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気晴らし細論

2018年09月の記事

イギリス版 僕らの勇気未満都市 『わたしは生きていける』


どうも、こんにちは。

本日はこちらの作品をご紹介。


わたしは生きていける(2013)

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ニューヨーク育ちの都会っ子デイジー(シアーシャ・ローナン)は、16歳の夏をイギリスの片田舎に住む母方の伯母の家で過ごすことになります。自分勝手に振る舞い、初めて会ういとこの3兄弟にも冷たく当たるデイジーでしたが、次男アイザック(トム・ホランド)と末の妹パイパー(ハーリー・バード)の人懐こさにほだされ、そして寡黙な長男エディ(ジョージ・マッケイ)に惹かれ、次第に態度を軟化させていきます。そんな折、ロンドンでテロリストによる核爆発が起き、彼らは戦火に巻き込まれてしまいます。


本作のメインキャストは全員10代(ジョージ・マッケイだけは撮影当時20歳かな?)ですが、みんな演技は一級品です。しかもシアーシャにトム・ホランドという売れっ子の過去作品だもんで、見応えがあります。なんてったってトム・ホランドかわいい。ところどころでスパイディの身体能力の高さを見せてくれています。

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非常にしょうもない話なのですが、これだけはどうしても先に言っておきたい。デイジーとエディがどうにかなるのは初対面からフラグ立ってますから、二人の関係の発展は大変スピーディーでよかったです。無駄がない。しかしながら、です。

川遊びに行くも、頑なに川に入ろうとしないデイジーの肩を抱いてエディが一緒に飛び込むという王道中の王道青春シーンの後が問題です。他の子達はちゃんと水着で遊んだけど、デイジーだけ着衣ドボンだったので川から上がった後、寒いわけです。切り替わって次のシーン。

デイジーが何でもない顔でエディのセーターを着ている。

さすがにスピーディーすぎるよ。カットしすぎだよ。「これ着ろよ」っつって、「えっ」「いいから。寒いだろ」ってシーンは必須じゃないの? しかもこの後しばらく着たまま。もちろんサイズは大きいので、萌え袖どころか指先まで全部隠れています。そしてなんと後日またエディがこのセーターを着ている。芸がこまかいよね……。証拠写真はこちら……。

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これはひとり身にはダメージがでかい。

まあそれはさておき、ジョージ・マッケイは朴訥な長子役がよく似合います。『はじまりへの旅』(2016)では6人兄弟の一番上の長男。有名大学に軒並み合格してしまうほどの秀才なんだけど、特殊な環境で育ったせいで女子と触れ合う機会に乏しく恋に奥手というきゃわいい役でした(作品についてはこちらをどうぞ→「ファンタスティックな父ちゃん『はじまりへの旅』」)。

本作では無口で硬派な長男役。家が停電し、母と連絡が取れず不安がる末の妹パイパーを抱き寄せ、「大丈夫大丈夫」と励ます兄ちゃん。頼り甲斐のある兄ちゃん。願わくばジョージ・マッケイの妹になりたい。 そのうちジョージ・マッケイも特集しようかな。

では、ここからはストーリーの話をば。

第三次世界大戦が勃発した世の中という設定にもかかわらず、劇中で描かれるのはイギリスの小さな町のことだけで、首都ロンドンで何が起きているのかも、外国はどうなっているのかもわかりません。伯母さんは仕事で国外に出ていて音信不通。ライフラインの途絶えた戦時中ってそんな感じなのかもしれないと思わせる怖さがありますが、壮大すぎる設定を持て余してしまってる感じは否めません。

しかしその難点を補うほどに凄まじい子供たちのサバイバル力の高さ。すごいです。脱帽です。

停電しても何のその。いつもと変わらず川遊びをして、火を焚いて、捕獲した小動物(うさぎ?)を焼いて食べたり、子供たちだけで楽しく逞しくキャンプ生活を送っています。だからこそ、そんなに生命力があるなら世界で何が起きてるのかをもっと必死に確認してもおかしくないんじゃないか、という疑問が持ち上がるんですけれども……。せめて近所の家に情報を尋ねに行くとか、テレビ、ラジオがだめなら、ネット回線をどうにか駆使しようとするとかあってもよかったはず。

大人のいない世界で子供だけで生活をする前半は、マジで僕らの勇気未満都市でした。が、避難指示を無視していた彼らは、軍人に見つかって男女別にそれぞれの避難所に送られます。するとここからデイジーの本領発揮。目の周りを黒く囲み、鼻ピ眉ピの神経症気味のこじらせ女子かと思いきや、その真の姿はめちゃくちゃ意識高い系の自分を追い込むストイック型女子、またの名を己を鼓舞して奮い立たせて前に進む自己啓発女子だったのです。

焦らず状況を見極める力、自分だけならまだしも、幼いパイパーの命までも背負う精神力、そして都会育ちのデイジーがどこで培ったのか不明のとんでもないサバイバル力。だってコンパスと地図だけで、方向だけでなく進んできた距離も概ね正しく測れてるの、すごすぎない? エディよりもデイジーのほうが逞しいんじゃ?

エディとデイジーは、離ればなれになる直前、絶対に家に戻って来ようと約束します。その約束を胸にデイジーは一心不乱に家を目指すわけですが、こういう作品は考えうるバッドエンドが何通りもあるので、手に汗握りながら観ておりました。例えば、次のように。

パターン①
家にたどり着いたが誰もいない。何もわからない。エディが帰ってくると信じて待つ。→そのままサバイバルを続ける

パターン②
家にたどり着いてエディの遺体を発見。埋葬した後、私はあなたとの思い出を胸に戦争の終結を信じて生きて行くわ。→そのままサバイバルを続ける

パターン③
家にたどり着くも、そこには見知らぬ人間が住んでいて、デイジーは近くに潜んで様子を見る。そこへエディが帰ってきて、家にいるのがデイジーと思い込んで迂闊に駆け寄り射殺される。→そのままサバイバルを続ける


終盤はなかなかにヘビーな展開が続きます。エディ生きててくれ、頼む、と登場人物の生存を切に願ったのは初めてかもしれません。結局は、ああ、そういうパターンか、とある意味肩透かしを食らう結末ではありましたが、まあシアーシャとジョージ・マッケイが美しかったから許す。

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私は個人的に緊急事態に身を寄せ合って生活するシチュエーションが大好物なので、軍に見つかるまでの未満都市パートをもう少し見たかったな、と思うところです。


笑かしてくるR18映画 『娼年』


どうも、こんばんは。

本日は、舞台公演時も、映画公開時も、大きな話題を呼んだこちらの作品を取り上げます。

娼年(2017)

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大学生のリョウ(松坂桃李)は、大学へ通う意義を感じられず、講義をサボってバーテンダーのバイトに明け暮れる中で、ある時、店に現れた会員制の高級クラブのオーナー・御堂静香(真飛聖)に声をかけられます。彼女に娼夫としての素質があるかを試され、及第点を取ったリョウは、退屈な日々の生活から抜け出すため、娼夫の世界に足を踏み入れます。



薄々気づいてはいたけど、濡れ場がやかましいな。

みんなあえぎ声がでかい。でかすぎる。本作は応援上映(騒いだりしながらコンサートのように鑑賞する特別上映)などもやっていると耳にした時には、ちょっと意味わかんねえな〜、と思ったんですけれども、濡れ場のやかましさを目の当たりにしたら、理解できました。だって、声を出して笑わずにはいられない。

多少大げさにした方が映画が盛り上がるっていうのは、わかります。でも濡れ場のオンパレードなのに、エロさはどこに行った? という感じです。登場人物たちのセリフや動きで毎度大笑いしてしまう。シリアスなのかコメディなのか判断がつきません。むしろそれが監督の狙いでしょうか?

セックスという単語を言う時にみんな意を決して言っている感じも気になります。一番自然に言ってたのは西岡徳馬だった(さすが)。他の言葉で言い換えできる場面でも、みんな頑なにセックスセックス言っているので、そういう呪いなのかなと思いました。

それからもう一つ、監督の狙いなのか?というポイント。

いろいろ絶妙にダサい。

まず、音楽がだせえ。予告映像とかに使われているテーマソング?は暗くていい感じなんですけど、その他の音楽はてんでだめでした。始終ソロサックスのジャズが流れていて、場末のスナック感がやたらと匂います。個人的にジャズは好きなんですけど、どういうわけか全体的に古くさい。

次に、シーンが切り替わるのに合わせて、画面の端にその地名(渋谷とか麹町とか)が出てくるのですが、使われてるフォントもだせえ。こう、何て言うか、ローマ字の筆記体が、結婚式の招待状やウェルカムボードで使われそうな、書き出しの部分がきゅるるんとなってるやつです(伝わりますか?)。ゴージャス感? ブリリアント感? エレガンス感? いらんいらん。

極めつけは、リョウの娼夫仕事用の服がだせえ。いや、最初はよかったんです。カットソーにかっちりしたジャケットで、"普通っぽさ" が魅力のリョウによく似合ってました。ところが娼夫という仕事に真剣に向き合い始めた頃から服装が激変。黒シャツにネクタイまでするようになり、一気にホスト化。下着もボクサーだったのに、途中から丈が短くなって、女性物のヒップハングのようなちょっと下尻が見えるやつに変化し、娼夫感が増し増しに。

そしてラストの一年後のリョウは、スリーピーススーツを着ており、デパートマンみたいでなお気持ち悪い。ほぼ水島(『彼女がその名を知らない鳥たち』(2017)で松坂桃李が演じたデパートマン)。セルフパロディかな。もう、わざととしか思えない。

原作小説では、リョウは根暗だけどモテる(これって両立するのか?)というキャラクターです。おしゃべりではないけど丁寧な会話をするし、読書家なので会話の種になる知識も豊富だし、どこか品のよさも漂う。「女はつまらない」とか言うくせにそこそこ興味はあって、歳のわりにかなり経験もある(初めての客であるヒロミに「リョウくん、ずいぶん遊んでるね」と言われている)。一言で言うと、なんかスカした奴といったところでしょうか。

一方の映画版は、リョウが全然モテそうに見えません。

猫背で、前髪が目にかかっていて、低い声でモソモソしゃべるし、気の利いたことも言わないし、まるで社交性がなさそう。あんまり清潔にも見えない。青ひげも目立つ。 キスシーンとかも全然きれいじゃなくて、すげえ雑。小説のリョウは、もっと丁寧にやりそうなのに。

松坂桃李なのに少しもかっこよくないのは、つまり演技がうまいということなのでしょうか。でも夫婦客に指名されて、夫の前で乱暴されているようにやってくれと頼まれた時の言葉責め演技、真面目にやってんのかってくらいに下手くそで一番笑いました。

以上のように、R18指定の作品ですが、非常に笑かせてくる仕上がりになっているので、付き合いの長い友達、パートナー、夫婦、そういった人と一緒に観ても楽しめるのではないかと思います。親子や兄弟でも、よっぽど仲がよければ、いけるかもしれない。ただし保証はしない。





ちなみに映画にはないシーンですが、原作でリョウと御堂静香が初めて食事をする時、彼が選ぶメニューは何だと思いますか? コンビニとバーの厨房が普段のエサ場で、高級レストランは自分にはひどく場違いだ、とか言ってるリョウが選ぶ料理、ズッキーニとナスとカニの温野菜サラダ、子羊のリブロースト。

スカしてんな〜〜〜〜〜。

洋画好きのための用語集【その1】


どうも、こんにちは。

本日はいつもと少々趣向を変えて、知っておくと洋画を観るのがさらに楽しくなる単語にフォーカスしたいと思います。まずはこちら。


俳優の略称について

ありとあらゆるものの名前を節操なしに略す文化を持つ国・日本。ハリウッド俳優もその魔の手からは逃れられません。ブラピとか、ジョニデとか、そういうやつです。ブラッド・ピットとジョニー・デップです。この二人はみなさんもご存知と思いますが、スカヨハ(スカーレット・ヨハンソン)、ベンアフ(ベン・アフレック)、アンハサ(アン・ハサウェイ)、この辺もわりと浸透しているのではないかと思います。最近だとアミハマ(アーミー・ハマー)とか、トムホ(トム・ホランド)などもよく聞きます。

さて、この「トム」という名前の俳優、かなり多いんですよね。まあ英語の教科書に出てくるくらい「トム」は一般的な名前なので致し方なしではあるのですけれども、有名どころでは、トム・ハンクスやトム・クルーズがいらっしゃいます。若手や中堅にもいっぱいいて、日本でも知名度の高い人だけでも3人。しかも略称がまぎらわしいまぎらわしい。

トム・ハーディ → トムハ
トム・ヒドルストン → トムヒ
トム・ホランド → トムホ

みんなファミリーネームの頭文字がHということで、文字にしても打ち間違えそうだし、口に出したら聞き間違えそう。これはもう略さないほうがいいのでは? という疑念すら持ち上がります。

また「トム」と同様にたくさんいらっしゃるのが「クリス」。でもこちらは略称が浸透して正解と思われます。なんてったって ”クリス多すぎ問題” は洋画好きの中では永遠の議題。全員ほぼ同世代、肉体派、そしてなぜか共演作が多いクリス4人。

クリス・エヴァンス → クリエヴァ
クリス・ヘムズワース → クリヘム
クリス・プラット → クリプラ
クリス・パイン → クリパ

パインの代表作の一つに挙げられる『スター・トレック』シリーズには、困ったことにヘムズワースも出演しています。それからヘムズワースがマイティソーエヴァンスがキャプテン・アメリカプラットがスター・ロードというまさかのマーベルトラップもあります。パイン本人がSNL(サタデー・ナイト・ライブ)でネタとして取り上げる始末。↓



そして以下は略称というより愛称の話になりますが、刺しても死ななそうな強い女ばかりを演じるジェシカ・チャスティンは、巷では「チャス姐」と呼ばれています。めちゃくちゃ合ってて笑える。同じ原理でマシュー・マコノヒーが「マコ兄」と呼ばれてるのも笑える。

アメスパ(アメイジング・スパイダーマン)は、たまにアメスピって言いそうになる。要注意。


では次のトピックへ参ります。


通貨単位のいろいろな呼び方

アメリカの通貨はみなさんご存知、ドル(dollar)でございますが、アメリカ映画を観ていても「dollar(s)」という単語を聞くことはほぼありません。老若男女を問わず、みんな紙幣を片手に「ボックス」「ボックス」と連呼しています。え、box? と思った人もきっと少なくないはず。かく言う私も、何か箱に入ってんのかよ、と思いました。 でも実はこれ、「box」ではなく「buck(s)」です。

というのも、アメリカ人は日常会話において「dollar(s)」よりも「buck(s)」を多用するらしいのです。しかし結構くだけたカジュアルな言い方なので、聞き手によっては汚い言葉遣いと受け取る可能性もあるそうです。英会話慣れしていない奴が海外旅行でイキって「buck(s)」を使うのは避けるべきかもしれません。義務教育英語スピーカーの我々は、ネイティブぶらずに、安全に、「dollar(s)」で行きましょう。

イギリスにおいても同様のことが言えます。イギリスの通貨はポンド(pound)ですが、イギリス人が日常会話で使うのは「quid」だそうです。ただし「quid」は複数形でもSを付けないのが特徴とのこと。ググってみたら、他にも「pound」に代わる単語が三種類くらい出てきたのですが、私にはニュアンスの違いがまるでわかりません。気になる方は、ぜひ調べてみてくださいませ。

そしておもしろいのがオーストラリアの場合です。オーストラリアはかつてイギリスの植民地だったので、現地で話される英語はイギリス英語に近い。それなのに通貨はオーストラリアドルということで、日常会話では「buck(s)」を使うらしい。深い世界。

ちなみにカナダの通貨もカナダドルなので、「buck(s)」を使う。

たぶんしばらく現地に住んでないと知りえない情報を映画によって知ることができる。映画ってやっぱりいいものですね。




以上、マツコの知らない洋画の世界、いかがでしたでしょうか。またおもしろいトピックが見つかり次第、洋画好きのための用語集【その2】をやりたいと思います。



クリスチャン・ベイルはチャンベー。そしてある意味ではクリストファー・プラマーもクリプラ。

『高嶺の花』の結末についての提案(という名の戯れ言)


ドラマ『高嶺の花』最終話を観て、あまりにももやっとしたので、もやっとした内容をまとめることにしました。ツッコミどころも多かったけど、毎週楽しく観ていたので、もっと納得のいくラストにしてほしかったな、と惜しい気持ちです。

ネタバレというより、こうしたほうがよかったんじゃない??? という戯れ言ですので、ご了承いただける方のみご覧くださいませ。

議題は二つ。
①ももは月島の家元になるべきだった
②ももとぷーさんは事実婚でも構わない

この二本立てで参ります。


①ももは月島の家元になるべきだった

ももは新しい流派を立ち上げ、月島の家を離れて、商店街の自転車屋を営むぷーさんに嫁ぎました。妹のななも、花より馬子って感じでなぜか馬のブリーダーとなった宇都宮のもとにダイブしました。結果として、月島家には後継者がいなくなりました。なんか最後に市松とルリ子のお花畑すぎる会話ありましたけど、現実問題、後継がいない。月島家の存続の危機です。

一番やっちゃいけない最悪のやつよ。

ももとなな、どちらが家元になるかでこれまですったもんだやってきたわけですが、その裏には月島の伝統を守るという共通の目的があったはずです。というか、それは姉妹に課せられた使命だったはずです。それなのに二人ともその責任を放棄して出て行ってしまった。これは姉妹の無責任というより、ドラマ制作スタッフの無責任と言える。伝統を軽んじていると思う視聴者がいたとしても仕方がない。

ももの幸せや芸術にフォーカスしすぎて、伝統をないがしろにしてしまったのはどう考えても失敗。両方のバランスをとるという結末にすることも絶対にできたのに。

例えば、日本の伝統芸能のひとつである歌舞伎を例にとってみましょう。伝統の古典をやりつつも、スーパー歌舞伎のような現代風の新しい歌舞伎を作っています。最近は大人気漫画を土台にした演目で新たな客層を獲得しています。歌舞伎の世界のことはよく知りませんが、伝統を守りながら、新しいものを取り入れる。新しい解釈を見出す。そういう温故知新の精神でやっているのではないかと思います。

では話を『高嶺の花』に戻します。俎上で活けられたももの作品を前に、市松は「これは月島流ではない」と言いました。もものとびきり明るい作品は、月島流の真髄 ”たゆたう光と影” にそぐわないということでしょう。だからももは月島を離れて新流派を名乗るための許しを請う、という流れ。しかも市松はあっさり許しちゃう。

あまりにも浅すぎないか。

ももの作品が、月島流の真髄 “たゆたう光と影” にそぐわないなら、もっと違う解釈を持たせればいい。ドラマの中では、「家元は神だ」というセリフが何度か出てきました。ももが家元になったら、月島流を変えることも許される。だって神なんだもん。

ももは感情の起伏が激しく、常に情緒不安定。それはももの個性です。ぷーさんは、ももの笑った顔も、怒った顔も、泣いた顔も、拗ねた顔も、全部が好きなのだから、ももはありのままでいい。ならば、その個性を、そのままいけばなに生かしましょう。花を生ける時の気分によって、お花畑のような天真爛漫な作品があれば、とびきり刺々しい破滅的な作品があってもいい。

つまり “たゆたう光と影” を、ひとつの作品の中で表現することにこだわらなくてもいいのではないか。という提案です。「私はお花」なら、「私が作品。私が月島流」でも構わないはず。たったひとつの作品では完成しない。ももの人生すべてでもって作品であり、月島流なのだと。

実際のラストのももは、すっかり毒が抜けて人格変わってましたね。ぷーさんの愛のおかげだと言われれば納得できなくもないけど、情緒不安定であってこそのももだと思います。結婚生活は山あり谷ありですから、うまくいく時ばかりではない。うまくいかない時でも、ももは花を生ける。その気持ちを作品にこめる。それが芸術家なんじゃないの?

しかもね、もうひとつ大事なことがある。ドラマのタイトルは何でしょうか。

ええ。「高嶺の花」です。

やんごとなきお家柄のお嬢様のももと、下町の商店街の自転車屋のぷーさんが結ばれる。それこそがドラマの根幹じゃないですか。だからやっぱりももは月島の家元にならなければならなかった。



②ももとぷーさんは事実婚でも構わない

前述の通り、やんごとなき華道の家元のももと、商店街の自転車屋のぷーさんが結ばれることにドラマの意義があるわけですが、 “結ばれる” という言葉にもいろいろ解釈の仕方があります。そもそも、ぷーさんは既存の倫理観に囚われない懐の深いキャラクターだし、ももだって、世間体を気にするようなキャラクターではない。そんな二人なのですから、いろんな選択肢があってもおかしくない。

※以下、ももが月島の家元になったと仮定しての話です。

たとえば、家元だからといって、ももは絶対に月島のお屋敷に住まなければならないでしょうか。結婚して風間の家に住んで、そこからお屋敷に通ってもいいでしょう。あれだけ頻繁に行き来してるんだから、きっと距離的にも近いんでしょうよ。

それから、月島の家元であるももが風間を名乗るのがまずいなら、ぷーさんが婿養子になってもよかった。もちろんその場合もぷーさんが自転車屋を捨てる必要はなくて、やっぱりももが風間の家に住んで、お屋敷に通えばいい。ぷーさんが風間直人から月島直人になる。それだけのことです。でもぷーさんにも風間という苗字に誇りがあって、残したいと思うかもしれない。何話か忘れたけど、じいちゃんの代から続く自転車屋だから潰せない、というようなセリフもありました。

ならば、二人は籍を入れなくたっていい。極論かもしれませんが、二人の目的は一緒に生きていくことであって、籍を入れるか入れないかはさほど重要ではないはず。だから事実婚でも構わない。もしくは夫婦別姓が認められるようになったら籍を入れるっていうのもアリなんじゃないですか?

せっかく話題になってるドラマなんだから、それくらいの先進性を持ってたらすごくよかったのになと思います。 “結ばれる” という言葉の意味が、従来の “女が嫁ぐ結婚” にしかならないのは、すごく寂しい。

芸術家とチャリンコ屋の結婚。お嬢様とチャリンコ屋の結婚。あらゆるものから解き放たれて愛は勝つ。愛の前ではどんな非難も無意味。っつー感じで二人には無双してほしかったし、それが似合うカップルだったのにね。ハッピーエンドは大変ご機嫌うるわしいのだけれど、あまりにもお花畑だった。

新流派を立ち上げる。新しい場所から船出をする。ももが自分の道を歩み始めたことを印象付ける方法としては、非常にわかりやすい。でも、ちょっと安易に思える。ももが月島流に迎合する(それができなくて月島流を捨てる)んじゃなくて、月島流がももに従うのが見たかった。やっぱり「私はお花。私が作品。私が月島流」がよかったなあ。

自転車で日本一周の宗太は、まさかのエヴァ的なラスト。「おめでとう」じゃなくて「おかえり」だったけども。

ではこれにて戯れ言終了いたします。お粗末様でございました。

ヴィゴ・モーテンセンはアウトローをやってもスマート 後編 『イースタン・プロミス』


どうも、こんにちは。

本日は前回の予告通り、ふたつめの "ヴィゴ・モーテンセンの誰にも真似できないスマートアウトロー作品" をご紹介いたします(前回の記事はこちら→「ヴィゴ・モーテンセンはアウトローをやってもスマート 前編 『インディアン・ランナー』」)。



イースタン・プロミス(2007)

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クリスマスが間近に迫るある日の夜、ロンドンの病院で助産師をしているアンナ(ナオミ・ワッツ)のもとに身元不明のロシア人の少女が運び込まれます。少女は出産直後に命を落としてしまい、残された子どもの身元を特定するため、アンナは少女の遺した日記を調べます。そしてあるロシアンレストランにたどり着くのですが、そこは "法の泥棒" と呼ばれるロシアンマフィアが経営する店でした。


この作品は、変態映画界の巨匠デヴィッド・クローネンバーグの傑作とも言われておりまして、巨匠の作品初見のわたくしにもばっちりじゃないですか〜と思って意気揚々と観たわけです(過去記事参照→「変態による変態のための映画 『アンチヴァイラル』」)。でも同監督の作品はすでにひとつ観ていたことが発覚した。『危険なメソッド』(2011)というやつです。しかもこれにもヴィゴ・モーテンセン出てる。

話を戻します。デヴィッド・クローネンバーグの傑作と言われるゆえんは、初期作品はクセが強すぎるあまり、苦手な人はひきつけを起こしかねないのだけれど、本作は巨匠の真骨頂であるグロエロ要素をきちんと練り込みつつ最小限に抑えてキレキレの仕上がりのため、一見さんウェルカム作品になっている。つまりより幅広い層に受け入れられる。ということだそうです。

噂に違わずキレキレだった。激シブだった。

まずロシアンマフィアってのがシブい。イタリアでもニューヨークでもないの。ゴッド・ファーザーじゃないの。タイトルの『イースタン・プロミス』は東欧における人身売買契約のことを意味していて、ロンドンの裏社会ではこのロシアンマフィアによる暗躍が実際に社会問題になっているらしい。

そして本題となるヴィゴ・モーテンセンの役どころは、マフィアのボスの息子の運転手ニコライ。息子のキリルは「よお、兄弟〜」みたいなテンションなんだけど、ニコライは「……」みたいな感じ。ちなみにキリルはフランス人俳優のヴァンサン・カッセル(オランジーナのCMに出てる人だよ)で、このシブい俳優二人の共演もポイント。

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左がヴァンサン・カッセル、右がヴィゴ・モーテンセン。


キリルがどら息子で、おつむ弱め、気が弱めなので、その対比によって言葉少なにどっしり構えたニコライの只者ではないオーラがすごいです。騒がず動じず、能ある鷹が爪を隠してる感が出まくり。ネタバレは控えますが、こんなイカつい人が運転手で終わるわけないやん、という予感を序盤からバシバシこちらに与えてくれます。

『インディアン・ランナー』の無法者役が「俺の高校時代のあだ名教えてやろうか! 切れたナイフだよ!」的な危なさをたたえているとしたら、本作はマフィアですから、言うなればプロです。ちょっとやそっとのことではうろたえない精神的な骨太さを感じる。白髪混じりの頭にも、皺の刻まれた顔にも、くぐり抜けてきた修羅場の数を感じる。

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主人公アンナの叔父への威嚇のジェスチャー。


さて、前回記事で、ヴィゴ・モーテンセンは全裸になりがち、とご紹介しました。『インディアン・ランナー』でも一瞬だけ全裸が写りますけれども、本作はその比じゃないです。サウナで襲われて全裸でファイトしてます。モロです。本人も監督もモザイクというものを知らないのかな、と思ってしまうくらいです。ああ、映画ってここまでやっていいんだな、とその懐の深さに驚きました。

しかもまたその肉弾戦のリアルなことリアルなこと。かっこいい派手なアクションじゃなくて、本気の殺し合いが繰り広げられるので、地味だけど観ててハラハラするし、マフィアの世界を覗いた気分になります。そしてやっぱりニコライは強かった。←

ヴィゴ・モーテンセンは、いわゆる「イケオジ」というくくりをされることがありますが、そんな俗っぽい呼び方では足りない。圧倒的に色気がすごいんだ。もっと的確な言葉はないのでしょうか。




余談ですが、ロシア人という繋がりで、『レッド・スパロー』(2017)では、ジェニファー・ローレンスがロシア人スパイを演じていました。映画の世界では、アメリカ人がロシア人を演じたり、アイルランド人がアメリカ人を演じたり、オーストラリア人がイギリス人を演じたり、結構いろいろやってるんですよね。そう考えると『SAYURI』でチャン・ツィイーが日本人を演じてたのも、あんまり叩くことではないのかもしれない。

ヴィゴ・モーテンセンはアウトローをやってもスマート 前編 『インディアン・ランナー』


どうも、こんにちは。

本日は『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズのアラゴルン役で有名なヴィゴ・モーテンセンについて取り上げます。

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1958年生まれ59歳(2018年9月現在)のアメリカ人俳優です。ウィキペディアによると、英語のほかにスペイン語、デンマーク語、フランス語、イタリア語などが流暢に話せるそうです。それからスウェーデン語、ノルウェー語にも堪能だとか。これぞマルチリンガル。大学時代はスペイン文学と政治学を専攻したとのこと。以上の理由で私はこの人を勝手に秀才認定しています。

過去にも何度か彼の出演作をご紹介していますけれども(たとえばこちら→「ファンタスティックな父ちゃん『はじまりへの旅』」)、彼がアウトロー役をやると目力があって迫力があって超怖いんだけど、その佇まいというか、話し方というか、そういうものが上品でスマート。これはただのチンピラではないぞ、と思わせるわけです。

凄み利かせがち。あとなぜか全裸になりがち。

そういうことで、今回と次回と二度に分けて "ヴィゴ・モーテンセンの誰にも真似できないスマートアウトロー作品" を二つご紹介します。ではまずひとつめは、隠れた名作との呼び声も高いこちら。ちなみにショーン・ペンの監督デビュー作です。



『インディアン・ランナー』(1991)

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1968年のアメリカ、実直で心優しい性格の警察官のジョー(デヴィッド・モース)のもとに、ベトナムへ出兵していた弟のフランク(ヴィゴ・モーテンセン)が帰ってきます。フランクは昔から悪さばかり繰り返し、帰国後もたびたび問題を起こす無法者。そんな弟のことを気にかけ、ジョーは何度も救いの手を差しのべて見守ります。そしてついにフランクが結婚して落ち着くかと思われた時、決定的な事件が起きてしまいます。

先に言っておくと、すげー暗いです。ハッピーエンドじゃないし、若干ではありますがグロシーンもあるので苦手な人は多いと思います。

近くに住む年老いた両親を気遣いながら、妻子と仲睦まじく暮らし、地元民にも慕われる真面目な兄と、時折急激に湧き上がるいら立ちを抑えられずに暴れてしまう弟の話なのですが、全くいがみあっていないところがミソと思います。二人は子供の頃から仲がよくて、弟はベトナムから帰還して真っ先に兄に会いに来るくらいだし(両親も近くに住んでるのにそっちには寄らない)、兄も弟のことがかわいくて仕方なくて、自分と違う生き方をする弟に少し憧れてもいる。

このアウトローの弟フランクがですね、もう登場シーンからクールでクールでどないすんねんってくらいクールです。なんてったって軍服。ベレー帽もこれでもかというほど似合う。フランクは確かに意味のない犯罪を繰り返すクズではあるんですけれども、決して頭が悪いわけではないと思います。ヴィゴ・モーテンセンが演じることによって、隠しきれない知性が立ち上っている。またそれによってフランクの葛藤や人間としての深みを感じずにはおれない。色気もすごい。

フランクはベトナム戦争から帰ってきて精神を病んでいるという意見も散見されますが、彼は昔から悪ガキで地元民にも疎まれていたほどなので、凶暴な性格は生来のものでしょう。フランク自身どうにか大人にならなければいけないという思いはあって、平凡な生活に身を落ち着けようと試みはするのです。結婚して定職についてみるものの、しかしやっぱり社会に迎合できない。普通でいられない。

かの有名な太宰治の『人間失格』の中に、こんな一節があります。

「弱虫は、幸福をさえおそれるものです。綿で怪我をするんです。幸福に傷つけられる事もあるんです。」

フランクはまさにそういうキャラクターなのではないかと思います。安定したところへ進んでいくにつれて不安定に揺れるフランクの心情、特に嫁に豆を投げつけるシーンとか、私は観てて「ああ、わかるわ」って思っちゃったんですけれども、他の方のレビューを拝見しましたら、フランクがわりと最低男扱いされていて、自分はフランク側なのかよ、やっべーと思いました。←

一見すると、兄弟は正反対のようですが、何度も道を外しかける弟にどこかで共感する部分があったからこそ、兄はずっと見捨てないで救おうとしてたんじゃないかなと思います。自分は苛立ちを抑えて周囲と折り合いをつけることを学んだけど、不器用な弟はそれができずにもがき続けている。大人になれよと思う一方で、その子供のままの感じも羨ましく思ってたのかもしれません。

タイトル『インディアン・ランナー』の意味は、きちんと劇中で説明されています。フランクが子供の頃に親父から聞いた話を兄に語るシーン。アメリカの先住民のインディアンたちの中には、自分の足で走って伝令をするメッセンジャーがいて、彼らは熊や狼がいるような場所でも絶対に捕まらない。メッセージは食えないから捕まらない。

俺はメッセージだ。とフランクは言います。だから誰にも俺を捕まえられない、と。

小説の話ばかりですいませんの世界なんですけど(©TKO木本)、私はこれで金城一紀の『GO』を思い出しました。めちゃくちゃ足の速いタワケ先輩というキャラクターのセリフで「とうとう捕まっちまったよ……。権力は恐ろしいぞ。相当足が速くなきゃ、逃げきれねえ」というのがあります。タワケ先輩は捕まっちゃったけど、フランクは捕まらないんだな。


本作品は男性人気が高いらしいです。それを20代女で推すやつ、ましてやフランクに共感するだなんて女はそういない気がする。




次回、『イースタン・プロミス』をご紹介。

多くを語らない引き算の勝利 『ショート・ターム』


どうも、こんにちは。

本日取り上げるのは、劇場公開された頃に何気なく "気になるリスト" に入れたのはいいものの、その後放置していた作品です。これがね、先日観てみたらすごくよかったので、自分なかなか見る目あるな、と思ってしまった。←


ショート・ターム(2013)

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家庭や心に問題を抱えた10代の子供たちが暮らす短期保護施設「ショート・ターム12」で働くグレイス(ブリー・ラーソン)は、ケアマネージャーとして子供たちの話し相手になり、生活をサポートしながら彼らを見守っています。そんな中、新入りの少女ジェイデン(ケイトリン・ディーヴァー)が周りに心を開こうとしないことをグレイスは気にかけます。彼女に寄り添うグレイス自身もまた過去の経験から、誰にも打ち明けることのできない苦悩を抱えていました。

あらすじだけを見ると、うっかり『サンサーラ』が流れてきそうな気配すらある。

『ザ・ノンフィクション』ね。私がしばらく "気になるリスト" に入れたまま放置していたのもそんな理由です。重い気分になるやつは観たくないなと思って先延ばしにしてました。実際、手持ちカメラで撮影してるだろうなみたいなシーンもあってドキュメンタリー的ではありますが、やっぱり思い込みはよくないね。

テーマは重いんですけれども、観る側が鬱にならない程度にとどめてくれています。それは話が薄くてペラペラという意味ではありません。この作品は、本当は存在するものを描かない、10あるものを5までしか描かないというスタンスのようです。なぜ残りの5を描かないのか、残りの5には何があるのか、それによって深みはむしろ何倍にも増大している気がします。

まず、ショート・タームで働くグレイスたちケアマネージャーは、教師でもなく、セラピストでもなく、ましてや親代わりでもなく、ただ子供たちを見守ることしかできない(認められていない)立場にあります。だからこそ、子供たち一人一人の事情に深入りせずに、淡々と流れる日々だけが描かれています。これが「なぜ残りの5を描かないのか」の理由と思われます。

次に、この作品はナレーションや過去回想が一切なく、登場人物たちのセリフだけで語られます。つまりキャラクター自身が語ったことしか観客も知り得ません。例えば前述したように、グレイスはトラウマを抱えています(しかも登場人物の中でおそらく一番えぐい過去)。それについては、一緒に働く同僚であり恋人でもあるメイソンにすら打ち明けられず、頑なに口を閉ざしています。

劇中で唯一ジェイデンにだけ、その過去について話すシーンがありますが、本当に一言、二言だけ。表面的な事実だけ。込み入った経緯や事情などは最後まで明かされません。簡単に人に語ることのできない暗い過去があり、それは観客にも明かさない。ご都合主義的な作品作りを否定するリアリティがある。これが「残りの5には何があるのか」の答えです。

暗い話を暗く描くのではなく、殊更ハッピーにするのでもなく、ただ粛々と過ごす日常があって、それでも作品として希望に満ちた終わり方をしているのがすごく珍しいように思いました。時間も97分とすっきり短めで言うことなし。



さて、真面目に語ってしまったので、ここからは私の推しメンの話をします(唐突)。

それはキース・スタンフィールド演じるマーカスという青年。彼も施設の入居者なのですが、作品開始時点でマーカスはまもなく18歳の誕生日を迎えるということで、施設を出ていかなければならない設定です(ショート・タームは18歳になったら卒業するというきまり)。母親から虐待を受けて施設へやってきたマーカスは、また母親と会うようになることに恐怖を感じていました。

そんなマーカスを心配して、メイソンが彼の部屋に顔を出すシーンがあります。普段からラップの作詞をしているマーカスに、メイソンはラップを聞かせてくれと言います。施設では汚い言葉は使用禁止なのですが、「ファックとかビッチとかそんなのばっかりだぜ」と言うマーカスに、メイソンもこの時ばかりは「みんなには黙っておくよ」と微笑みます。このやりとりもいいよね。


恐る恐る自信なさげにラップを始めたマーカスは、次第にビートに乗って自分の思いの丈をぶつけます。自分に暴力を振るった母親へのディスがラップの内容のすべてでした。実はキース・スタンフィールドはラッパーとしても活動しているらしく、私はそれを知らなかったので「すんげえうめえな」と思いました。しかし彼がプロだと知ってから改めて観ると、むしろ最初のぎこちないところの演技がすごい。

他にもマーカスの関係するシーンは全部よかったです。施設を出る前に髪を切りたいというマーカスの希望に沿って、グレイスがマーカスの髪を切ってあげるシーン、すごくぐっときた。それからラストでも、グレイスとメイソンが施設を出たマーカスに街でばったり会ったという話をしていて、本人は登場しないのですが、この一連の話もまたアツくてほっこりした。


最後に、グレイスの恋人のメイソン、めちゃくちゃイイやつ。髭モジャでビジュアルは好き嫌い分かれるかもしれないけど、きっとメイソンみたいなやつと結婚したら穏やかな家庭が築けるよ。