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気晴らし細論

2018年11月の記事

『パシフィック・リム』におけるサブカル的メタファーとしてのドリフトについて


どうも、こんにちは。

『パシフィック・リム』(2013)観ました。

すごいおもしろいね(5年遅れ)。

すっかりパシリムの魅力に取り憑かれているので、本日はそのパシリムについて私の偏りに偏った視点から見たものをお伝えしたいと思います。ネタバレ全開。鑑賞済みの方向けの話です。



パシフィック・リム(2013)

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太平洋の海底から怪獣(劇中でもカイジューと発音)が出現した近未来。人類は環太平洋防衛軍(PPDC)を設立し、パイロット2人がペアとなって操縦する巨人兵器〈イェーガー〉を開発して立ち向かいます。


パシフィック・リム アップライジング(2018)

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前作から10年後、かつて環太平洋防衛軍のパイロットたちによって閉じられた裂け目が再び開いてしまい、またしても訪れた危機にパイロットと訓練生らが立ち上がります。


前回の記事で申し上げた通り、私はアップライジング(2作目)からの1作目というイレギュラーな入り方をしたわけですが、ある意味正解だったかもしれません。メインキャストがほぼ一新されているので展開するのもまるきり新しいストーリーだし、基本的な世界観については冒頭でナレーションしてくれるので入り込みやすかったです(でもドリフトについては少し説明不足だった。これはアップライジングの問題点の1つ。後述します)。

エヴァンゲリオン鑑賞済みの私には、イェーガー=エヴァ、パイロット=エヴァ乗りという図式が成り立ったのも入り込めた要因だと思います。おまけにアップライジングはパイロット訓練生という若造たちが登場しますので、そういった意味でもエヴァ要素が増し増し。それから、ミリタリーものはもれなく旨いと相場が決まってんのよ。

スコット・イーストウッドが教官って、何だその夢の世界は。

顔が良すぎる。あんな軍人はおらんだろう。環太平洋防衛軍の立場が1作目ではレジスタンスだったのに対して、アップライジングではしっかり正規軍の体を成しています。それゆえ訓練生と教官という立場が確立されてるのは飯ウマ以外の何ものでもない。

どうでもいい話だけど、健康オタクことスコット・イーストウッド、以前「役に合わせて体型を変える俳優もいるけど、自分はやらない。健康が第一だ」と雑誌のインタビューでおっしゃっていました。瓜二つの親父はめちゃくちゃジャンクフード好きそうなのにね(※イメージです)。


さて、このように前情報一切なしでアップライジングを純粋に楽しんだわけですが、そんな私でも思いました。


森マコ死ぬのかよ。


前作の主要キャラと聞いていたのに、あまりにもあっさりと死ぬ。しかもその死にさほど大きな意味がなく、置いてきぼり感がすごい。だから、つい、そんなに大事なキャラじゃなかったのかな? と思ってしまいました。

で、1作目を観るじゃないですか。


主要キャラどころか、ヒロインじゃねえか。そして主役のローリーはどこに行ったよ。


アップライジングにローリーが出ていないことへの不満ではありません。何でも、ローリー役のチャーリー・ハナムのスケジュールが抑えられなかったためにローリーが不登場という事情があったそうです。そんなのはよく聞く話だし、理解できる。問題は、ローリーというキャラの存在について、ローリーとマコのその後についての説明がほぼないこと。オルモストスルーされていることです。

アップライジングの主人公が1作目のキーパーソンであるペントコスト司令官の息子だからなのか、「ペントコスト司令官は世界を救った英雄」という情報は劇中で何度も提供されるのですが、他のパイロットの話はないんですよね。涙ちょちょぎれるクライマックスを届けてくれたハンセン親子のこともスルー(チャックはペントコスト司令官とともに身を挺して世界を救ったのに)、実際に裂け目を破壊して閉じたのはローリーだし、そのジプシーに同乗してたのはマコだというのに。

ちゃんと順序通りに、1作目を観て続編を楽しみにしていたファンからすれば、なるほど不満だらけになるのも無理はない。全体的に軽いんです。何も考えずに観れるという点に特化して軽快さを手に入れたと考えればそれもありかもしれないけど、違うじゃん。パシリムって、もっと日本的な暗さがあったじゃん。

というわけで、その1作目の暗さって何だったのかな、という部分にフォーカスを当ていきましょう。誠に恐縮ながら、私は怪獣もロボットも興味薄なので、そちら方面については語れません。すいません。


「ガキの頃、嫌なことがあると星空を見上げて考えた。エイリアンっているのかな?と。俺は見当違いの方向を見ていたんだ。怪獣は海の底から現れた」


もうこの導入だけで高まるよね。いいですか、空じゃないの。海の底から来んの。海底のプレートが裂けて異世界の生物がやってくるって、デンジャラスさがすごいもんね。ナレーションもチャーリー・ハナムのええ声でね、ベケット兄弟の英雄譚も非常にシンプルでわかりやすい。勉強も運動もイマイチだったけど、喧嘩だけは地元じゃ負け知らず(©修二と彰)でドリフトの才能があった、と。2人の登場シーンの音楽が流れてくるとテンション上がります。

チャーリー・ハナムはチャニング・テイタムやヒース・レジャー系統のお顔で、我々に大変馴染み深いですね。兄貴ヤンシー役のディエゴ・クラテンホフは、欧米顔にした中川家礼二って感じでやはり我々に馴染み深い。イケメンだけど身近な感じのする兄弟(大事)。

では真面目な話に移ります。パシリムにおける設定として重要なポイントの1つが、巨大ロボット〈イェーガー〉の操縦方法です。イェーガーを操縦するには1人では脳の負担が大きすぎるため、原則として2人のパイロットが必要であり、その2人は脳の神経を繋いで互いの意識を融合させて文字通り一心同体となって操縦にあたります。これがドリフトです。

イェーガーのパイロットは意思の同調が生命線なので、必然的にバディを組むのは兄弟や親子、夫婦といった近親者が多くなります。何せ、このドリフトによってパイロットは思考だけでなく過去の記憶までも共有することになるわけですから、出会ったばかりの人間がバディを組むのはものすごくハードルが高くてリスキーなことです。相棒だった兄を失ってしばらくパイロット職を離れていたローリーと、新人のマコの場合がそれ。

実際、脚本家のトラヴィス・ビーチャムが単独で書いたと思われる原案の段階では、面識のない赤の他人が組むのがいかに難しいかを強調しています。ローリーとマコは当初全くウマが合わず、ドリフトもうまくいかないし、そもそもマコは英語が話せない設定なので、お互いが言ってることも理解できない状態。

しかし映画本編では、ローリーとマコはもう会った瞬間から惹かれ合っているように見えます。マコの英語はたどたどしいとまでは行かずとも、“ネイティブではない英語”なのは間違いなく、ローリーがそれにしっかり耳を傾けて、自分が話す時もちゃんとマコに伝わるようにやさしく喋ってる。マコのほうも、図らずもローリーの上半身裸を目撃してしまって慌てて部屋の扉を閉めるけど、ドアスコープからこっそり覗いてる。もう完全に好きじゃん。

さて、パシリムは最後までキスシーン、ラブシーンがないので、デル・トロは節度があってすばらしいとか言われてるんですけれども、絶対違うと思う。直接的なシーンこそないものの、メタファー的なものは随所に散りばめられてるし、むしろそういうほのめかしのほうがいやらしさは増す。これでもかというほどほのめかし倒すのは日本文化の真骨頂ですので、デル・トロはそんな部分でも日本文化に則ってるのかな(考えすぎだろうか?)。

例えば、ローリーのバディを選ぶにあって棒術テストをするシーン、ローリーとマコは息の合った立ち回りを見せます。デル・トロはこれを「恋人同士のダンスシーン」「ラブシーン」と説明してるらしいのですが、これはまだ相手を探ってる最初の段階なので、いっても前戯でしょ。ただこの手合わせ(この表現も卑猥に思えてくる)によってマコの戦闘力の高さと自分との相性の良さを確信したローリーは、彼女にこれでもかというほど迫ります。

「俺たちは適合性がある。君も感じただろ」
「君もパイロットになりたいんだろ? 司令官に従うだけじゃダメだ」
「5分後には君は俺の頭の中だ」

ドリフトというものの性質を考えると、邪心持ちの私には、もうそういうことにしか思えない。つまり何が言いたいかというと、ドリフトこそまさにラブシーンでしょうよ。だって、赤の他人に自分の思考も過去も全部知られるなんて最高にいやらしくない?

以下、初のドリフト訓練を終えた後、ローリーからマコへのセリフ。


「誰かと本当に結合するには信頼が必要だ」


もう、言い逃れはできまい。

これが物語の序盤に配置されてるのがまたリアルというか、邪推を深めてしまうよね。ローリーとマコは相手を完全に信頼した上で初めてドリフトするのではなく、互いをよく知らない状態でドリフトし(出会った翌日に!)、徐々に理解を深めていく、という順序が一般的な恋人関係と全く同じじゃないですか。

感動的なラストシーンですらキスしないのは、必要がないからだよ。だって一心同体なんだもん。そんなことしなくてもお互い通じ合ってんだもん…。魂レベルで触れ合っちゃってんだもん…。全然プラトニックじゃないんだわ。しかし観客が気付けないようなめちゃくちゃ婉曲的でわかりにくいメタファーだとしゃらくさいだけなので、これくらいわかりやすいとありがたいね。

見ず知らずの人間がバディを組むのは、1作目ではローリーとマコだけであり、それがイレギュラーだということがはっきりしています。しかしアップライジングではちょっと違ってくる。主人公ジェイクは同期のネイサンとバディを組むわけですが、ネイサンのバディが軍をやめてしまったから代役で仕方なく、みたいな感じだし、訓練生たち同士も互いを理解しあっているようには見えない。ドリフトというものの性質が忘れられている気がするのです。この疑惑が先述したアップライジングの問題点です。

性描写メタファーがことごとく排除されているという意味では、より一層お子様もウェルカムなのかもしれないけど、なんだかね。やっぱりデル・トロは日本アニメの陰鬱さも取り入れてたんだと思う。サブカル的暗さ。欲を言えば、ドリフトしてる時は繋がってるから何でもわかるのに、イェーガーから離れた途端に相手のことがわからなくなる、みたいなエピソードがあったらとてもえろいですね。

ドリフトの卑猥さもさることながら、もう1つ気になる部分があります。原案におけるマコは、プライド高めでとてもツンケンしています。周りから「あの女は野獣だよ」なんて言われる始末で、かなり気の強い女。でも最終形(映画)のマコは、訓練時には目つき鋭く容赦がなくて野獣性が垣間見えるけど、普段は無邪気で少女のような幼さがあります。しかもなかなか巨乳(菊地凛子!)。原案のマコのイメージは完璧に貧乳。ねえ、デル・トロの性癖が出てない? なんてったって『シェイプ・オブ・ウォーター』(2017)を撮った監督だぜ。



1作目のメイキングには「ハードな撮影だった。人生で一番つらかった」と口々に言うキャストの声が収められています。これに対し、デル・トロが笑顔で「軟弱者どもめ(crybabies)」と言い放っていたのがクールでした。



最後に。どうやらこの世にはアップライジングとは別の、デル・トロが書いたパシリム2の脚本というものが存在するらしいので、ぜひともこの目で拝みたい限りです。

シンガポール航空の機内映画がすごい


どうも、こんにちは。

今週、シンガポールへ旅行してきました。ぶっちゃけマーライオンやマリーナベイ・サンズよりも、今回利用したシンガポール航空機内で観れる映画のラインナップのすごさにたまげたので、この場でお伝えいたします。そもそもマーライオン見てないんだよね。

まず第一に、洋画、邦画(その他アジア圏の作品も多数あり)の最新作、話題作の充実っぷりがすごい。しかもほとんど全ての作品に日本語字幕がついています。他の航空会社では日本語字幕がついていないものも結構多いので(個人調べ)、これだけでもかなりうれしい。なおかつ液晶画面がきれいで、音声言語、字幕言語の切り替えや、早送り巻き戻しもスムーズ。なんてこと。シンガポール航空の機内エンターテインメントのレベルは、巷ではアジアで一番じゃないかとも言われているそうです。

洋画では、
『オーシャンズ8』(2018)
『クワイエット・プレイス』(2018)
『トゥーム・レイダー ファースト・ミッション』(2018)
『ハン・ソロ/スター・ウォーズ・ストーリー』(2018)

邦画では、
『万引き家族』(2018)
『カメラを止めるな!』(2017)
『50回目のファーストキス』(2018)

などのそうそうたる話題作がずらりと並ぶ中、私が観たのはこちらの3作品。

『イコライザー2』(2018)
『レディ・プレイヤー1』(2018)
『パシフィック・リム アップライジング』(2018)

後ろの2つは映像美が魅力でもあるので、機内の小さな画面で観るのはあれかなと思ったけど全く問題なかった。本当にそれくらい画質がいいし、他社に比べると画面サイズも少し大きかったです。

さて、漫画の単行本の最新巻が出たら前巻を読み返したくなる現象と同じで、シリーズものは2作目を観たら1作目を観たくなるのが人情。そんな需要に応えて『ジュラシック・ワールド 炎の王国』(2018)と『ジュラシック・ワールド』(2015)『マンマ・ミーア! ヒア・ウィー・ゴー』(2018)と『マンマ・ミーア!』(2008)『インクレディブル・ファミリー』(2018)と『Mr.インクレディブル』(2004)のように、最新作+前作というワンツーセットの親切対応をしてくれています。『イコライザー』(2014)もちゃんとあったし、オーシャンズシリーズの1作目である『オーシャンズ11』もありました。

そうなると、どうしてもある疑問が湧き上がります。


なぜ『パシフィック・リム』(2013)がないのか。


私はこのシリーズはどちらも未鑑賞で、今回初めて2作目であるアップライジングのほうを観たのです。結果、1作目が観たくてしょうがなくなってしまった。それなのにシンガポール航空の親切の恩恵にあずかることができないあたり、運がないというのか何というのか。

アップライジングは日本人が2人出てるし(菊地凛子と新田真剣佑。菊地凛子にいたっては1作目でも主要キャスト)、クライマックスの舞台は日本だし、もっと融通きかせてくれてもよくない? 特撮オタクであるギレルモ・デル・トロ監督が製作した日本ルーツのSF怪獣映画なんだから……。

仕方がないから、明日『パシフィック・リム』を借りてこようと思います。



ところで飛行機の中って、席と席の隙間から前方の人が何を観てるのかわかるじゃないですか。ざっと周りを見たところ、若い女性は『ママレード・ボーイ』(2018)を観てる率が高かったです。三次元になった沖田総悟こと、顔がとてもよい吉沢亮氏、若い女性に人気のようです。それから、これはみんなの目的が山田孝之なのか長澤まさみなのかわからないけど、『50回目のファーストキス』も多かったです。『嘘を愛する女』(2018)もリストの中にあったので、シンガポール航空は長澤まさみ推しなのかもしれない。


一度シンガポール航空を体験してしまうと、きっと他社の機内映画は軒並みしょぼく感じるだろうな。

"僕の場合はお母さんが爆発でした" というパワーワード 『素敵なダイナマイトスキャンダル』


どうも、こんにちは。

前回の記事の最後に柄本佑の名前を出したので、本日はこちらの作品をご紹介。



素敵なダイナマイトスキャンダル(2018)

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岡山の片田舎で育った末井昭(柄本佑)は、18歳で故郷を飛び出し、工場や看板製作会社、キャバレーなどの勤務を経てエロ雑誌の編集長に。1970年〜80年代、数々の雑誌を創刊しては警察による摘発と発禁処分、廃刊を繰り返し、やがてアラーキーことカメラマンの荒木経惟(菊地成孔)らとともに創刊した『写真時代』は、発行部数35万部を突破する伝説的雑誌になります。


昭和の名物雑誌編集長・末井昭の自伝を映画化した本作。末井さんは当時は一世を風靡した有名人らしいですね。今アラフィフくらいの人たちが世代なのでしょうか? もちろん私はまったく知らなかったので、純粋に映画として楽しみました。

映画は、末井ら編集者の日頃の仕事風景を写した後、以下のナレーションによる導入で幕を開けます。


「芸術は爆発だと言った人がいます。しかし僕の場合はお母さんが爆発でした」


パンチのある変わったお母さんなのかなと思うじゃん。違います。まさかの不倫相手とダイナマイト心中。つまり物理的に爆発してます。お母さんは重い結核を患ってヤケになったのか、隣の家の男と不倫の末に自殺してしまうわけなので笑っちゃいけないんだけど、笑うだろ。そんなわけで、作品は軽快かつコミカルにサクサクと進んでまいります(母親役の尾野真千子はよくコミカルな演技をしてるけど、本作はかなり艶があってよろしかったです)。

まず、末井青年は初めて就職した工場の劣悪な労働環境に絶望してすぐに辞めるのですが、このあたりのテンポのよいことよいこと。ちらりと現場のブラックさを描写して「工場は軍隊のようなところで…」というナレーションが入り、もうシーンが切り替わっている。その後、デザインを学んでデザイナーとして仕事を始め、チラシや看板製作の担当としてキャバレーに就職。しかし「キャバレーもやはり軍隊のようなところで…」というナレーションが入るので末路はすぐにわかる。

自分のやりたいデザインができる場所、情念を表現できる場所を探してたどり着いたのがエロ雑誌です。そこからは警察とのいたちごっこが始まります。検閲をかいくぐるためにあの手この手で対策を打つ。仕事だから大真面目なんだけど、大真面目にいかがわしいことをしているのがすごくおもしろい。

先述した「僕の場合はお母さんが爆発でした」は、検閲担当の警察官(松重豊)に「こんな雑誌でおまんま食ってるなんて、田舎のお母さんが知ったらどうだろうね。君、芸術は爆発だとか思ってるんじゃないの?」というようなセリフを受けてのものです。

末井自身は「うちの母ちゃんはもう死んでんだよな〜」くらいの感じで、母親の死にトラウマを抱えているとか、母親を憎んでいるとか、そういったことはない一切ない様子。しかし、母親のダイナマイト自殺という激しくインパクトのある出来事が、彼の人生あるいは彼の創作における原動力になっていることは間違いなさそうです。劇中、母親が存命の頃のシーンが何度も差し込まれるから。こういうのも一種のマザコンと言うのでしょうか?



ところでコミカルなエログロという共通点で、最近『トレインスポッティング 』(1996)も観たんだけど、あれはものすごく汚かった。ヘロイン中毒のジャンキーの狂った世界がポップに描かれてるのは最高なのに、とにかく汚い。演出なのはわかってても、めちゃくちゃ汚いトイレの便器にユアン・マクレガーが入っていくの、おれは耐えられなかった……。

ちなみにヘロインって他のクスリとは比べものにならないくらい強烈にぶっとぶらしいのでね(中毒性も最強)、一番手を出したらいけないやつだよ。ヘロイン中毒とかマジで一生まともに暮らせないからな。



末井はクスリの類は一切やっておりません。煙草は始終ふかしていますが。前半のテンポの良さが後半徐々に失われてきて、ちょっと長いのがたまに傷だけど、時間があったら観て損はないです。とてもおもしろかった。

映画のハンニバルシリーズはキャラクターが最高だよねっていう話 『羊たちの沈黙』『ハンニバル』『レッド・ドラゴン』


どうも、こんにちは。

『ハンニバル・ライジング』(2007)だけまだ観てないのですが、ひとまずアンソニー・ホプキンスのレクター博士は3作観終わったので、ちょっと話をさせていただきます。

では最初に1作目の『羊たちの沈黙』(1991)のあらすじを簡単に。

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FBI研修生のクラリス(ジョディ・フォスター)は優秀な成績を買われ、連続猟奇殺人事件の捜査を手伝うようになります。その一環で、囚人である元精神科医のレクター博士(アンソニー・ホプキンス)から情報を聞き出すという命を受け、彼が収監されている精神病院へ馳せ参じます。博士はクラリスのことをいたく気に入り、彼女を翻弄しつつも有益なアドバイスを与えます。


ストーリーや構成よりも、キャラクターの素晴らしさがこのシリーズの一番の魅力ではないかと思います。

まず何と言ってもアンソニー・ホプキンス演じるレクター博士。初登場シーンがあまりにも鮮烈です。クラリスはレクター博士と対面するに当たって、FBIの上官から「奴には充分気をつけろ」と言われ、博士の収監されている精神病院の担当医師からは数々の注意事項を教示され、バイオ・ハザード的な不穏さをまとう物々しい地下の監禁病棟へ入って行きます。

どんなやべえ奴が出てくんのよ……とクラリスと一緒になってガタガタしている観客をよそに登場した博士は、なんと独房の中でクラリスを出迎えるように礼儀正しく廊下側を向いて立っているのです。そして第一声。

「ハロー、クラリス」

クラリスが行くよっていうのは事前に伝えているので知ってても何も不思議ではないのだけれども、初対面でいきなり名前を呼ばれる怖さ、あると思います。博士は元精神科医という肩書きにふさわしく、クラリスをささっとプロファイリングし、異常な嗅覚で彼女が使っているスキンクリームの銘柄まで当ててみせる(しかも「今日はつけてないね」とまで言う)。

注意事項の一つとして、独房と廊下を隔てるガラスの仕切りには不用意に近寄るなと言われてるので、クラリスが近づくと「クラリス離れて!危ないから!」とついつい思ってしまう。というのも、レクター博士は "人食い" の凶悪犯で、収監されてからも仮病を使って自分の拘束具を解かせた上で看護師の顔を噛みちぎったり、国勢調査に来た役人を襲ったりしているのです。当然クラリスの訪問時には万全の体制を敷いてるのに、何が起きるかわからない迫力があるから怖い。

ちなみにクラリス初訪問の直後、博士は彼女にちょっかいを出した隣の房の囚人に暗示をかけて自殺させるという離れ技をやってのけます。これぞダブルミーニング。 そんなわけで、博士の人間離れした洞察力やら人心掌握力やらによって、「博士ってば最強じゃん」という意識が植え付けられ、これはシリーズを通してずっと尾を引きます。



では次にクラリスについて。聡明で勇敢なんだけど、からかいたくなるようないじらしさがあるのがクラリスだと思います。冒頭でFBIの訓練施設内にいるクラリスをカメラが追っていく演出があり、体の大きい屈強な男ばかりのエレベーターに小柄なクラリスが乗り込むのがとても印象的です。FBIの上官に「君は怖がりなほうか?」と聞かれて否定してるけど、レクター博士に初めて会う時は完璧に怯えてます(それを隠して強がってるのがまたかわいい)。

レクター博士から連続殺人事件解決の助言を得るための交換条件として、クラリスは自分の過去を話します。彼女は子供の頃に唯一の肉親だった父親を亡くし、牧場を営む親戚に預けられました。そこで牧場主のおじさんが子羊を屠殺するのを目撃したことがトラウマになっています。博士が元精神科医ということもあって、クラリスのトラウマを聞き出す一連のシーンはまるでカウンセリングのよう。

父親が大好きだったのがクラリスの話しぶりから窺えるし、彼女はおそらくファザコンの傾向があります。最初こそレクター博士に怯えてたものの、自分の進むべき道を示してくれる博士に、やがて父親のような何かを感じているようにも見えます。博士も、クラリスを煽るようなことは言っても決して辱めたり貶めたりという発言はせず、自分のアドバイスによって成長する我が子を見守っているような雰囲気がある。

しかしですね、シリーズ2作目の『ハンニバル』(2001)では、ジョディー・フォスターに代わってジュリアン・ムーアがクラリスを演じています。そう、強い女、ジュリアン・ムーアです(最近この名前をブログに登場させすぎな気がするけど、ジュリアン・ムーアがいろんな作品に出まくってるからしょうがない)。

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『羊たちの沈黙』から10年後、クラリスはFBIで着々とキャリアを積み、優秀なあまり一部の同僚から少々疎まれています。そういうキャラクターの側面としては、ジュリアンクラリスは充分すぎるほどに説得力があります。冒頭でいきなり勃発する任侠映画並みの銃撃戦においても、ジュリアンクラリスは負けない。というか負けるわけがない。

一方で、1作目のジョディクラリスのもつ可憐さはジュリアンクラリスには皆無なので、レクター博士に吸い寄せられてしまう弱さみたいなものが感じられません。つまり『ハンニバル』単体ならまったく問題ないのですが、『羊たちの沈黙』ありきの『ハンニバル』と考えると、どうしてもクラリスというキャラクターにブレが出てくる。ジョディクラリスの『ハンニバル』も、観てみたかったよね。



次に、3作目『レッド・ドラゴン』(2002)に登場するFBI捜査官ウィル・グレアム(エドワード・ノートン)。3作目は『羊たちの沈黙』の前日譚で、言うなればグレアムはクラリスの前任者です。もともとグレアムはレクター博士がシャバにいた時代から事件の捜査について助言をもらっていたのですが、博士が収監された後も、ある連続殺人事件がきっかけで再度博士に協力を仰ぐことになります。

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グレアムに関しては、クラリスより強かな奴がいたんか……という衝撃です。レクター博士に弄ばれることなく、むしろ博士をいらだたせ、焦らせるグレアムのすごさな。それもそのはず。グレアムは博士を逮捕した凄腕の捜査官だから。グレアムを演じるエドワード・ノートンは、私個人としては『ファイト・クラブ』(1999)のちょっと弱々しい主人公のイメージがあったので、骨太でびっくりしました。

前述したように、震え上がるほど迫力のあるレクター博士ですが、さらにその上を行くグレアムが結局のところ一番最強です。レクター博士はこのグレアムに手こずってたからこそ、扱いやすいクラリスを気に入ったのかな。



最後に、『レッド・ドラゴン』の裏主人公とも言えるのがドクターD。演じるレイフ・ファインズの怪演っぷりがたまらないんだけど、兄弟揃って狂人役が似合うのはここの兄弟くらいじゃないのかなと思いました(過去記事参照→「細けえことはいいんだよ 『キリング・ミー・ソフトリー』」)。あとは、柄本佑・時生兄弟も有望ではある。

善意のヘマは笑って許そう 『マギーズ・プラン』


どうも、こんにちは。

本日、暦の上では立冬ということで、ある寒い冬の日から始まるこちらの作品をば。


マギーズ・プラン(2015)

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大学でアートビジネスを教えるマギー(グレタ・ガーウィグ)は、恋人と半年以上続いたことがなく、結婚を諦めています。しかし子供がほしい彼女は、大学時代の友人を頼って精子を提供してもらい、シングルマザーになることを画策中。そんな時、同じ大学の講師である文化人類学者のジョン(イーサン・ホーク)と知り合い、二人は急接近します。既婚者のジョンは妻のジョーゼット(ジュリアン・ムーア)とはうまく行っておらず、やがて離婚を決意し、マギーと再婚することに。



何度もこのブログにお越しくださっている方であれば、すでにおわかりかと思います。

イーサン・ホークが目当てで観た。

でもはっきり言ってしまうと、本作のイーサン・ホークはあんまりかっこよくなかったな(おい)。なんてったって、現妻と前妻の間を行ったり来たりするダメ男だからな(ところで以前『しあわせの絵の具 愛を描く人 モード・ルイス』(2016)を観るのが楽しみと申し上げたのですが、実際に観てみたところ、ゆったりたっぷりのんびりといった感じの映画で、いい話なんだけど、特筆すべきポイントが見つからなくて記事にするのを諦めました)。

さて、主人公マギー役のグレタ・ガーウィグは『フランシス・ハ』(2012)で少々変わり者で残念な主人公を演じていましたが、本作のマギーも似たような性格ですごくはまってます。彼女は身長も高いし、男顔というのか、美人だけどちょっとゴツくて全体的にどんくさそうな感じが親近感わく。本作は一人の男に対して現妻と前妻の一風変わった三角関係を描いたものですが、ドロ沼の昼ドラ化せずに成り立ってるのはひとえにマギーのどんくささによるもの。

だって、強い女といえばこの人でおなじみ、ジュリアン・ムーアが前妻よ。

ジュリアン・ムーアから旦那を奪おうなんて恐れ多くてできないよね。少々アホじゃないと立ち向かえない。でも前妻ジョーゼットは、ジュリアン・ムーアがよそで演じる役に比べると服装がフェミニンだったりするので、若干のやわらかさはあるかもしれません。ジュリアン・ムーアが髪をお団子にしてる姿なんて、他作品では観られないのでは?

そしてひとつ気になるのがこの前妻の名前です。「ジョーット」となっていますが、キャストの方々の発音を聞く限り「ジョージェット」です。ローマ字表記は「Georgette」。どこにも「ゼ」の要素がない。なんでジョージェットと表記しないんだろう、と思って調べました。日本では「Georgette」を「ジョーゼット」と表記するのが慣例になっているようです。もう、そういうことになってるから、仕方ないんだ……。

ちなみに、このジョーゼットが話す英語の発音がアメリカ式じゃなさそうだなと思っていたら、どうやらジョーゼットはデンマーク人という設定らしい(ジョーゼットとジョンの子供たちはデンマークスクールに通っている)。この設定に絡んで、一つおもしろいシーンがあったのでご紹介します。

マギーはジョーゼットの家を訪れた時、玄関(と言っても日本の住宅のように段差はなく、フラットなのでマットが敷いてあるだけ)でいそいそと靴を脱ぎます。アメリカは家の中でも靴履きっぱなしのスタイルなのに、どういうことだ? と思った人はきっと私以外にも大勢いるはず。実は何を隠そう、デンマークをはじめ北欧の国には、家では靴を脱ぐ習慣があるらしいのです。 つまり郷に入っては郷に従え精神で、マギーはおそらくそれに則ったのでしょう。

しかし、家主であるジョーゼットも、子供たちも靴履いたまま。

この家でも郷に入っては郷に従えをすでに実践済み。生活はアメリカ式だよってことなんだろう。ポイントは、マギーが靴を脱ぐ姿をジョーゼットも目撃してるはずなのに何も言わないこと。夫を奪った女にやさしくする気はないっていう意思表示なんだろうか……。さすが強い女……。



本作は設定が突飛でコメディ的なんだけど、要所要所で印象的なセリフが挟み込まれています。

例えば、物語の中盤、ジョンと結婚して3年たち、当初の情熱が冷めてきたマギー(今までは半年続かなかったんだからよくもったほう)は、浮気の末に略奪した夫を前妻に返すというトンデモ計画を思いつきます。マギーのよき理解者である親友のトニー(ビル・ヘイダー)は、これを聞いてマギーの常識のなさに対して呆れ果てて釘を指しますが、彼女には決して悪気がないこともちゃんとわかっています。そんな場面でのトニーのセリフ。

「君は善意の人だ。正しいことをやろうとして必ずヘマをする」

このセリフには思わずハッとしてしまったんだよね。よかれと思ってやったことがうまくいかなくて、周りに迷惑をかけただけで終わるやーつ。きっと誰しも経験があるはずです。中には一度これをやって悲惨な思いをして、余計なお節介を働くのは金輪際やめようと決意したような人もいるかもしれない。マギーのような人はたぶん懲りずにやっちゃうんだな。

それから、マギーへの精子提供に賛同して協力してくれたガイ(トラヴィス・フィメル)は、大学では数学を専攻し、優秀な成績をおさめていたにもかかわらず、卒業後はピクルス屋を開いて小金を稼いでいます。なぜ数学者を目指さなかったのか、というマギーの質問に、ガイはこう答えます。

「数学は美しい。ほんの少しでもかじったならわかる。だけどかじるだけでいい。まるで全体が見えないのさ。真実のかけらを追い求めるのはごめんだ」

ガイは秀才でありながらピクルス屋の店主におさまっているので同級生たちからは変人扱いされているのですが、このセリフのおかげで、あれ、すごいまともな人じゃん、と思いました。ガイと数学の話は物語の結末にも大きく関わってきます。ラストの回収の仕方、私はすごくすきだな。



しかし「数学は美しい」というのはよく言われますね。私は小川洋子の小説『博士の愛した数式』を思い出した(映画版は数学や数式についてはかなり端折られてるので、原作小説のほうがおすすめ)。

おとな様ディナーは修羅場と化す 『おとなの事情』


どうも、こんにちは。

以前の記事で『娼年』は仲のいい友人やパートナーと観てもおもしろいんじゃないかな〜と申し上げましたが(過去記事参照→「笑かしてくるR18映画 『娼年』」)、本日ご紹介するのは真逆の作品です。仲のいい友人や家族ほど一緒に観てはいけないやつ。



おとなの事情(2016)

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思春期の娘に手を焼くロッコとエヴァ夫妻、倦怠期のレレとカルロッタ夫妻、新婚ほやほやのコジモとビアンカ夫妻、そしてバツイチで最近恋人ができたペッペ。古い付き合いの7人は、週末の夜に食事を共にするために集まります。近況報告や世間話に花を咲かせ盛り上がってきた頃、エヴァの提案で、あるゲームを始めることになります。それはスマートフォンにかかってきた電話や届いたメール・メッセージを公開し合い、互いに秘密がないかどうかを試すというものでした。


一応ジャンルはコメディに分類されているのですが、全然コメディじゃないよ。スマホ公開なんて地獄行き決定だろうなというのは想像できた。でも結末はその上を行きました。完璧にサスペンスです。ただね、ひとつ思った。

みんなそんなにたくさん連絡来るの?

たった2時間程度の間に全員のスマホにそれぞれ電話やらメッセージやらが来ることあります? しかも隠しておきたい超極秘案件の相手から。私は10件メールかメッセージが来たら8、9件はメルマガか迷惑メールだよ。LINEも大概公式アカウントからのお知らせだよ。友達少ないのがばれる。

これはリアリティがないとかいう文句ではなくて、フィクションだからそうでないと話が展開しないし全然構わないんですけれども、単純に疑問を抱きました。きっと人付き合いのうまい人たちは毎日いろんな人から連絡が来るんだろうな(遠い目)。

最終的に全員が何かしらの秘密を持っているわけなのですが、その性質はそれぞれかなり異なっています。もちろん程度の大小もあるし、それに加えて、人を傷つける秘密と、自分や大切な人を守るための秘密がありました。秘密がばれた結果、各キャラクターの本性が見えてきます。陽気に見えて実は嫉妬深いとか、逆にうだつが上がらないように見えて実は人情深いとか、偏見なんてないよと口では言っておきながら偏見の塊だったりとか。「私は偏見は持ちません」という言葉ほど信用ならないものはないからね。偏見って無意識のうちに働いてるから怖いんじゃんね。

また、観客側にはわかるけど、本人たちの間では大々的にはばれてない秘密もありました。そういうのがキャラクターひとりひとりの立ち回りのうまさに比例しているというか、ずる賢いやつはうまいこと自分の身を守るという世の中の理を表しています(遠い目)。世の中の理つながりで、人間が数千年前から言い伝え続けているであろう「男と女は違う」という教戒の言葉をWindowsとMacで例えてるのがユニークでおもしろかったです。

男=Windows
ウイルスに弱くて並行作業ができない(レレは「お風呂で洗うのと歌うのが同時にできない」と妻のカルロッタにからかわれる)

女=Mac
頭の回転が速い、直感的で優雅、値段は高くて互換性は低い

女は互換性が低いっていうのが一番皮肉が効いてると思う。


さて、徐々に場が荒れていく中、食事会のホストであるロッコと娘のエピソードにより、一瞬だけ「なんなの、ええ話やん」という空気になるので少々戸惑います。娘は「これから家に来ないかって彼氏に誘われてるんだけど…」という相談の電話を父であるロッコに寄こしてくるのですが、まず親にこの手の相談をしてくるのがかわいらしいし、その相手が母じゃなくて父なのがまたいいよね(娘は母であるエヴァとは絶賛喧嘩中)。そして父も愛娘の相談に真摯に答えます。

父親としては賛成できないが、将来、この日のことを笑って思い出せると思うなら行っておいで。でも確信が持てないならやめなさい。急ぐ必要はないんだから、と。こういう理解のある父親キャラクター、個人的にすごく好きです。『はじまりへの旅』(2016)でヴィゴ・モーテンセンが演じた父親も、息子にいい言葉を送ってた(過去記事参照→「ファンタスティックな父ちゃん『はじまりへの旅』」)。

あとこれも話の本筋とはまったく関係ないけど、男性陣で最もイタリア顔のスーパーマリオ伊達男コジモのスマホの着信音がとても気になりました。グロリア・ゲイナーの「I Will Survive」というやつなんだけど、これテレ朝のやべっちFCのオープニングテーマなのよ。たぶんみんなどこかで一度は聞いたことあると思います。曲調がすごくパワフルなので、まさか歌詞が「失恋から立ち直ったよ私は」っていう内容だとは思わなかった。でもやっぱりめちゃくちゃパワフルだった。みんなググってみて。



この曲はみんな大好きらしく、多くの映画で使われているみたいです。ドラァグクイーンのダンサー3人がバスでオーストラリアを横断するアホみたいにパワフルな映画『プリシラ』(1994)で使われてたのが特に私は印象に残ってます。この作品は『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズのエルロンド卿(ヒューゴ・ウィーヴィング)と、『メメント』の主人公レナード(ガイ・ピアース)の渾身の女装が観れます。←




では最後に、またまた持ち上がる「邦題は誰がつけてるの問題」です。本作の原題は『Perfetti sconosciuti』です。イタリアの作品なのでイタリア語。英語にすると「Perfect Strangers」。つまり「赤の他人」

風刺的〜〜〜〜〜〜〜。

結末がわかると、これは鳥肌もののどぎついブラックジョークです。というか、もはやジョークではない。