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気晴らし細論

2018年08月の記事

ONEくんはソフィア・コッポラがお好き、でも『heyahe』はリュック・ベッソン


どうも、こんにちは。

本日のお話はKPOPのほうですが、映画の話ものちのち絡んできます。なんてったって、本日ご紹介する韓国の男性ラッパーは、ソフィア・コッポラの映画が好きなんだそうです。ラッパーなのにソフィア・コッポラが好きってどんな奴だよ、と思ったあなた、フォロミー!

そのギャップの塊の名は、ONE(ワン)です。本名のジェウォンから取ってるはずなので、正確にはウォンでしょうか? でも呼びやすいのでワンくんでいきます。巷でも美形だ美形だと言われる彼ですが、私は美形というより、おしゃれな顔だと思ってるよ(出た)。

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村上虹郎と菅田将暉のちょうど中間を行くようなアンニュイ顔。しっかりした眉毛と、大きな目と、全体に漂う脱力感と、なんかよくわからん服着ても様になりそうな感じ。

映画とサッカーが好きで、ジブリのサントラなんかもよく聞くそう。『ルージュの伝言』はインタビューで名前が上がっていました。作品としては確か『千と千尋の神隠し』(2001)が好きと言っていたような気がします(うろおぼえ)。で、一番好きなのはソフィア・コッポラでしょ?

ジブリとユーミンとソフィア・コッポラという森ガール趣味のワンくんは、両腕にがっつりと、いかついタトゥーを刻んでいらっしゃいます。
しかも結構ダサめのやつ。

ギャップがすごいね。会うことすら叶わないが、とても懇意になりたい。私はワンくんとは生年月日が近いので、勝手に親近感を抱いております(でもソフィア・コッポラは好きじゃない)。

ではここからが本題です。ワンくん、2017年7月にソロデビューしてから、一年以上音楽活動をしていません(ちなみに、以前、1PUNCH(ワンパンチ)というデュオを組んでいたりもしましたが、そのあたりについては割愛します)。最近は、ドラマ出たり、韓国版テラスハウス的なやつのスタジオパネラーのようなポジションで出演してたり、ドラマ出たりしています。

誠に恐れながら、ワンくんの演技にはあまり興味がないので、私は音楽活動を待っている。たぶん多くのファンがそうじゃないかと思います。だって、デビュー曲がめちゃくちゃよかったから。

華々しいソロデビューは、シングル名を『ONE DAY』と銘打ち、昼のイメージの『Gettin' by (그냥 그래)』と、夜のイメージの『heyahe(해야해)』という二曲で、いわゆる両A面的なやつでした。まずこちらがプロモーション映像。


はい、コッポラ。
ワンくん、娘コッポラが好きすぎて、MVとかを娘コッポラテイストにしてくれって頼み込んだらしい。これはモロですね(娘コッポラ=ソフィア・コッポラの意。単にコッポラだと、パパコッポラのフランシス・フォード・コッポラが出てきちゃうので)。

昼のイメージである『Gettin' by (그냥 그래)』のMVは、やはりちょっと娘コッポラ入ってます。しかし、私は記事タイトルの通り、夜のイメージである『heyahe』のほうが好きです。MVをしかとご覧あれ。


とりあえず言わせてください。
もうイントロのピアノだけで優勝。

うっとり憂鬱な世界にイントロですでにどっぷり。こちらは娘コッポラじゃなくて、リュック・ベッソンの『ニキータ』(1990)みたい。タイトルの出し方とか特に。ノワール映画っぽさがありますね。水使おうって言い出した人は正解。水中の映像が不思議な世界観を濃くしてる。

しかもこのMVね、歌詞の内容に忠実に沿っていて、ある意味すごく律儀です。ここまで律儀なMVってなかなかないと思う。歌詞はまあセクシャルな感じなんですけれども、直接的な表現がないわりに、抽象的で曖昧かというとそういうわけでもなく、むしろ描写は具体的で妙に生々しい。

『heyahe』の読み方は、そのまま「ヘヤヘ」でOKです。韓国語で「〜しなければならない」という意味です。『Gettin' by』のように英訳タイトルをつけてもよさそうなものですが、そうせずに韓国語の音をあえてそのままアルファベットにしたということです。確かに、英訳したら「have to」になるのかなと仮定すると、情緒がない。



さて、ラッパーとか言ってて全然ラップしてないじゃん、と思われた方がいらっしゃるかもしれません。そうなんすよ。ラップしてないんすよ。でもワンくんは「SHOW ME THE MONEY」というラッパーオーディション番組に出演して、韓国で人気のラッパーたちにもその実力を認められています。ワンくんを大衆向けの楽曲で売り出したのは、業界の闇に思えて仕方ない。

私はデビュー曲好きですけど、本人は納得してたのかなあとかいろいろ不安。ぜひ次はゴリゴリのヒップホップ聞かせてほしい。

娘二人、父、住み込みの青年のその後のほうが気になる 『湯を沸かすほどの熱い愛』


どうも、こんばんは。

この土日、またしてもうだるような暑さでした。暑すぎて湯が沸いてしまいそうだよ、ということで、本日はこちらの作品をば。


『湯を沸かすほどの熱い愛』(2016)

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幸野家が営む昔ながらの銭湯・幸の湯は、一年前に家長である一浩(オダギリジョー)が家出して以来ずっと休業中。一浩の妻の双葉(宮沢りえ)はパン屋で働きながら娘の安澄(杉咲花)を育ています。しかし、双葉はある日のパート中に倒れ、運び込まれた病院で末期ガンの宣告を受けてしまいます。そんな残酷な現実にも怯まず、自分が死ぬまでにやっておかなければならないことを達成しようと双葉は奔走します。


正直に申し上げまして、この作品、個人的にはまったく好きじゃないです。

重いテーマをいろいろ詰め込みすぎ。簡単に言うと、食べ放題で元を取ろうとして食べ過ぎて全部ゲロった感じ。この作品は、大絶賛する人と、超酷評する人と、二分されている気がするのですが、私はどちらかというと後者です。タイトルの意味するところも、ラストで明かされて「えっ……」ってなったし。監督本位の映画という印象です。

しかし、作品の良し悪しについてはここでは特に言及しません。『湯を沸かすほどの熱い愛』でググったら、ディスりにディスっているサイトを見つけまして、私の思ったことはそのサイトで語り尽くされていました。私と同様に作品の出来に疑問を抱いた方は、よろしければググってみてください。

というわけで、本日の議題は非常にしょうもない話です。

物語の要素がてんこ盛りのあまり、疲弊したからでしょうか。作品を観終えた私は、まず第一にこう思いました。


オダギリジョーと松坂桃李がいる銭湯なんて通うに決まってるじゃん。


『湯を沸かすほどの熱い愛』の舞台は、昔懐かしの銭湯・幸の湯。オダギリジョーは幸の湯の主人、そして松坂桃李は、双葉と道すがら知り合い、その人柄にやられて(惚れて)しまって幸の湯で働き始める青年役です。

考えてみてください。このご時世、町の銭湯はかなり珍しくなりました。我が家の近所にあった銭湯も十年以上前に廃業しました。スーパー銭湯は数多くあれど、今でも生き残っている町の銭湯は、もれなく昭和の香り漂うレガシー。そんなところに男前二人がいる。気だるげな大人の色気のオダギリジョーと、気だるげな娼年の色気の松坂桃李。うまいこと言った。

おしゃれなカフェでもレストランでもなく銭湯。花屋や魚屋でもなく銭湯。カラオケでもキャバレーでもなく銭湯。

町の銭湯に男前がいるんだよ? 二人揃ってなくても、確実にどっちかはいるよ? 通うに決まってるだろ。ていうか近所の名物になるだろ。

それから、さらに重要なことがあります。うろおぼえなんですけど、風呂釜の火を焚いているオダギリジョーと松坂桃李(一浩と拓海)に、安澄が「今日の晩ご飯はカレー!」とか言ってるシーンがあったと思います、確か。オダギリジョーと松坂桃李に「カレーできたよ」っていう生活、どちゃくそ羨ましいな。

物語の中盤で、一浩の隠し子?なのか、血縁関係はちょっとよくわからないけど、幸野家は鮎子という小学生の女の子を引き取ります。つまり幸野家には、安澄と鮎子、娘が二人。そして父と、住み込みの青年。ああ娘二人が羨ましい。

中学生、小学生の女の子は年上の男性に憧れちゃうからね。きっと娘二人とも松坂桃李(だから拓海)が初恋の人になるでしょう。でも、彼が銭湯にやってきたのは他界した双葉さんの人柄に惚れちゃったからだからね。彼は双葉さんに母性を感じてるからね。死んでしまった人の思い出は美化されるから、娘二人は彼の中にある双葉さんの幻想を超えられないんだよ。

話が一本書けるわ。

本作品はちゃんと完結しているので、続編が作られることはないでしょう。しかし、私はいろいろ想像してしまうな。

育ての母と産みの母の違いに苦悩する安澄とか、自分は幸野家にいていいのか疑問に思い始める鮎子とか、幸野家には大人の女性がいないので、娘二人の成長について困った男性陣が安澄の産みの母である君江に助けを求めるとか、君江と拓海のなんとなく気まずい関係とか、ネタがあほみたいにごろごろ転がってんだもん。

ここまで想像を掻き立てる作品って、実は珍しいのではないかという気がしてきました。しかもゲスい妄想じゃなくて、ちゃんと物語の内容に沿ったその後の世界。作品についてはいろいろ思うところがありますが、日本のどこかにオダギリジョーと松坂桃李がいる銭湯がある。彼らとともに二人の娘が暮らす家庭がある。ひょっとするとそういう世界線も存在するという希望を提供してくれたので、ここは目をつぶってやるか(何言ってんの?)。

少女たちの履くゴツめのブーツがかわいい件


どうも、こんにちは。

最近暑さが落ち着いてきているのかいないのか、微妙なところではありますが、そろそろ秋物ファッションが気になり始める季節と思います。そこで本日の議題は、映画に登場する少女たちが身につけているブーツについて、でございます。

少女×ブーツといえば、かの有名な作品『LEON』(1994)のマチルダファッションが思い浮かぶのではないでしょうか。ナタリー・ポートマン演じるマチルダが履いていたのはエンジニアブーツ。

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マチルダファッションは未だに根強い人気がありますけれども、これはあまりゴツめではない。悪く言えばちょっと子供っぽい。本日はゴツめのブーツこそかわいいのだということをお伝えしたいのです。



ではまず最初にご紹介するのは『エコール』(2004)から、幼い少女たちが身につけている学校制服のブーツ。

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ご覧の通り、この学校の制服は、白ブレザー×白シャツ×白巻きスカート×茶色の編み上げショートブーツ。このブーツがたまらんくらいかわいい。黒だと結構いかつくなってしまうと思うんですけれども、茶色だからバランスが取れてる。しかもよく見ると、学年が上がるごとにブーツの色が薄くなっているようです。もちろん入学してから一足を履き続けるなんてことはないでしょうが、経年変化で色が落ちてると考えると、ストーリーの内容的にも深いものがあります。

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画像が荒くてすみませんけれども、私は影響されやすいマンなので、大学時代にこの作品を見て茶色のブーツを買いました。本当に、そっくりなやつ。気に入ってたのに安物だったから一年くらいで壊れた。

寄宿舎が併設された森の中の学校に通う少女たちが、ただきゃはきゃはしているファンタジーです(違う)。静かで退屈なので好き嫌いが別れると思いますが、少女たちのお御足の美しさに見とれるばかり。上記の噴水のラストシーンがまた意味深で、とにかく美しさにおいては突き抜けているので、気になる方はぜひご覧くださいませ。



お次のエントリーは『胸騒ぎのシチリア』(2015)から、ダコタ・ジョンソン演じるペネロペの履くブーツ。

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こちらも編み上げブーツですが、紐をちゃんと結ばないスタイル。ペネロペがブーツに無造作に足を突っ込むシーンがあって、その仕草がなんだかすごくおしゃれに見えるんですよ。リゾート地に来ているというのもあって、彼女は常に露出度高めのファッション。それなのに暑苦しいゴツいブーツをワイルドに履いてるのがまたよい。

ストーリーはそれほど見るところもないので、暇つぶしに眺めるくらいがちょうどいいかと思います。『君の名前で僕を呼んで』(2017)の監督、ルカ・グァダニーノ作品ですが、出来には雲泥の差があります。過去記事でも少し触れましたので、ご興味のある方はどうぞ→「煽りと全然違うじゃん問題」



そして最後に『ワン・デイ 23年のラブストーリー』(2011)から、アン・ハサウェイ演じるエマの履くブーツ。

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ご覧いただきたいのは熱いキッスではありません。ヒロインの足元です。白のワンピースにデニムジャケットとゴツいブーツを合わせるやつ。甘辛ミックスってこういうこと言うんやねという感じですね。とてもかわいい。それから、ヒロインの20代から40代までの23年間が描かれている作品なので、このシーンに限らず、全編を通してファッションの変化はひとつの見所です。

内容としては、お察しの通り、長年に渡ってすれ違いまくる男女のラブストーリーなので、「えっ切ない〜〜〜〜」となる人と、「じゃかあしいわ!」となる人と、別にどうでもいいという人と、それぞれではないかと思います。アン・ハサウェイのファンであれば、もちろん観る価値ありです。



私は『エコール』仕様のブーツが壊れてから、ペネロペかエマ仕様のブーツを探しているのですけれども、なかなか見つからずに苦戦しています。今年こそ……!!!

『ワイルド・スピードシリーズ』について思うこと


どうも、こんにちは。

本日は、ワイスピという略称でも親しまれている『ワイルド・スピードシリーズ』についてお話したいと思います。

シリーズは、2018年現在、8作品が発表されています。なんでも、10まで制作することが決まっていて、さらにはスピンオフ作品も公開待ちの状態らしいです。

では、まずこの『ワイルド・スピード』というタイトルですが、これは邦題。原題はまったく別です。しかも、原題、邦題いずれも単純に1、2、3……とはなっていなくて、やたらにややこしい。以下8作分のタイトルです(かっこの中が原題)。


1作目
ワイルド・スピード
(The Fast and The Furious)

2作目
ワイルド・スピードX2
(2 Fast 2 Furious)

3作目
ワイルド・スピードX3 TOKYO DRIFT
(The Fast and the Furious: Tokyo Drift)※時系列的には6の後

4作目
ワイルド・スピード MAX
(Fast & Furious)

5作目
ワイルド・スピード MEGA MAX
(Fast Five)

6作目
ワイルド・スピード EURO MISSION
(Fast & Furious 6)

7作目
ワイルド・スピード SKY MISSION
(Fast & Furious 7)

8作目
ワイルド・スピード ICE BREAK
(The Fate of the Furious)


原題のつけ方、雑すぎないか? ある意味、FFシリーズ。


私は最近1から順番に観ておりまして、先日ついに7作目を鑑賞しました。8作目は未鑑賞ですが、主要キャストの一人であるポール・ウォーカーが7作目のSKY MISSIONの撮影期間中に事故で他界し、彼の出演が7作目までということで、私の中でひと区切りついた感じがあるので、このタイミングで記事を書こうと思いました。観たことのある人にしかわからない話になると思いますが、ご了承くださいませ。


ジャンルはアクション、車をこよなく愛する飛ばし屋たちの話ですけれども、シリーズ全体を通して、どうやら軸には「家族」というテーマがあるようです。キャラクターたちもファミリーファミリーとよく言っています。しかし皮肉なことに、一番ファミリー感があったのは1作目なんですよね。

家族って、切っても切れない縁というか、出来の悪い子でも、不良でも、堅物の頑固者でも、かわいい我が子だ。俺たちは兄弟だ。みたいなやつじゃないですか。たとえ誰かがヘマしても絶対に見捨てたりしない。誰かが転んだらみんなで助け起こす。1作目はちょうどそんな感じだった。

1作目には、シリーズの主人公であるドミニクとその妹ミアの家に仲間たちが集まって、庭でバーベキューをするシーンがあります。仲間たちはみんなゴロツキで、それでも車が好きで集まって修理屋をやっている。半端者ばかりの不完全な家族なわけです。このバーベキューシーンは、みんな笑顔で楽しそうなんだけど、中にはお尋ね者もいるのでほんの少し不穏さも漂う感じがまた絶妙。

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1作目の主要キャスト。見よ、この治安の悪さを。


そんな彼らの立場は、警察に追われるゴロツキから、シリーズが進むにしたがって、逆に警察に捜査協力をする民間人のスーパー助っ人的なものへ変わっていきます。

4作目までは毎回大きく異なっていたキャストも、5作目でそれまでの主要キャストが勢ぞろいして、以降固定されます。固定後のメンバーは、各々が得意なことを活かして、みんなで目的を遂行するために力を尽くす。誰が欠けてもいけなくて、足を引っ張るような人がいないんですね。

6作目のラストでは、前述の1作目のバーベキューシーンに則って、同じようにみんなでテーブルを囲みます。ただ6作目のメンバーは、ファミリーというよりもチームと表現したほうが近いと思います。同じ修羅場を切り抜けた同志たちなので、1作目のファミリーとは意味するところが違ってくる。しかも恩赦を受けて無罪放免だからみんなハッピー。

なお先ほど、シリーズの主人公はドミニク(ヴィン・ディーゼル)と申し上げました。これね、1作目では間違いなくブライアン(ポール・ウォーカー)が主人公だったのに、途中からいつのまにかドミニクにシフトしてるんですよ。

1作目では、警察官のブライアンと、彼が追っている強盗犯ドミニクという立場の異なる二人を中心に物語が構成されていました。立場の違いもあって二人は一度別離しますが、やがてブライアンは警察を辞め、再会してからは行動をともにするようになります。そしてスーパー助っ人チームが編成された頃にはすっかりドミニクが主人公。


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こちらは8作目の主要キャスト。チーム・スタイリッシュハゲって感じ。


大人気シリーズなので、シリーズが進むごとに資金的にも潤沢になって、ガル・ガドット、ドウェイン・ジョンソン、ジェイソン・ステイサム、シャーリーズ・セロン、ハリウッドスターがどんどん出てきます。最初はほぼ無名の役者ばかりだったので、そういう意味でのおもしろさは格段に上がっています(しかし同時に家族感は薄れる)。

それから同様の理由で、アクションもどんどん派手になっています。現実にはありえないスリル満点のアクションが好きな人にはたまらないでしょう。アクション映画としてのエンターテインメント性は向上していると思います。しかしこれも逆に言えば、あまりにも簡単に車が吹っ飛びすぎて、軽やかになってしまっている。車の重さを感じないんです。何しろ7作目ではいろんな意味で空飛んでる。

1、2作目の時の地を這うようなエンジン音や、爆音のパリピミュージックが懐かしく感じます。他にも、仲間の生死とか、罪の意識とか、そういうものが1作目に比べると全体的に軽くなっている気がします。

個人的には、やっぱり1の現実離れしていないリアルな感じが好きだし、1の流れを踏襲しているという点で2も好きです。過去のキャストが集まった5も、それはそれでおもしろかった。5の中盤、パトカー4台でゼロヨンやるところは熱かったな。

3〜6作目は同じ監督ですが、他は毎回違う監督なのも、テイストが変わってくる理由かもしれません。ちなみに1作目は、キアヌ・リーヴス主演の『ハートブルー』(1991)という作品からインスピレーションを受けて作られたと言われています。『ハートブルー』については、以前ほんの少し触れたのでよろしければどうぞ。→「美青年は永遠だ【90年代キアヌ・リーヴス&盟友リヴァー・フェニックス編】」


最近のは軽くなってきてる、なんてこき下ろしつつ、まだ観ていない8も、これから公開になる9、10も、とりあえず一度は観ます。←

みなさんは何作目がお好きでしょうか?

変態による変態のための映画 『アンチヴァイラル』


どうも、こんにちは。

本日は、クセが強すぎるあまり、好き嫌いが激しく別れるであろう作品をご紹介します。


『アンチヴァイラル』(2012)

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有名人から採取された病気のウイルスが高値で取引される近未来。注射技師シド(ケイレブ・ランドリー・ジョーンズ)は、マニアたちにそのウイルスを投与するクリニックで働く傍ら、ウイルスを持ち出しては複製し、闇ルートで売りさばいています。そして自分自身も美しい有名女優ハンナ(サラ・ガトン)のウイルスを日常的に投与していたのですが、ある日ハンナは未知のウイルスで急死。シドもまたそのウイルスに感染しており、日に日に体調が悪化していきます。


上記の作品ポスターにもあるように、この作品はブランドン・クローネンバーグの監督デビュー作です。そして彼は変態映画界の巨匠デヴィッド・クローネンバーグの息子ということで、「変態才能は遺伝する!!!!!」と映画ファンたちが狂喜乱舞しているらしいんですけれども、私はにわか映画好きです。

クローネンバーグとか、そんなん知らねーよ。
バーグという苗字、さてはユダヤ系だな?

知らんが、この作品はすごいぞ。気持ち悪いのに美しい、という意味不明の世界ができあがっています。物語の舞台は、憧れの芸能人・有名人の細胞を摂取したい、彼らと同じ病気に罹りたい、などといった究極のセレブ崇拝主義がはびこるやべえ世界です。

有名人の細胞がほしいのはまだわかるけど、ウイルスはさすがに嫌だよね。でも、あの人のものなら、ウイルスでも何でもほしい!そんな世界。倒錯が過ぎるやべえ世界でありながら、画がものすごくきれいでですね、白を貴重とした彩度の低い画が広がる中に血の赤がよく映えます。

何と言っても注目すべきは、本作における美しさの権化と言ってもいい主人公シド役のケイレブ・ランドリー・ジョーンズ

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トーマス・サングスター、ティモシー・シャラメ、エイサ・バターフィールド、デイン・デハーン、そこらへんの病弱そうな男性が好きな方はもれなく好きでしょう。すごく肌が白くて、そばかすが多くて、髪は赤毛。最近の作品だと、『スリー・ビルボード』(2017)にも出ていました。これから注目の若手俳優です。

本作では、ご覧の通り髪が長く、常に後ろで結んでいるのですが、たまに耳にかけてる前髪がはらはら落ちてくるの、はかなげ〜〜〜〜〜〜。劇中で完璧な美貌を持つ女優という設定のハンナより、シドのほうが美しいと思う。

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劇中、シドはずっと具合悪そうで、ずっと不機嫌顔。体調が悪化し始めると、ふらふら歩き、ぶるぶる震え、はあはあと呼吸は荒く、道端に転がり、床に転がり、終いには血を吐きながら笑ったりしてる。←

作った人間が変態なら、観て喜ぶのも変態。変態ホイホイ。

髪の長いケイレブ・ランドリー・ジョーンズは、『ハリーポッターシリーズ』のウィーズリー家の長男ビルのイメージにどんぴしゃだと思います(実際はドーナル・グリーソンがやりましたが)。




先ほど、デヴィッド・クローネンバーグなんて知らねーよと恐れ多くも言い放ってしまったわたくしですが、同氏と誕生日が一緒でした。巨匠の作品、観てみようかな(ちょろい)。

『dele』の音楽もジャズだよ


どうも、こんにちは。

ドラマの音楽にもっとジャズ使ってよ〜、ということをわたくし以前申し上げておりました(過去記事参照→「ドラマ『ハロー張りネズミ』のサントラ『真夜中のハリネズミ』を激推ししたい件」)。

ドラマ制作をする方々にこのブログを読んでくれた方がいらっしゃったのか(絶対違う)、早くもまたドラマでジャズを聞くことができました。そのドラマとは、7月27日にスタートし、テレビ朝日にて現在放送中の『dele』です。

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ストーリーを簡単に説明しますと、 "人に見られたくないデジタルデータ" を依頼人の死後に消去する仕事を請け負う会社「dele. LIFE」を舞台に繰り広げられる人間ドラマ(?)というところでしょうか。「dele. LIFE」を立ち上げたプログラマーを山田孝之が、彼の仕事を手伝うことになる助手を菅田将暉が演じます。

菅田将暉と山田孝之のダブル主演ということで放送前から話題を集めていましたが、始まったらやっぱりおもしろいですね。すごく安心して見ていられる。脚本を担当するのは原作者である本多孝好を筆頭に、金城一紀、瀧本智行、青島武、渡辺雄介、徳永富彦、と非常に豪華な顔ぶれ。しかも金城一紀はアクション監修までしてる。

では本題に入りましょう。
まだ2話までしか放送されていないけれども、気づいてしまった。音楽がとてもいいということに。とりあえず8月10日放送の第3話の予告映像を貼ります。


ちょっと聞き取りづらいかもしれませんが、ジャズ調です。他にも劇中で流れている音楽はどれもユニークでいい感じです。『ハロー貼りネズミ』にちょっと似てるかな?と思って調べたところ、『dele』の音楽を担当しているのは岩崎太整、DJ MITSU THE BEATS、この2名でした。『ハロー貼りネズミ』とは別の方でした。

さて、8月3日に放送された第2話には、水曜日のカンパネラのボーカルとして有名なコムアイがゲスト出演しました。彼女の役どころは「dele. LIFE」の依頼人であり、ドラマの中の世界で正体不明のガールズバンドとして活動するThe Mintsのメンバーの一人です。劇中では、なんとそのバンドの楽曲が盛大に流れていました。それがこちら。


山田孝之演じる坂上圭司もThe Mintsの大ファンという設定。普段は寡黙でむっつりしているのに、The Mintsのこととなると早口かつ饒舌にしゃべり出して姉(演:麻生久美子)と助手(と視聴者)をドン引きさせる一幕もありました。

ドラマにこういう遊び心があると、この先、劇中にどんな音楽が登場するのかますます楽しみになるよね。サントラが出るのも楽しみだ。



ところでドラマと全然関係ないんですけれども、水曜日のカンパネラの曲の中で、一回聞くと強烈すぎて絶対に忘れない曲ナンバーワンはこれ↓だと思います。以前、職場のラジオから流れてきて、どないな曲やねん、と思いました。


コムアイっておしゃれな顔しとるよな。おしゃれな顔ってなんだよ、というツッコミは受け付けません。とにかくおしゃれな顔です。今日初めてMV見たけど超かわいい。




前述の通り、山田孝之が演じるプログラマーの姉役で麻生久美子も出演していますが、麻生久美子はどちらかというと菅田将暉とのほうが姉弟感あるよね。

賢い姪と賢い叔父と賢い担任の先生の話 『gifted』


どうも、こんにちは。


ずっと観たいと思っていた作品がようやく観れたので、本日はそのお話を。



gifted/ギフテッド(2017)

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生まれて間もなく母を亡くした7歳のメアリー(マッケンナ・グレイス)は、フロリダの小さな町で叔父のフランク(クリス・エヴァンス)とともに暮らしています。やがてメアリーには非凡な数学の才能があることがわかり、学校側にはより高度な授業が受けられる学校への転校を勧められますが、フランクはそれを頑なに拒否。メアリーには普通の生活をさせる。それがメアリーの母でありフランクの姉であるダイアンの意思でした。ダイアンは天才的な数学者でしたが、母から厳しい英才教育を受けて育っていました。


ダイアンとフランクの母イブリンもまた数学者で、ダイアンには数学以外のことを何もさせなかったという恐るべき教育ママっぷりが中盤で明らかになります。そして孫娘のメアリーまでも同じように育てようとする彼女と、フランクが対立するという構図。

ストーリー自体はあまりひねりがなくて、まあそうなるよね〜という展開なのですが、何度涙腺を刺激されたことか。『メイジーの瞳』(2012)とか『チョコレートドーナツ』(2012)とか、子供の親権を争うみたいなやつはね、涙が出てきてしまうよね。

フランクがメアリーに英才教育を受けさせたがらない理由は、あくまでも「ダイアンが ”娘には普通の暮らしを” と望んだから」と徹頭徹尾言っていますが、どうもそれだけではないような気がします。セリフの端々から、フランクもダイアンと同様に子供の頃は英才教育を受けていたことが推測できます(めきめきと力を伸ばしたダイアンとは対照的に、弟のフランクは挫折し哲学や倫理を専攻、のちにその分野の教授になる)。

つまり、母の行き過ぎた教育ママっぷりによって苦しんだ姉が、娘には普通の子供時代を送ってほしいと願ったというばかりでなく、フランク自身もまた子供時代に置かれていた環境に好ましい思い出がなく、メアリーにそんな思いをさせたくないというのが少なからずあるのではないかと思います。



ここから少々ネタバレになりますが、個人的にいいなあと思った点を3つほど挙げます。

まず、メアリーの担任の先生がすごい。メアリーの才能をいち早く見抜き、テストをやらせる時も、メアリーがすぐに解き終わることを予測して、難易度の高い問題を別で用意してきたりします。メアリーを厄介がるのでもなく、一人だけ特別扱いするのでもなく、他の生徒と同じように接しつつも、出る杭を打たないで育てようとする。日本では難しそうだけど、アメリカだと普通なのでしょうか?

次はメアリー。動物園を工作するという宿題を学校から出され、作品を持ってスクールバスに乗り込む場面があります。メアリーは、クラスメイトの1人が作った精巧な動物園を見て、それが自分のものと比べてとても素晴らしい出来であると感じます。しかし、そのクラスメイトは上級生に足をかけられて転び、彼の動物園はぐちゃぐちゃに。メアリーは激怒してその上級生を殴ってしまいます。

翌日教室で、メアリーは上級生を殴ってしまったことを反省するとともに、その壊れてしまった動物園は誰が見てもクラスの中で一番すばらしい出来だった、とクラスメイトを称えます。数学に関しては同級生たちが及びもしない優れた力を持っているメアリーが、他の分野に関しては自分よりも優れた人がいることを理解しているのは、クラスメイトをかばって上級生に立ち向かったこと以上にすばらしいことだと思いました。

最後はフランクについてです。メアリーは、実の父親が自分の存在を知っていて、それでも会いに来るどころか探すことさえしなかったことを知って落ち込みます。そんなメアリーのためにフランクは彼女を連れ出して病院へ。大勢の人たちであふれかえるそこは産婦人科でした。

やがて孫や兄弟、あるいは甥姪の誕生に喜ぶ人たちの姿を目の当たりにするメアリーに、フランクは「お前が生まれた時と同じだ」と言います。メアリーは自分のことのようにはしゃぎ、見ず知らずの人たちの喜びの輪の中に入って一緒に祝福します。軽い言葉で慰められるよりよっぽど効果のある説得の仕方だなと思いました。メアリーでなくても感動した。←

あとね、メアリーとフランクの家の隣人ロバータ役でオクタヴィア・スペンサーが出てくるんですけれども、とてもいい。やさしくて親身になってくれる隣人、友人、そういう役をやらせたらこの人以上に説得力のある人はいないんじゃない?



しかし今作一番の驚きは、メアリー役のマッケンナ・グレイスが役柄に負けないくらいめちゃめちゃ賢そうだったことかもしれません。メイキングではこんなことを言ってました。

「家族とは愛する人のことよ。片親だったり、あるいはママが二人かも。叔父さんと暮らすこともある。でも彼らを愛していればそれが家族なのよ」

隣で聞いていたクリス・エヴァンスも「すばらしい」と感嘆の声をあげてました。10歳前後の子がこんなこと言えるなんて。日本の腐った政治家に聞かせてやりたいな。