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気晴らし細論

2019年03月の記事

フランソワ・オゾンが『少年は残酷な弓を射る』を描いたらこうなった 『危険なプロット』


どうも、こんにちは。

本日ご紹介するのはこちら。



危険なプロット(2012)

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高校で国語(フランス語)教師をしているジェルマン(ファブリス・ルキーニ)は、クロード(エルンスト・ウンハウワー)という男子生徒が提出した作文に興味を持ちます。あるクラスメイトとその家族について皮肉たっぷりに綴られた文章に才能を感じたジェルマンは、クロードにアドバイスを与え、続きを書くことを促します。それによって、作文のための人間観察と称したクロードの行動は徐々にエスカレートしていきます。


『危険なプロット』なんて、いかにもフランス映画っぽい安い邦題でね、これはやはり作品の価値を損なっているのではないか、と疑問を呈するところであります。原題の「Dans la maison」は、直訳すると「家で」「家の中」といった意味になるようです。邦題は物語の内容をうまく表してはいますが、フランソワ・オゾンっぽさは失われている。

だって、タイトルが超シンプルだからこそ妙に不穏な空気漂っちゃうのがフランソワ・オゾン監督。どこまでが現実でどこからが妄想なのかわからない観客振り回しまくる系サスペンスが得意技。本作もまさにそれで、クロードは作文のためだけに一人のクラスメイトに近づき、彼の家に頻繁に出入りするようになるわけですが、そこで起きる出来事が現実なのか、それともクロードの創作なのか、教師である主人公も観客もみんなクロード少年の手のひらの上で転がされちゃう。

なにしろクロードくんの美貌がな。

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(誰がどう見てもその美貌がはっきりわかる素材が見つからなかった……。すいません)

ちょっと生意気で強気な感じの少年。顔の骨格がしっかりしてるからか、顔立ちはきれいだけど中性的な感じは意外とない。日本人だとキンプリの岩橋くんに似てないか? 険しい顔してると柴崎(サッカー選手)にも似てる。だけど真っ先に頭によぎったのはエズラ・ミラーだった。で、私は思った。

フランソワ・オゾンが『少年は残酷な弓を射る』を描いたらこうなった、みたいな作品だな。

『少年は残酷な弓を射る』(2011)はご存知ですか。エズラ・ミラーがくそ美少年のやつです。どういうわけか息子にまったく愛情を持てない母親と、幼い頃から母親を目の敵にして異常な嫌がらせを繰り返す(でも本当は自分を愛してほしかった)息子の話でして、それはそれは気分がどんよりする作品です。

では『危険プロット』に話を戻して、クロードは父親と二人暮らしで、本人曰く「母は父に愛想を尽かし、僕のことも嫌っていたから出て行った」とのことです。完全に主観で語られているので実際のところはどうだかわからないけど、クロードは自分と父親を置いて出て行った母親を追い求めて、母親と同じくらいの歳の人妻を誘惑するような節がある。自分を嫌う母親(の影)を求める息子という部分が、『少年は残酷な弓を射る』と共通している気がする。

だがしかしそこは天下のフランソワ・オゾン。そこらへんにゴロゴロある "少年×人妻" の話ではないのがミソです。クロードくんが相対するのは担任のおじさん教師であって、主軸はそこに置かれています。いわば二人は文章指導で繋がる師弟関係。師匠には子供がいないので、勝手にクロードくんに息子のようなものを感じて入れ込む。つまり、母親を求めるクロードくんは、師弟関係で繋がる第二の父親を得る、と。

おや?

この展開は『プルートで朝食を』(2005)にも似たものを感じますね(過去記事参照→母をたずねて三千里した結果、父を見つける話 『プルートで朝食を』)。

映画観まくってると他の作品と関連付けたがるくせが出てしまう。

現実なのか虚構なのかよくわからない展開がフランソワ・オゾンの得意技だと申し上げましたが、この手の作品は終わらせ方がなかなか難しいところで、例えば「全部妄想でしたパターン」は考えうる限り最悪のオチだし(時間返せよってなるやつ)、一番多いのは「最後まではっきりさせないで観客に委ねるパターン」でしょうか。フランソワ・オゾンも後者が多いけど、本作はわりとはっきりめに描いていると思います。個人的には彼の作品の中では一番好きなオチです。

べらぼうに暗い結末な『少年は残酷な弓を射る』と比べると、だいぶ明るいのも良ポイント。それでもやっぱり若干の不穏さが残るし、それがフランソワ・オゾン作品の醍醐味でもある。フランソワ・オゾン、好きだ。

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クロード役のエルンスト・ウンハウワーは、演技もよかったし、なにより顔がいいのに、この作品以降は目立った映画の仕事してないっぽい。もったいない。




ものすごい余談ですが、フランソワ・オゾン作品の『17歳』(2013)と『2重螺旋の恋人』(2017)で主役を務めるマリーヌ・ヴァクトという女優さんはめちゃくちゃ美人です。

少しずつ違う毎日と詩の話 『パターソン』


どうも、こんにちは。

日本公開が間もなく迫る『ブラック・クランズマン』(2018)は、先日の第91回アカデミー賞にて脚色賞を受賞したり、主演があのデンゼル・ワシントンの息子のジョン・デヴィッド・ワシントンであったりと、なにかと話題を集めております。そんな作品に主人公の同僚警官役で出演しているのがアダム・ドライバー。私が彼を目撃したのは『フランシス・ハ』(2012)が最初だったと思いますが、初見時は少々ぎょっとしました。

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人、食べそうじゃない?(失礼)

デカくて、こもった重低音の声で、進撃の巨人っぽい。明らかな悪人ヅラという感じではないけど、たぶん鼻が長いのが原因だと思います。目から口までの距離が遠い。彼がやってる『スターウォーズ』シリーズのカイロ・レン役も、ちとおっかない。

しかし、本日はそんなイメージとはまるで正反対の役をやっている作品をご紹介したいと思います。『ミステリー・トレイン』(1989)、『ナイト・オン・ザ・プラネット』(1991)、『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ』(2013)などを手がけたジム・ジャームッシュ監督作品です。



パターソン(2016)

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アダム・ドライバーが演じるのは、アメリカのパターソンでバスの運転手をしている主人公パターソンくん。パターソンくんというのはアダ名ではなく本名です。かわいらしい。ジム・ジャームッシュ監督はゆったりのんびりな作風なので眠気に襲われる危険性は大ですが(実際過去何度か寝てる)、集中して観てると細かいユーモアが挟み込まれていて楽しい。

パターソンくんはやさしく物静かな青年で、仕事の空き時間などに趣味で詩を書いています。そして彼よりもよっぽど芸術家くさい嫁は毎日飽きもせず家の壁をペンキで塗ったり、カーテンやソファーカバーや自分のワンピースに好きな柄を描き、さらには突然ギターを習い始めたいとか、週末はファーマーズマーケットにカップケーキを売りに行くわ!とか言い出す自由人。一見気が合わなそうな二人だけど、お互いのことを大切に思っていてとても仲良し。二人がキスをするたびに愛犬のブルドッグがうなる。

物語は、パターソンくんが毎日少しずつ書き溜めている詩とともに進行していきます。非常に素朴で心地のいい詩です。他にもパターソンくんお気に入りの詩人の作品が登場したり、仕事帰りに出会った小学生の女の子の書いた詩を聞かせてもらったり、たくさんの詩にあふれています。

そんなわけで、パターソン出身の詩人としてアレン・ギンズバーグの名前もちらりと登場します。劇中ではそれ以上の言及がないのですが、ここで私が思い出したのが、そう、ハリポタことダニエル・ラドクリフが若き日のアレン・ギンズバーグを演じた『キル・ユア・ダーリン』(2013)。『キル・ユア・ダーリン』において再三登場するイェイツの『幻想録』では、こんなことが述べられています。

人生は円であり、パターンであり、ルーティンであり、人はその輪に捕らえられて生と死を繰り返し永遠に回り続ける。そして誰かがそれを壊した時に世界は広がる。

ちょうど『パターソン』は主人公のルーティンの毎日を描いているので、なんだかおもしろい繋がりだなあと思いました。ただ『パターソン』はそのルーティンをネガティブなものでなく、非常にポジティブなものとして描いています。同じような毎日の中にも少しずつ違うことがあって、たとえばパターソンくんが運転するバスの乗客たち。毎日同じルートを同じ時間に走るけど、日によって子供からお年寄りまで様々な人が乗ってきます。詩人でもあるパターソンくんはいつも乗客たちの交わす会話に耳を傾けてくすりと笑っている。

そして、ある日の乗客として登場する学生の男女二人組にびっくり仰天。なんと、ウェス・アンダーソン監督作『ムーンライズ・キングダム』(2012)の主人公二人がそこに。『ムーンライズ・キングダム』では小学生役だったジャレッド・ギルマンとカーラ・ヘイワードはすっかり成長して、本作ではアナーキストだの1890年代のイタリアがどうのと小難しい話をする大学生(たぶん)になっています。

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『ムーンライズ・キングダム』の二人。左からカーラ、ジャレッド。

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なんでも、ジム・ジャームッシュ監督が『ムーンライズ・キングダム』の大ファンで、この二人に出演オファーしたんだって!遊び心!しかし二人とも大人になってるけど、全然変わってないな!

それから遊び心と言えば、パターソンくんの同僚のキャラがおもしろい。パターソンくんが会社で彼と会った時に挨拶で「Are you OK?」と聞くと、彼は必ず「正直最悪だよ」とたらたら愚痴を言い始めます。娘の歯の矯正や壊れた車の修理、飼い猫の糖尿病の治療に金がかかる、嫁は旅行に行きたいと言う、義母が同居することになった、など。アメリカ式の挨拶の「調子どう?」には必ずグッドと返す。真面目に答えてはいけない。というのがお決まりですが、そんなの完全無視で本音を言ってしまう同僚のキャラが好きだ。

ついでにパターソンくんが犬の散歩中にコインランドリーで遭遇するラッパーもおもしろい。一人でぶつぶつラップをやってる彼にパターソンくんは「ここは君のスタジオ?」と質問。すると「リリックの浮かんだ場所がスタジオだぜ」とブラックソウルを爆発させるラッパー。いとおしいな。




さて、物語終盤でパターソンくんにとっては少し落ち込んでしまう出来事が起きるのですが、それはイェイツ的に言うと、彼のルーティンが壊されたということになるのかもしれません。つまり世界が広がり、パターソンくんは新しいものを見る暗示なのかな。ネタバレしたくないので、詳しくは申し上げません。気になる方はぜひ本編を!

アメコミとはこういうものだ 『スパイダーマン:スパイダーバース』


どうも、こんにちは。

最近じっくりブログを書く時間が作れず歯がゆいところです。この記事も少し短いものになりますが、書かないよりはとりあえず簡単に記しておきたい。


スパイダーバースおもしろいぞ!!!!!


たくさんの人が「アメコミが動いてる感じ」と言っていますが、本当にそうで、それ以外にうまく表現できる言葉が見つかりません。というわけで、どうぞ。



スパイダーマン:スパイダーバース(2018)

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本作の主人公はピーター・パーカーではなく、ニューヨークはブルックリンの中学に通うマイルス・モラレスです。ひょんなことから蜘蛛に噛まれてスパイダーマンになるのは毎度お馴染みのやつですが、何者かによって時空が歪められ、異なる次元にいる様々な "スパイダーマン" たちがマイルスの次元にやってきて、協力して戦うというストーリーです。

要するに、いろんなパラレルワールドのスパイダーマンたちと仲間になって、共に戦いながら主人公が成長していくというもの。ピーター・パーカーも別次元で活躍する他のスパイダーマンとして登場します。しかし過去の実写版などでの姿とは若干様子が違い、おっさんで少しお腹のたるんだピーター・パーカーなのでございます。ユニークだなあ。

前述した「アメコミが動いてる感じ」についてですが、普通のアニメはどうしても平面的になりがちだけど、スパイダーバースはコミックの世界に奥行きを持たせた感じというんでしょうか。臨場感があって、アニメだけどアニメじゃない。2Dで観ても、3D的な立体感がある。それから本当は字幕で観たかったんだけどわけあって吹替で観ました。でも結果として吹替のほうが「アメコミ感」をより強烈に得られた気がします。

過去のどのスパイダーマン作品よりも軽快で、パワフルで、明るく、ユーモアがたっぷりで、私は原作読んだことないけど、たぶんこれが本当のスパイダーマンの世界なんじゃないかなと思いました。ネットで発見したレビューの中に「制作がディズニーじゃなくてソニーだからこういうのができたんだろう」というような意見があって、思わず「なるほど」と膝を打ちました。

また、映像だけでなく音楽もクールでかっこいい。音楽の使い方は『ベイビー・ドライバー』(2018)に似てる。テンションの上がる入れ方してくるわけよ。序盤でマイルスが街を歩いてるシーン(叔父さんの家に向かってる時だったかな?)は、ベイビーがコーヒーを買いに行くシーンが思い浮かんだし、オマージュだったりするのかもしれない。



私はマーベルやDCコミック作品はそんなに観てないし詳しくないのですが、その手の作品の中ではスパイダーマンが一番好きです。アメコミのスーパーヒーローは大抵みんな特殊能力を持ってて破壊的に強いけど、スパイダーマンはより人間くさくて、そういうところがいいんだ。

私の知る限りで列挙してみますと、スーパーマンは地球人じゃないし、アクアマンは地球人だけど人間じゃなくて海底人だし、ワンダーウーマンは神の子で王族だし、ブラックパンサーは人間だけど王族だし、バットマンやアイアンマンは富豪だし、デッドプールは不死身だし、普通の人間がちょっと特殊能力を得て戦うというのは、スパイダーマンか、あとはフラッシュくらいじゃないでしょうか?(間違いがあったらすみません)

そして今回は様々なスパイダーマンが協力し合うということで、その多様性も注目ポイントです。

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主人公のマイルスは中学生で黒人で、ピーター・パーカーはおっさん、さらには女の子がいたり、ブタがいたり(?)、性別や人種や年齢やその他の細末なことに関係なく誰でもヒーローになれる。それを示しているのが今の時代に則していると思います。こりゃ人気も出るって。



字幕版はグウェン役がヘイリー・スタインフェルドだし、スパイダー・ノワール役はニコラス・ケイジだし、誰役か不明だけどマハーシャラ・アリも出てるらしいし(マイルスのお父さんか叔父さんかな?)、今度は字幕版を観たいな。



スパイダーマンにほんの少しでも興味のある方は絶対に楽しいから、観てくれ。

小動物的可憐少女はどチート 『The Witch/魔女』


どうも、こんにちは。

本日はこちらの作品。


The Witch 魔女(2018)

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来たぜ、韓国ノワール。

予告をチラ見したらなんだかおもしろそうだったので軽い気持ちで観てみたところ、かなりアタリでした。調べてみたら『新しき世界』(2013)を撮ったパク・フンジョン監督の最新ノワールということなので、変なものができあがるはずなかった。

『新しき世界』は潜入捜査官が主人公だから人間関係や展開が複雑でしたが、打って変わって新作の主人公は10代の少女。いたって単純なストーリーです。ある組織に殺戮兵器として育てられた女の子が脱走し、記憶を失って普通の子として育つんだけど、約10年後、組織に見つかって追われることになる、というもの。

題材は珍しくない、というかむしろありがちなやーつと言ってもいいくらいでしょう。ところがしっかり練られた脚本と、主人公ジャユン役のキム・ダミのキレキレの演技のおかげで、物語中盤「そうきたか〜〜〜」と唸りました。種明かしの鮮やかさたるや。凹凸のない平べったい幼顔のキム・ダミ、しばらく見ていると一重でまんまるくりくりの目が小動物的でたまらなくかわいくなってきて、覚醒した後はその目がかっぴらかれて迫力満点。

主人公は記憶を失って普通の子供のふりしてるけど実は怪物なんだぜ、というのは予告でもわかるのですが、「怪物」のレベルがちょっと想像を超えてて余計におもしろかったです。感覚的にはワンパンマン並です。その細い腕のどこにそんな力あんねーんという具合で敵の頭を壁や地面にめり込ませたり、もろCGですやんという速さで動いたり、グラフィック処理が不自然すぎておもしろくなっちゃってます。あれは敢えてなんだろうか?

さて、近年ブランド化しつつある韓国ノワールは、バトルの凄惨さが売りのひとつですが、そのロケーションにも特徴があります。『名もなき野良犬の輪舞』(2017)では闇貿易商の事務所で大白熱のプロレスをし、『アシュラ』(2016)では葬儀場の廊下で血みどろバトルロイヤルを繰り広げ、『新しき世界』(2013)に至ってはエレベーターという究極の密室でロイヤルしています。どうにも狭いところでバトらないと気が済まないらしい韓国ノワール。本作でもきちんとその伝統に則り、薄暗い廊下にバッタバッタと敵が倒れて行きます。

そして、これはノワールに限らず韓国の作品全般に共通する伝統。

金切り声でヒステリックに叫ぶババアおばさんキャラ。

韓国の40代くらいの女優さんたちにキレ演技をさせると、なぜか大体みな同じ。というかおばさんキャラがキレるシーンは必須なのかってくらい各作品に入ってるんだけど、なぜなのでしょうか。しかも録音か音響に問題があるのか、いつも音が割れててつらい。本作では、最強アサシン少女を生み出したおばさんマッドドクターがその役割を担っています。もう、充分すぎるほどに、しっかりと、鉄板のキレ芸を見せてくれています……チョ・ミンス……。やめとけ。

一方、韓国作品において平均的にレベル高めなんじゃないかなと思う種類の役どころもあります。韓国の若い男性俳優は、気味の悪い役をうまくこなす。つまり本当に気持ち悪い。『殺人者の記憶法』(2017)のキム・ナムギル然り、ドラマだけど『夜を歩く士』のイ・スヒョク然り。そもそもイ・スヒョクは顔のつくりからして人形っぽくて怖いし(失礼)。本作におけるチェ・ウシクの胡散臭い笑顔を貼り付けたアサシン役も、なかなか気持ち悪くてよかったんじゃないでしょうか。

最強アサシン少女を演じたキム・ダミの演技が抜群によかったのは前述のとおりで、素晴らしい新人さんを発掘しましたね〜と盛大に拍手を送るわけですが、個人的に推したいのが主人公と一戦交える敵役のコンバットナイフ使いの女の子です。どことなく清原果耶ちゃん似で、ちょっと三白眼気味でかっこよかった。でも悲しいことに女優さんの名前がわかりません。インパクトはめちゃめちゃでかかったのに、役名は果たして?というキャラクターなので、どう調べればいいのかわからない。




これだけ絶賛しておいて、実はラストが不可解な終わり方をしていて、ん?と思いました。しかしそれは本作の原題が『마녀/The Witch: Part 1. The Subversion』つーことで、パート1というからには続編があるのだろう、と巷では言われているようです。つまりパート1の最後のよくわからないところは、パート2への布石らしい。

それなら続編には、どチートな主人公の敵として、それこそワンパンチで相手をKOする、いや半パンチでKOするレベルの奴が出てきてほしいものです。半パンチ。ハンパンマン。韓国語だとワンパンチってハンパンチ(いち、ひとつ、を意味するのが 한〈ハン〉だから)になるんじゃね?というダブルミーニングです。

おあとがよろしいようで。

アカデミー賞のあれこれ


どうも、こんにちは。

最近、本家米国のアカデミー賞や日本のアカデミー賞の授賞式があったので、本日はそれに関する話をば。毎度恒例の浅い話です。暇つぶし程度に読んでやってください。



『ボヘミアン・ラプソディ』なるQUEENの伝記映画がおもしろいらしい、という噂を耳にしたのはいつだったでしょうか。公開が去年の11月だから、年末ごろのことでしょうか。作品については、公開前にすでにツイッターの広告の問答無用でTLに入ってくるうざいやつで知っていたのですが、私はさほど興味もなくスルーを決め込んでいました。しかし、会う人会う人、みな口々に言います。「ボヘミアンがおもしろかった」「自分もボヘミアンが気になってる」「早く観に行きたい」と。

みんなそんなにQUEEN好きだったんか?

もしや、ツイッターの広告にまんまと乗せられてるのでは? と持ち前のひねくれ根性を発揮する私であります。ところがいつまでも冷めやらぬ世間のボヘミアン熱。だんだん気になってきて、ちょっと調べてみます。すると出てきたフレディ・マーキュリーに扮するひげ面の男性。

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お? これは?

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『ショート・ターム』のあいつじゃんか。

以前ご紹介した『ショート・ターム』(2013)に実はひっそりと出演していたラミ・マレック(過去記事はこちら→多くを語らない引き算の勝利 『ショート・ターム』)。わけありの子供たちを受け入れる保護施設の新入りケアマネージャー役なのですが、これがあまり気の利かない残念な男でね、私にはこの印象がでかくて、というかむしろラミ・マレックの出演作はこれしか観たことがなくて、そこからホップステップせずにいきなりジャンプでフレディ・マーキュリー。どでかい役やってんな。

で、アカデミー賞主演男優賞受賞よ。

たぶん世間ではラミ・マレック初見の人もかなり多かったと思います。突然現れた男が、ダダッとスターダムを駆け上がる様を我々は目撃したわけですね。アメリカンドリームだなこりゃ。

ところで『ボヘミアン・ラプソディ』について調べた時に知ったのですが、QUEENはイギリスのバンドだけどフレディ・マーキュリーはインド生まれの移民なのだそうです。確かに言われてみれば白人の顔つきではないですね。ではラミ・マレックはどうなのか。インドというよりは、モロッコやエジプトのような北アフリカの感じ、あるいはアラビア半島の感じがある。そしたら本人がアカデミー賞主演男優賞受賞のスピーチで自分はエジプトからの移民2世のアメリカ人だと言っていました。ちょっと、私すごくない?

このラミ・マレックのスピーチがとてもよかった。彼はQUEENメンバーへの尊敬と感謝を述べ、さらには自身が移民という生い立ちに悩んだ時期もあったようで、同じようにアイデンティティで苦悩している人への言葉もありました。「ゲイで移民で、しかしそれを悪びれることなく自分の人生を生き抜いた男の映画を私たちは作りました。今夜みなさんとともに彼を祝福できたということは、そうした生き方を私たちが求めている証拠なのだと思います」と。

それから、欧米の人はこういう授賞式でみんな必ず恋人やパートナーに感謝を表すんですよね。ラミ・マレックは受賞が決まった瞬間、本作で共演して今現在恋人でもあるルーシー・ボイントンとキスし、スピーチでも熱々の愛のコメントを残していました。その文化はマジですごいなと思う。

いつぞやは『マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙』(2011)で主演女優賞を取ったメリル・ストリープがプレゼンターのコリン・ファースとキスしてましたからね。頬ではなく唇に。しかも私の知る限り英国アカデミー賞の時と米国アカデミー賞の時と、2度してますからね。頬ではなく唇に。2人は他作品で共演はしてるけど、別に夫婦でも恋人でもないんだよ。わからねえな、欧米文化。



さて、日本アカデミー賞に話を移しましょう。日本を卑下するわけではないけど、日本アカデミー賞のスピーチは、欧米の俳優陣と比べるとお粗末だなと思ってしまいます。中身がないというのか、コメントを用意してきてなかったり、感動で言葉が紡げないとかだけでなく、主観的な感想しか言いません。

そんな中で、『万引き家族』(2018)で最優秀主演女優賞を受賞した安藤サクラのスピーチには、少し思うところがありました。「子育てと仕事の両立が難しくて、これからどうすればいいか正直わからない。でも今日この場に立って、自分の中で決着をつけて必ず映画界に戻ってこようという覚悟ができた」という趣旨のことを彼女は言いました。

彼女は単に自分の気持ちの整理がつかないことを言ってるのかもしれませんが、なんだか私には彼女だけの問題ではなく、日本の社会全体への警告に聞こえました。共働き家庭が増えてる一方で、旧態依然とした母親の負担だけが大きいままの子育ての仕組みは問題視されてるし、見ているこちらは「いいスピーチだったね」で終わらせるのはまずいんじゃないかと思ったわけです。

有名人が支持政党を公表しちゃうアメリカと違って、日本はそういうのタブーみたいなところがあるし、根本の文化が違うのかもしれないんですけどね。影響力のある人が社会的な問題に突っ込む発言をするのは、とても意味のあることだと思います。ひとつの問題提起になったという点で、安藤サクラの言葉はとてもポジティブなものだったし、今後は日本アカデミー賞でも受賞者の中身のあるスピーチが聞けるといいなと私は思っています。

ていうか米国のアカデミー賞は中継とかしちゃってるのに、日本アカデミー賞は録画で編集しまくってるの、おかしくない? 安藤サクラのスピーチも放送されたのは一部だけなんすよ。撮影賞や録音賞などにいたっては画面に顔と名前が出てくるだけでアナウンスはされないという……。やる気あるのか、日テレよ。



最後ただの文句になってしまいましたが、完全部外者だと賞レースって見てるの楽しいよね。ということで終わります。



これだけ騒いでおいて実はまだボヘミアン観てないからそろそろ急がなきゃいけないとは思ってる。




(2019. 4. 11追記)
遅ればせながら、ついに観たぞボヘミアン。

最後We are the championsで締めるのはずるいよなあ。

ラミ・マレックがアカデミー賞受賞後、記者からのインタビューを「We are all the champions.」で締めたの、にくいこと言うじゃんって思ってたんだけど、本編を観てああこういうことだったのね、と一層理解が深まりました。以前他の記事でも申しましたが、「champion」には勝者という意味だけでなく、主義・主張の擁護者、戦士、闘士、という意味もあります。

生き馬の目を抜く厳しいこのご時世に、俺たちはチャンピオンだなんて言われたらそりゃ泣けるわ。