フランソワ・オゾンが『少年は残酷な弓を射る』を描いたらこうなった 『危険なプロット』
どうも、こんにちは。
本日ご紹介するのはこちら。
危険なプロット(2012)

高校で国語(フランス語)教師をしているジェルマン(ファブリス・ルキーニ)は、クロード(エルンスト・ウンハウワー)という男子生徒が提出した作文に興味を持ちます。あるクラスメイトとその家族について皮肉たっぷりに綴られた文章に才能を感じたジェルマンは、クロードにアドバイスを与え、続きを書くことを促します。それによって、作文のための人間観察と称したクロードの行動は徐々にエスカレートしていきます。
『危険なプロット』なんて、いかにもフランス映画っぽい安い邦題でね、これはやはり作品の価値を損なっているのではないか、と疑問を呈するところであります。原題の「Dans la maison」は、直訳すると「家で」「家の中」といった意味になるようです。邦題は物語の内容をうまく表してはいますが、フランソワ・オゾンっぽさは失われている。
だって、タイトルが超シンプルだからこそ妙に不穏な空気漂っちゃうのがフランソワ・オゾン監督。どこまでが現実でどこからが妄想なのかわからない観客振り回しまくる系サスペンスが得意技。本作もまさにそれで、クロードは作文のためだけに一人のクラスメイトに近づき、彼の家に頻繁に出入りするようになるわけですが、そこで起きる出来事が現実なのか、それともクロードの創作なのか、教師である主人公も観客もみんなクロード少年の手のひらの上で転がされちゃう。
なにしろクロードくんの美貌がな。


(誰がどう見てもその美貌がはっきりわかる素材が見つからなかった……。すいません)
ちょっと生意気で強気な感じの少年。顔の骨格がしっかりしてるからか、顔立ちはきれいだけど中性的な感じは意外とない。日本人だとキンプリの岩橋くんに似てないか? 険しい顔してると柴崎(サッカー選手)にも似てる。だけど真っ先に頭によぎったのはエズラ・ミラーだった。で、私は思った。
フランソワ・オゾンが『少年は残酷な弓を射る』を描いたらこうなった、みたいな作品だな。
『少年は残酷な弓を射る』(2011)はご存知ですか。エズラ・ミラーがくそ美少年のやつです。どういうわけか息子にまったく愛情を持てない母親と、幼い頃から母親を目の敵にして異常な嫌がらせを繰り返す(でも本当は自分を愛してほしかった)息子の話でして、それはそれは気分がどんよりする作品です。
では『危険プロット』に話を戻して、クロードは父親と二人暮らしで、本人曰く「母は父に愛想を尽かし、僕のことも嫌っていたから出て行った」とのことです。完全に主観で語られているので実際のところはどうだかわからないけど、クロードは自分と父親を置いて出て行った母親を追い求めて、母親と同じくらいの歳の人妻を誘惑するような節がある。自分を嫌う母親(の影)を求める息子という部分が、『少年は残酷な弓を射る』と共通している気がする。
だがしかしそこは天下のフランソワ・オゾン。そこらへんにゴロゴロある "少年×人妻" の話ではないのがミソです。クロードくんが相対するのは担任のおじさん教師であって、主軸はそこに置かれています。いわば二人は文章指導で繋がる師弟関係。師匠には子供がいないので、勝手にクロードくんに息子のようなものを感じて入れ込む。つまり、母親を求めるクロードくんは、師弟関係で繋がる第二の父親を得る、と。
おや?
この展開は『プルートで朝食を』(2005)にも似たものを感じますね(過去記事参照→母をたずねて三千里した結果、父を見つける話 『プルートで朝食を』)。
映画観まくってると他の作品と関連付けたがるくせが出てしまう。
現実なのか虚構なのかよくわからない展開がフランソワ・オゾンの得意技だと申し上げましたが、この手の作品は終わらせ方がなかなか難しいところで、例えば「全部妄想でしたパターン」は考えうる限り最悪のオチだし(時間返せよってなるやつ)、一番多いのは「最後まではっきりさせないで観客に委ねるパターン」でしょうか。フランソワ・オゾンも後者が多いけど、本作はわりとはっきりめに描いていると思います。個人的には彼の作品の中では一番好きなオチです。
べらぼうに暗い結末な『少年は残酷な弓を射る』と比べると、だいぶ明るいのも良ポイント。それでもやっぱり若干の不穏さが残るし、それがフランソワ・オゾン作品の醍醐味でもある。フランソワ・オゾン、好きだ。

クロード役のエルンスト・ウンハウワーは、演技もよかったし、なにより顔がいいのに、この作品以降は目立った映画の仕事してないっぽい。もったいない。
ものすごい余談ですが、フランソワ・オゾン作品の『17歳』(2013)と『2重螺旋の恋人』(2017)で主役を務めるマリーヌ・ヴァクトという女優さんはめちゃくちゃ美人です。
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