめたいがやめられない。父は息子を助けたいが助けてやれない。2人してイライラしてぎくしゃくして、というのがだらだら続くので、作品としてはちょっと冗長かなと思います。薬に手を出してしまった入りの理由はなんとなくわかるけど、たびたび更生しかけては元に戻ってしまうニックの心情の描写が足りないのではないかと。ただの甘えたで弱いやつ、みたいな感じになってしまってる。

更生ミーティングの中でニックがこんな話をします。セラピーを受けて、君の抱える問題は薬物やアルコール依存じゃなくて何か別のところにあるはずで、薬物はその問題から逃げる方法にすぎないと言われた、だから僕は自分に開いた大きな穴をどうやって埋めるのか考えなければならない、と。

それなのに最後の最後まで薬やってて、穴が埋まる過程を描いてない。この作品は実話なので(最近実話の映画やたら多くね?)、本物のニックは8年間断薬を続けつつ、今現在も依存症と闘っていることや、依存症克服を支援する団体の活動などについて、最後にテロップが流れて終わります。

でもそれテロップで片付けたらだめじゃない?

克服するまでの過程を、せめて克服の兆しが見えるところくらいまでは描くべきじゃない?

ニックは読書好きで文才もある設定なんだから(現在ニックはNetflixドラマの脚本家として活躍中)ニックの書いた詩や文章を登場させるとか、そういうのがあったほうがよかったのでは……と思ってしまいます。途中、ニックの書いた日記が登場する場面はありますが、正直言って文章よりも狂気に満ちた気持ち悪い絵のほうがインパクトがでかいです。あれ、文才じゃなくて画才……?

ちなみに、ニックの好きな作家であるチャールズ・ブコウスキーの詩をエンドロール中にティモシー・シャラメがひたすら朗読してくれるのがこの作品のハイライトですので(え?)、皆様このボーナスラウンドは必見です。最後まで観るのが吉です。



ではここから私のツボだったポイントをご紹介いたします。巷ではティモシー・シャラメとスティーヴ・カレルのバチバチの演技対決だ!と言われているシーン。カフェの窓際の席で父子が言い争うシーンです。

ニックが更生施設を抜け出して行方不明騒ぎを起こした後の再会なので、会話の滑り出しはぎくしゃくしています。そしてニックは挨拶もそこそこに、まあ元気にやってるけど金貸してくんない? と切り出します。その金で何をするかデイヴもわかってるので、お前の頼みは聞けない、ときっぱり断ります。そして意外にもOKとあっさり了解するニック。

「わかった。200ドルでいい」

了解してなかった〜。その後も一向になびく気配のない父にしばらく食いさがるニック。口を開けば金。笑うところではないけど、金をせびり続けるからちょっとおもしろい。

ただここ少し気になったことがありまして、ネットで発掘した台本を見ると「金を貸してほしい」の部分は「I feel like I'm doing well, but I just need a few hundred bucks though.」で、「200ドルでいい」の部分も「It's just a few hundred bucks.」としか言ってません。

字幕ではわかりやすく改変してるとしても、具体的に200ドルという数字を出すとかなりニュアンスが変わってくる気がするんですよね。OKテイクのセリフが台本通りじゃない可能性もあるから何とも言い難いけど、もしかするとニックがしつこく食いさがってるのも字幕版の改変で、原語ではもっと違うニュアンスなのかもしれません(謎の単語「bucks」についてはこちらをどうぞ→洋画好きのための用語集【その1】)。

さて、そんなこんなでとにかく金がほしい息子と、息子のことを理解するためにとにかく会話をしたい父の攻防が続きます。やがてニックは怒りを露わにし、父さんは何でもコントロールしたがる。俺のこともそうだ。自慢の息子だったのにこんな風になって恥ずかしいんだろ? と父を詰ります。こうなるとニックはお父さんが何を言っても聞かない。目を細めて眉間に皺を寄せながら言います。


「What the fuck are you doing, huh?」


聡明で物静か、儚げなイメージさえあるティモシー・シャラメ君のキレ演技。ちゃんと聞き取れたわけじゃないので上記のセリフが正確かどうか微妙なのですが、ここで重要なのは「huh?」なんで。これって日本語にはない発声じゃないですか。ガン飛ばす時に「ああ?」とか「あぁん?」とかはあるけど、似てるようで違うんですよ。日本語の「あぁん?」は全部の音が声帯を震わせて出す有声音だけど、英語の「huh?」は「h」が声帯の震えない無声音(簡単に言うと息だけで出す音)だから、息の量が多めの発声なわけです。

ジーザス。

ティモシー・シャラメに強めにキレられたい人生だった。

えー、気持ち悪い発言してる自覚はあります。が、気持ち悪いついでにもう一つ。大学進学にあたってニックが寮に入居した際、ルームメイトは趣味がイマイチだな、と同行してきた父デイヴがそのルームメイトの持ち物であろうCDを見て言います。それに対し、俺が教育するよ、と冗談っぽく答えるニック。

教育されてえ〜。

ティモシー・シャラメにそういうこと言わせる監督や脚本家の趣味だよな〜。だって素のシャラメ君は自虐かましちゃう根暗気質だからそういうこと言いそうもないもんな〜。

このブログ、ありがたいことに身内も読んでくれてるんですけれども、こんなに性癖を晒していいものかと考えましたが時すでに遅しということで開き直ります。ジョージ・マッケイの妹になりたいとか、佐藤健の着流し×ポニーテールの色気がすごいとか(るろ剣続編公開決定のニュース出たね)最近ひどいことばっかり言ってる。

超ヘテロっぽい発言しまくってて気持ち悪いから取り繕うみたいになるけど、劇中ニックと一緒に薬やって過剰摂取で死にかける女の子役のケイトリン・デヴァーはかわいそうな役やってるところしか見たことないので、いい加減にキラキラの主人公やってハッピーエンドで幸せになってほしいです。←




最後に。ニックとデイヴは、別れや再会でハグをするたびに「すべて(everything)」と言い合います。デイヴがニックをどれほど愛しているか、この世にあるすべての言葉をかき集めても表しきれないってんで、「すべて(everything)」という言葉で伝え合うようになったのですが、なんだか西加奈子の『サラバ』みたいだなあと感慨深かった。

第152回直木賞受賞作『サラバ』おもしろいよ(突然の布教)。

ジャングルの王みたいな服のピアニストと百獣の王みたいな性格の運転手の話 『グリーンブック』


どうも、こんにちは。

本日ご紹介するのは、2019年アカデミー作品賞を受賞したこちらの作品です。



グリーンブック(2018)

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1962年のアメリカ・ニューヨーク。腕っ節の強さと得意のハッタリでナイトクラブの用心棒として重宝されているトニー(ヴィゴ・モーテンセン)は、店の改装閉店に伴って一時的に無職に。しかし周囲の口利きもあってピアニストのドクター・シャーリー(マハーシャラ・アリ)に運転手として雇われることになり、2人は8週間のコンサートツアーの旅に出ます。

渋くてかっこいいといえばこの人でお馴染みのヴィゴ・モーテンセンが出てるということでずっと観たいと思っていたのですが、公開から1ヶ月もたってしまいました。

どの作品でも全裸になりがちなヴィゴ・モーテンセン、今作では露出控えめです。なぜなら小太りだから。いや小じゃないわ。かなり腹出てた。実話をもとにした話なので、モデルの人物に寄せたんですね。あらゆるトラブルを迫力と腕力で解決し、ピザをホールのまま丸めてかぶりつくような大食漢ということで、いつもより2まわり、3まわりほどサイズアップしています。

まあ早い話がデブなんだけど、それでも一挙一動がどうにもかっこいい。たぶんそれは過去記事ヴィゴ・モーテンセンはアウトローをやってもスマート 後編 『イースタン・プロミス』の通り、スマートさが隠しきれてないからだろうな。学がなくて荒っぽい性格のトニーだけど、要所要所で地頭のよさがうかがえるわけです。

例えば食事中、ドクター・シャーリーに味はどうかと聞かれ「しょっぱい(salty)」と答えるトニー。個人的にこのsaltyの発音もめちゃくちゃツボだった(わたしは言語学オタク)。 塩を入れると塩味しかしないから、他の調味料を入れて味をつけるもんだ、とすごいまともなことを言う。ただの大食いじゃなかったんだな、君。

他にも、トニーの苗字の「バレロンガ」は発音しづらいから、このツアー中は初対面の人でもわかりやすいよう愛称風に短く呼ぶのはどうか、とシャーリーに提案されますが、トニーは断固拒否。あんたの客は教養のある連中なのに、たかが「バレロンガ」が発音できないのか?と言って黙らせます。

トニー、普通に頭良くね?

そもそもハッタリがうまいってことは頭の回転が速いってことだしな、と劇場の暗闇の中で納得する私であります。ちなみにトニーはイタリア系アメリカ人ということでイタリア語のセリフもあり、マルチリンガルなことで有名なヴィゴ・モーテンセンはその語学力を遺憾なく発揮しています。



さて、本作は人種差別などにも触れつつ大枠はコメディであると風の噂では聞いていましたが、思っていた以上にコメディだった、というのが私の印象です。一番おもしろかったのはフライドチキンのくだり。話の本筋には関係ないので、ネタバレすることをご容赦願います。

ツアー中、ケンタッキー州へ入ったところで、ケンタッキーっつったらフライドチキンだろ!と言って意気揚々とチキンをバーレル買いし、運転しながらむしゃぶりつくトニーに対し、前を見ろ、両手でハンドルを持て、と小言を言うシャーリー(「両手でハンドルを持て」は作品を通して何度か言ってる)。予告にもありますが、シャーリーはフライドチキンを食べたことがありません。以下、セリフの正確性は7割くらいです。雰囲気でお楽しみください。

〈ト:トニーのセリフ、シ:シャーリーのセリフ〉

ト:食うか?(チキンを差し出す)
シ:フォークと皿がない
ト:手掴みで食うんだよ
シ:ありえない。不衛生だ
ト:死にゃしない(まだチキン持ってる)
シ:無理だ。俺のブランケットに脂が垂れる
ト:俺のブランケットに脂が垂れる(真似する)
シ:……(真顔)
ト:うまいから食えって(まだチキン持ってる)
シ:無理だ!
ト:俺は両手でハンドル持たなきゃいけないんだよ!さっさと受け取れ!
シ:……(渋々受け取る)

意を決してチキンにかぶりつくシャーリー。

シ:……(結構イケるな)

この一連のシーンはとにかくマハーシャラ・アリの表情が秀逸です。コミカルだけどやりすぎてない。ちなみに上記の会話の「無理だ!」ってところ「I can't」って言ってるのが最高におもしろい。そしてこのあとさらにおもしろい展開があるのですが、それは文字を起こすより実際に観たほうが何倍もおもしろいからここには記さないでおこう、と思ったのに公式で動画上がってました。


上機嫌でチキンを頬張る(そして調子に乗りすぎる)トニーと、そのトニーの言動を真顔で見つめるシャーリーの対比が最高におもしろい。お育ちがよく、ゆえに大変お行儀のよろしいシャーリーは、がさつなトニーを何かにつけて説教するオカン的なところがある反面、世間知らずでどこか抜けている。で、それが絶妙に笑える。そりゃあ助演男優賞取るよね。



それから2人が初めて会った時のシャーリーの服装ついて、トニーが「ジャングルの王みたいな服」と言ってたのも結構あとを引くおもしろさがある。言い得て妙だ。

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ところで、エンドロールにオクタヴィア・スペンサーの名前が出てきたんだけど、どこにいたの?

ジョージ・マッケイまた長兄役やってる


どうも、こんにちは。

4/12(金)から公開の『マローボーン家の掟』(2017)に出演するジョージ・マッケイは、以前も少々言及しましたが、なぜか長兄役をやることがとても多い。『わたしは生きていける』(2013)では3人きょうだい(二男一女)の一番上。『はじまりへの旅』(2016)では6人きょうだい(三男三女)の一番上。そして『マローボーン家の掟』でも、やはり4人きょうだい(三男一女)の一番上。

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なぜなのでしょう。

しっかりしていて、責任感があって、きょうだい思いで、というのが理想のお兄ちゃん像だとしたら、彼のフィルモグラフィを見るに、まるでその権化のように扱われている気すらしてきます。確かに私もジョージ・マッケイの妹になりたいって言ったけどさ(過去記事参照→イギリス版 僕らの勇気未満都市 『わたしは生きていける』)。

では逆に弟役をやっている作品はないのかというと、あります。『ディファイアンス』(2008)や『兵士ピースフル』(2012)が挙げられますが、注目すべきは、いずれも兄弟愛にフォーカスが当たっている作品であるということです。

ただ単に兄弟のいるキャラクターというのは、星の数ほどあると思うんですよ。だって世の中の大抵の人は兄弟がいるから。キャラクター設定の一つの要素として兄弟がいることは別に普通なんだけど、作品の中で兄弟の存在そのものや関係性が重要な位置を占めるものとなると、だいぶ数が絞られてくるんじゃないでしょうか。なのにいつも兄弟を愛し、兄弟に愛されてるジョージ・マッケイってすごいおもしろくない?

珍しく一人っ子の箱入り息子的なキャラクターだったのが『パレードへようこそ』(2014)のジョー役。これは大変貴重な映像なので、ぜひみなさん刮目してください。中流階級の夫婦にそれはそれは大事に育てられて、本当はゲイなんだけどそれを打ち明けられなくて、ある時勇気を振り絞ってゲイパレードに参加するというとてもきゃわいい役です。

ちなみに彼がクラブ的なところで行きずりの男性とキスする場面があるのですが、暗くてほぼシルエットだけだし、カメラはそんなにズームしてもいないし、二人の視線の動きもわからなければ会話も全くないのに、めためた色気がすごかったのはマジでびっくりしました。キスシーンって、大概二人の息づかいとか、視線の交差とか、そういうもので表現しがちじゃないですか。それらが一切ないことにとびきりのセンスを感じました。息づかいとかそんなしゃらくさいものいらねえんだよ、という潔さが見えた。



ジャンル問わずいろんな作品を観るわたくし、唯一知識不足なのがホラージャンルです。苦手なわけじゃないけど、わざわざ観たいと思わない。しかしジョージ・マッケイが長兄役となれば、観るしかないだろ。噂によると、単なるホラーと侮るなかれ、ストーリー展開もしっかりしてるよ!とのことなので期待大です。観ます。←



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『はじまりへの旅』の6人きょうだい。一番上のジョージ・マッケイから順番に並んでいます。キャストはアメリカ、イギリス、オーストラリアなどそれぞれ出身が違うのですが、この画像はお互いに気を許してる感じがよく出てて本当のきょうだいのようでかわいい。合掌。



兄弟愛の中心にいるジョージ・マッケイ、実生活で兄弟がいるのかどうかは不明です(情報求ム)。

「お前はアザまできれいだ」を誰に言ってほしいか選手権


どうも、こんにちは。

本日は完全に私の願望の話です。中身はないです。

早速ですが私の望みはというと、大体20〜26、7歳くらいの血気盛んな若者とアラフィフのイケオジのバディものを邦画でもやらないか、という話です。具体的な例をあげるならば『キングスマン』シリーズや『名もなき野良犬の輪舞(原題:不汗党)』(2017)のようなやつです。若者よりイケオジのほうが10センチくらい背が高いのがポイント。これは譲らん。

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『キングスマン』

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『名もなき野良犬の輪舞』

悪ふざけたっぷりのはちゃめちゃアクションか、バッドエンド上等のノワールか、さてどちらのテイストで行くべきか。どちらも旨いけど日本で作ったら絶対にキングスマンのようなやつは出来上がらんから、やろうとしたら不汗党(邦題だと長いので原題で記します)のほうになるだろうなと思います。まあ不汗党もアクションのはちゃめちゃさでは負けてないんだけど。

そしていずれもブロマンスを超えたBL的要素がちらつく作品です。いや、キングスマンのほうは作品自体はBL要素をなるべく排除しようとしてるんだけど(主役の二人が朝食を共にするシーンがいわゆる "朝チュン" だという誤解を与えかねないとしてカットされた逸話がある)いかんせんコリン・ファースとタロン・エガートンの仲が良すぎて、インタビュー中の様子とか、そこで繰り出されるエピソードがちょっとおかしい。ペアのマグカップとか贈り合っちゃってるから。そりゃあファンに勘ぐられても文句言えないぜ。

不汗党に至っては監督本人が「ノワールの皮を被ったメロを撮った」とか言っちゃってますのでね。劇中ではジェホ(イケオジ)がヒョンス(若者)に「お前はアザまできれいだ」とか言っちゃってますのでね。人を信用せずに生きてきたおじさんが一度でいいから人を信じて死にたいと思った話ですからね。ほぼほぼ『こころ』の先生ですからね。よろしければこちらもどうぞ→コリアンポップノワール映画の原題には隠れた意味がある? 『名もなき野良犬の輪舞〈原題:不汗党(プランダン)〉』

BL的要素については、日本は『おっさんずラブ』が大流行した土壌があるし大丈夫じゃないかな。むしろみんな求めてるんじゃないかな。問題はキャストと脚本だよな。キングスマンにしろ、不汗党にしろ、若者役はわりと演技経験の浅い役者が演じたので、まだ売れてない無名の人がいいですね。オーディションで新人さんを抜擢するのもありだと思います。170cmくらいの身長の、きれいな顔の子でいきましょう。

悩むのはイケオジ役です。アラフィフ、なんなら50代後半でもいいと思います。ちょっとそれっぽい人を列挙してみましょう。佐々木蔵之介とか、内野聖陽とか、それから江口洋介、吉川晃司、加藤雅也、伊原剛志、豊川悦司、はあ〜〜〜〜いっぱいいるね〜〜〜〜。

不汗党で繰り出される「お前はアザまできれいだ」というセリフは、予告ですでにお目見えしていてダイナマイト級のインパクトがあるのですが、本編では実はかなり序盤、というか二人が知り合った直後くらいに出てきます。観ているこっちとしては

もう言ってしまうんかーい!早すぎるわーい!

という感じでした。てっきり、もっと二人の関係が深まってから放たれるセリフだと思ってたので、かなり消化不良感が残っています。ぜひともこのもやもやを解消したい。だから、邦画、本気出してくれないか。最高のキャストと脚本を揃えてくれないか。

そこで表題の件です。「お前はアザまできれいだ」を誰に言ってほしいか、という基準でイケオジ役を考えてみます。佐々木蔵之介や江口洋介は、さらりと爽やかな中にほんのりと色気。しかし内野聖陽とトヨエツはアダルトすぎるな。R指定ついちゃうな。個人的には伊原さんが言うのを聞きたいな。背高いし、合ってると思うよ。

あとは脚本です。先日『砂の器』のリメイクドラマが放送されていましたが、改めて観たらめちゃくちゃにえぐい話ですね。ピアニストの青年の生い立ちが壮絶すぎる。テイスト的にはだいぶノワール。松本清張原作で、なんか不汗党みたいなプロットの話、ないの? 絶対書いてるでしょ。OK、グーグル、松本清張のブロマンス!






さて、先ほど申し上げたキングスマンの "カットされた疑惑のシーン" ですが、実は二作目の序盤でおそらくこれが例のやつなのでは?という回想シーンが入るのです。エグジーがハリーにテーブルマナーを教わっている場面です。わざわざ「朝チュンだと思われたくなくてカットした」と言ってファンを振り回しておいて(そんなの別に黙っておけばいいだけの話なのに)、DVDに未公開シーンとして収録することすらも許さなかった制作側のドSっぷりに世界中のファンが猛反発したおかげかもしれません。

世の中は言ったもん勝ちだから、みんなどんどん発信していこうな。ということで私も発信してみた次第です。