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気晴らし細論

2018年05月の記事

『スタンド・バイ・ミー』(1986)に刻まれた歴史


先日、ロイヤルウェディングで披露されたゴスペルの『スタンド・バイ・ミー』を聞き、未鑑賞の本作を観なければと不意に思い至った。少年たちが線路をひたすら歩く話、青春物語の傑作、私の認識はその程度だった。正直なところ、これまではあまり惹かれるところがなくて、観ようと思わなかった。

メインの4人の少年たちは、小学生らしくゲロやらウンコやらでゲラゲラ笑うような幼さを残す反面、大人びた考えを持つ一面もあり、それぞれに苦悩を抱えている。親も兄弟も周りの大人もみんな欠陥だらけで、彼らを取り巻く環境は悲惨だ。甘酸っぱいどころか、苦さばかりが目につく。気の合う友達は一生ものだから大事にしよう、というありきたりな説教くさい話でもない。

少年たちはやがて離れ離れになるし、彼らの前にはどこまでも残酷な現実がある。世の中はいつでも厳しい。その証拠と言わんばかりに、少年たちの中でリーダー格として他の3人をひっぱり、作品そのものをひっぱったクリス役のリヴァー・フェニックスは、1993年に23歳でこの世を去った。

一番好きな映画にこの『スタンド・バイ・ミー』を挙げる人は多い。「自分の少年時代を思い出す」と言う人、「こんな少年時代を過ごしたかった」と言う人、「大人になって初めて作品の良さがわかった」と言う人、逆に「正直、何がいいのかよくわからない」と言う人だって、もちろんいる。

エンディングで流れたベン・E・キングの『スタンド・バイ・ミー』に、私は歴史を感じた。曲自体、数多くのアーティストにカバーされ、様々な場面で使用されてきた歴史があるが、それだけではない。作品の公開から30年以上がたち、世界中の人がこの作品を観てきた。作品を評するすべての人たちの価値観、思い出、人生、それらの蓄積の歴史を、私は曲を通して感じた。

ロイヤルウェディングの話に戻るが、ハリー王子の妻となったメーガン・マークルはアメリカ人であり、また彼女はアフリカ系の血も引いている。彼女をイギリス王室に迎えることには反対の声も大きかったと聞く。それでも、イギリスは彼女を受け入れた。間違いなく歴史的な出来事だ。そしてそれを祝う場で『スタンド・バイ・ミー』が歌われた。少々大げさになることを承知で言うと、この曲には人類の歴史の一端が刻まれたように思える。

映画と主題歌は同じタイトルだ。どちらかの存在するところに、自ずともう片方もついてくる。ロイヤルウェディングの件も、この映画を観るたびに人々に思い出されるだろう。『スタンド・バイ・ミー』はいつまでも忘れ去られることなく、生活の中に根付き、さらにたくさんの人が作品を知る。また少し大げさなことを言うと、『スタンド・バイ・ミー』は人類の歴史とともにあり続けるような気がする。



ムーアさんは結構多い


どうも、こんにちは。

本日は映画作品からは少々はずれた話をします。

外国人の「ムーア」という苗字、日本で生活する我々にはあまり聞きなれない響きじゃないでしょうか? 少なくとも私は、変わった苗字だな、と思っていました。

アメリカには、ジョンソン、ジャクソン、ウィルソンのように、〜ソンという苗字が多いそうです。言われてみれば確かによく聞きますね。これは、まだ苗字という概念がなかった時代に「〜の息子」という意味で、名前の後ろに息子を意味する「son」をつけて呼んだところから来ているらしいです。

「John + son」で、ジョンソン。
「Jack + son」で、ジャクソン。
「Will + son」で、ウィルソン。

うん。わかりやすい。

それに対して「ムーア」、エキゾチックすぎやせんか?

由来がなんなのかわからないんですけれども、例えばアフリカ北西部の原住民のムーア人とかを考えると、やっぱりエキゾチックじゃないですか。ちょっと発音もしづらい。それなのに、この苗字の人が結構多い。なんならみんな親戚じゃないの? と疑ってしまう。

というわけで「ムーアさん」をざっと見ていきましょう。レッツゴー。



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ハリセンボン春菜の「マイケル・ムーアじゃねえよ」というツッコミでおなじみの、ジャーナリスト、ドキュメンタリー映画監督、テレビプロデューサーなど様々な顔を持つマイケル・ムーア



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『007シリーズ』の3代目ジェームス・ボンド役でおなじみの、昨年、89歳で亡くなったロジャー・ムーア。恐れながら3代目の作品は観たことがないんですけれども、改めてまじまじと写真見たらめちゃくちゃかっこいいな…。



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お次は『ゴースト/ニューヨークの幻』(1990)のヒロイン、モリー役でおなじみのデミ・ムーア

ゴーストニューヨークの幻

どうでもいいけど、過去、ブルース・ウィリスやアシュトン・カッチャーとの結婚歴があります(ユマ・サーマンに並ぶくらい強いな。過去記事参照→胸アツかつスタイリッシュなSF傑作 『ガタカ』)。



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もはや大女優の域に到達していながら、働きすぎじゃない?ってくらい幅広い作品に顔を出しているジュリアン・ムーア

ド派手なメイクの強い女をやらせたら彼女の右に出る者はいないでしょう。"鉄の女"マーガレット・サッチャー役はメリル・ストリープがやったけど、ジュリアン・ムーアは物理的に強そうだもん。セクハラしたら裏拳繰り出されそう(強い女枠では、少し下の世代のジェシカ・チャスティンも肉薄してきてる)。



リッチムーア

そして最後に『シュガーラッシュ』(2012)や『ズートピア』(2016)を手がけた(『ズートピア』は共同監督)アニメーション映画監督のリッチ・ムーア(人参持ってるのかわいいね)。

『ズートピア』は何年にも渡って脚本を練ったとのことで、本当に話がよくできていて良い作品です。実は、もともと主人公はうさぎのジュディではなく、きつねのニックだったそう。しかし展開に行き詰まり、その時まだ脇役だったジュディを主人公に変えてみたところ、ハマったらしい。脚本ってこうやって作られるんだなあと感慨深いですね。



このように、ムーアさん、たくさんいるわけなのですが、なんでも、この「ムーア」という苗字、アメリカではかなり多いそうです。何年調べなのかちょっと不明ですが、アメリカ全体で16番目に多く、約70万人もいるとのこと。

全然珍しくなかった。

むしろめちゃくちゃ一般的だった。全員親戚か?とか思ってた自分、なんと無知なことか。



ちなみに、ググってみたら、"ジョニー・ムーア" さんは、トランペット奏者、歌手、ギタリスト、バスケットボール選手、4人の同姓同名の方が出てきました。多すぎ。


以上、くだらない話にお付き合いくださり、ありがとうございました。

胸アツかつスタイリッシュなSF傑作 『ガタカ』


どうも、こんにちは。

イーサン・ホークが好きだ好きだと言っておきながらなぜこの作品の話をしない? と思われそうなので、本日ついに取り上げることにします。



ガタカ(1997)

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遺伝子操作によって優れた遺伝子をもって生まれた「適正者」と、自然妊娠によって生まれ、知能的にも体力的にも劣等な「不適正者」が存在する近未来。遺伝子情報は徹底的に管理され、「不適正者」は希望の職業にもつけず、差別の対象となっています。主人公ヴィンセント(イーサン・ホーク)は「不適正者」でありながら、宇宙飛行士になる夢を諦められませんでした。エリートの「適正者」であり、交通事故で選手生命を絶たれた元水泳選手のジェローム(ジュード・ロウ)と契約を結び、ジェロームになりすまして航空宇宙局ガタカに入局します。

ヴィンセントは正体を偽ってガタカに所属しているので、バレるかバレないかというハラハラの展開が一応の話の主軸です。ストーリーとしては、男の友情の話であり、確執のある兄弟の話であり、意志の強さが常識を覆すという教訓であり、全体的に胸アツな話(しかし説教くさくない)。また、近未来SFの名にふさわしく、ガタカの中やジェロームの家は物が少なくすっきりしていて、ものすごくスタイリッシュです(DVDジャケットもスタイリッシュ)。

あとハゲてないジュード・ロウが見れるのもポイント。

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まず男の友情という部分ですが、ヴィンセントとジェロームはあくまでも契約関係に過ぎず、友情を確認するようなシーンは特にありません。しかし、夢を叶えるために努力をするヴィンセントと、それをサポートするべく黙々と偽装工作をするジェローム、そしてラストシーンは、友情と言わずしてなんとするという感じ。

ところでこれは余談ですが、ジェロームは外国人という設定です。そもそも作品の舞台自体がどこの国なのかは明示されていないけれど、ジュード・ロウがイギリス出身でイギリス英語を話すというのが説得力あるなあと思いました。他のキャラクターはみんなアメリカ英語です。

次に確執のある兄弟という部分。ヴィンセントには「適正者」の弟がいます。体の弱い「不適正者」の兄と、優秀で両親から期待されている「適正者」の弟。二人は遺伝子の優劣のせいで相容れないながらも、兄のヴィンセントは弟を憎んでいないし、弟のアントンも兄を見下してはいるものの、実はどこか心配している節があります。

ヴィンセントが実家を出てから音信不通になっていた二人は、ガタカで起きた殺人事件をきっかけに再会します。殴り合うわけでも抱きしめ合うわけでもないけど、アツい。兄弟が昔から何度も繰り返しやっている度胸試しの遠泳対決も、めちゃくちゃアツい。

最後に、意志の強さが常識を覆すという部分。ヴィンセントがジェロームから借りているのは遺伝子情報だけであり、ガタカでの仕事や宇宙へ行くための訓練は、ヴィンセントが誰の力も借りずに自力でこなしています。つまり「不適正者」だからといって「適正者」の仕事が務まらないとは限らないということ。そしてヴィンセントとアントンの遠泳対決も同様です。「適正者」に体力で劣る「不適正者」が叶うわけがない。アントンも、ヴィンセント自身も、結局はそう思い込んでいただけなのです。



『ガタカ』が名作なのは疑いようがない。しかしどうしてもツッコミたいことがあります。たぶんこの作品を観たら誰もが思うでしょう。

車椅子生活をしている男の家になぜエレベーターがないのか。

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おしゃれな螺旋階段つけてる場合じゃねえよ、と言いたいところなんだけど、たぶんこれはDNA構造を象徴しているのでしょうがない。ジェロームが一階(交通事故によって車椅子生活を余儀なくされている)、ヴィンセントが二階に住んでるみたいですが、エレベーターくらいあってもいいんじゃ?

それからDNA検査装置のデータは残らないのかというのも、少し気になります。本物ジェローム(ジュード・ロウ)が警官に職務質問されDNA検査を受けた直後、別の場所で偽物ジェローム(イーサン・ホーク)が検問され、DNA検査を受けます。サスペンスで「A地点からB地点まで10分での移動は不可能です!」っていうやつ、あるじゃないですか。あれはないんですね?(ご愛嬌ということですね)


さて、ブラッド・ピット主演の『セブン』(1995)の有名なオープニング、シリアルキラーが現場に自分の痕跡を残さないために手の指の皮膚を削って指紋を潰したり、狂ったように日記を書いているやつ。あれを見て私は『ガタカ』に似てると思ったのですが、『セブン』のほうが先でした。『ガタカ』はヴィンセントが本当の自分の痕跡(DNA)をガタカに残さないために爪を切ったりヒゲを剃ったりするシーンから始まります。オマージュなのかな。


イーサン・ホークは無精ヒゲ生やしただらしない男の役が多いので、きれいにヒゲを剃った精悍なイーサン・ホークは貴重です。きっちりなでつけた髪の毛、かっちりスーツ、非常にクールでアザスという感じです。

ちなみにヒロインのユマ・サーマンとは、この作品がきっかけで交際・結婚したそう(のちに離婚)。しかもユマ・サーマンはイーサン・ホークの前に、かの名優ゲイリー・オールドマンと結婚していました。

ユマ・サーマン最強じゃない?

好きな芸能人は? という質問に窪塚洋介と答えると高確率で引かれる


どうも、こんにちは。

最近わりと真剣に映画を語ってしまっている気がするので、本日は表題に即したくだらない話をします。

窪塚洋介といえば、みなさんどんな印象をお持ちでしょうか。多くの方の持つイメージは、たぶんこんな感じじゃないでしょうか。

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これはドラマ『池袋ウエストゲートパーク』(2000)のワンシーンです。窪塚の演じたキング(カラーギャングのヘッド)は、当時そのカリスマ性と独特のしゃべり方で軽く社会現象になったようです。私は小学生とかだったのであまり覚えていませんが、少し前にようやくDVDを借りて観まして、やっぱりキングかっけーとなりました。

そして何と言っても、窪塚に対する世間の印象を決定づけたのが2004年の自宅マンション9階からの転落事故です。真相は未だ謎に包まれていますが、これをきっかけに「窪塚=なんかやばい奴」という式が成り立ったと見て間違いないでしょう(単純に9階から落ちて生きてるってすごくないか?)。

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近頃はメディア露出が控えめな一方でレゲエ歌手として活動していたり、ヒゲと色付きサングラスでチンピラ感が出まくりだったり、やばい奴疑惑がますます深まるところですが(上の画像、ハンドスピナー持ってるの特にやばい)、もともとの作りはだいぶ美形なのでそこんとこよろしく。ネット上で「若い頃の窪塚洋介の凶器のような美しさが好き」とおっしゃってる方がおりました。ほんとそれ。

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はい、きた。坊主でも美形。


ちょうど『池袋ウエストゲートパーク』の頃から転落事故までの間(2000〜2004年)の彼の人気は凄まじく、映画にドラマに、出る作品出る作品で主役を張っています。たぶん忙しすぎて休みなんてなかったはず(それが事故に関係してるんじゃないかと疑うくらい)。というわけで、この窪塚全盛期の映画作品を3つご紹介したいと思います。



GO(2001)

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在日韓国人の高校生の青春恋愛物語です。作品の土台には差別というテーマがどっしり構えていますが、重苦しさはなく、めちゃくちゃクールで疾走感に溢れています。ユーモアたっぷりで読みやすい原作小説の世界観を壊さず見事に映像化していて、クルパー(主人公)を窪塚にしてくれて本当にありがとうという感じです。ただ原作ファンとしてひとつ言わせてもらうと、ヒロインの柴崎コウには原作通り髪短くしてほしかった。窪塚はこの作品で日本アカデミー賞最優秀主演男優賞を最年少受賞しました。



Laundry(2001)

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『GO』が在日韓国人高校生の青春恋愛物語ならば、こちらは子供の頃の事故で脳に傷害のある青年の青春恋愛物語です。それ必要か?というシーンが多くて中だるみしますが、ラストシーンがすごくいいので根気強く観てください。ああ途中でやめなくてよかった〜ってなると思います。BONNIE PINKの主題歌もいいし、ヒロインの小雪の涙が美しくて美しくて。あと20分短かったら間違いなく名作(126分もある)。メイキングでは窪塚の屈託のない笑顔や、わけのわからない冗談、休憩中の喫煙風景が見れます。



ピンポン(2002)

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同名漫画をもとにした作品で、タイトルの通り、卓球の話です。片瀬高校卓球部に所属する幼馴染のペコ(窪塚)とスマイル(井浦新)が様々な強敵と対戦し、挫折を繰り返しながら高みを目指すという王道のストーリーです。窪塚のキノコヘアと天真爛漫キャラちょうかわいいです。あと井浦新が高校生やってるので必見です。窪塚に負けじときれいな顔してます。


以上、渋みの出てきた最近の窪塚もかっこいいですけれども(ちょい役もたくさんやるようになったし)、やっぱり若い頃のカリスマ性はすごかったな。演技力もピカイチだった。今の小・中学生はキラキラの窪塚を知らないのだと思うとかなしい。

ところで、窪塚が何年か前に息子と現妻と前妻と4人で旅行に行ってたのは、いろんな意味でやっぱり頭おかしいなすごいなと思いました。


「愛だよ。こういうのを地球では愛って言うんだよ。宇宙じゃ知らないけどね」


なのか?

彼女は無敵の21歳 DEAN『21』


どうも、こんにちは。

本日お話するのはフジオカじゃないほうのDEAN(ディーン)なんですけれども、誰?っていうご指摘は重々承知していますけれども、正直言って私もよく知らないので、韓国の音楽プロデューサー兼シンガーソングライターという紹介でいいでしょうか(雑)。

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KPOPアーティストに楽曲提供をする傍ら、最近では自分も歌うようになったとか、実は韓国でデビューする前にアメリカで活動していたとか、私の知る情報はそれくらいです。ウィキペディア情報を貼るので気になる方はこちらをどうぞ。→(DEAN(歌手) - Wikipedia

2016年にDEANがリリースした『130 mood : TRBL』というアルバムがあります。

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収録曲
1. And You? (Outro) (어때?)
2. Pour Up (풀어) (feat. Zico)
3. Bonnie & Clyde
4. what2do (feat. Crush & Jeff Bernat)
5. D (half moon) (feat. Gaeko)
6. I Love It (feat. Dok2)
7. 21


このアルバムはひとつの恋を逆時系列に並べた構成ということで、つまり1曲目が終わりで最後の7曲目が始まりなのですが、曲目順で行くと、5曲目ですでにうまくいかなくなっていて、4曲目で破局、残りの3曲(1〜3曲目)はひたすら引きずっているという内容。おもしろすぎる。

当方、失恋ソングを聴いても意味が2%もわからない人間なので、このアルバムを一通り聴いて7曲中6曲はまったくピンときませんでした。唯一、イイ!と思ったのが、恋の始まりを歌った7曲目の『21』です。

なんでも、この21という数字は意中の女の子の年齢を表しているそうです。韓国では数え年でカウントするのが一般的で、21歳というと満19〜20歳ということになります。韓国の成人年齢は20歳ですが、これも数え年でカウントするので、実際は高校を卒業する年の1月1日から成人扱いです。韓国は学歴社会で大学進学率も高く、一般的に考えて数え21歳というと大学2年生。

そんな小娘に
「俺は君の何番目なんだろう?」
「俺のものにするぜ」
とか言ってる社会人の年上の男って、どうよ?
メロメロかよ。

しかし、この曲の魅力が彼女の年齢が21というところにあるのもまた確かでして、これはあくまでも大学へ行った者の価値観でしかないのですが、大学生って最強なんですよ。専攻によってもかなり差がありますが、文系だったらほぼ確実にモラトリアムを満喫します。特に大学2年生は無敵。

入学したばかりの頃は、慣れないことも多くて精神的に不安定になるかもしれません。親元を離れて一人暮らしを始めた人は、ホームシックになったりもするかもしれません。初めてバイトをする人もいるでしょう。初めて恋人を作る人もいるでしょう。お酒を飲むようにもなるでしょう。夜を徹して遊び、始発で帰宅したりもするでしょう。

やがて一年も経つと大抵のことに慣れてきます。それがつまり大学2年生。何でもできるような万能感がみなぎるわけです。この『21』における女の子はその万能感に溢れています。



この女の子、結構クソガキなんですよ。誤解を招くような言葉遣いをし(生意気な口を叩くと見た)、自分に気のある男に対して曖昧に微笑み、あまつさえ「俺のものになってくれ」と言っても、何も答えない。(!!!!!!!)完璧に遊ばれとるやないか。

彼女はたくさんの男にちやほやされてるけれども、美人がゆえに外見しか見てもらえず、中身には誰も興味を示さないんですね。それに彼女はうんざりして、愛なんて、と思っている。無関心を装い、ストレートに気持ちをぶつけられてものらりくらりとしている。とまあ、こんな感じの内容です。

サビ頭の「She's 21 now」という歌詞の部分、特に彼女の強い生命力というか、ああ無敵なんだなっていうのが伝わってきませんか? 彼女の若さ、みずみずしさが鮮明に表れてませんか?

生命力に満ちていて、怖いものなんて何もなさそう、という意味では、東京事変の『閃光少女』にも通ずるものがあるように思います。曲中の少女たちのパーソナリティはまったく似てないし、視点が一人称か三人称かという部分でも大きな違いがありますが、彼女たちを妨げるものが何もない感じはとてもよく似ている。



彼女たちは、たぶん男なんてどうでもいいんすよ。今を生きることだけで充分なんです。だからその女の子たちが男と付き合い出してしまったら無敵じゃなくなっちゃうから、男は手を出さないでおいてほしいよね。まったく無粋だよね(お前何言ってんの?って感じかもしれないけど言わせてほしい)。

映画『奥田民生になりたいボーイと出会う男すべて狂わせるガール』(2017)が公開された頃、ツイッター上で「実際は”椎名林檎になりたいガールと出会う女すべてメンヘラにするボーイ”のパターンが多い」というツイートを目にしたのですが、DEANはまさにその”出会う女すべてメンヘラにするボーイ”の雰囲気がある。DEANファンの子たちはメンヘラが多そう。

さて、歌詞についていろいろ御託を並べましたので、少しサウンドの話もしたいと思います。KPOPは洋楽の最新の流行を積極的に取り入れていて、全体的にものすごく洋楽に寄っています。特にDEANのようなアイドルではないヒップホップ歌手の曲(アイドルの楽曲と区別して俗にK-HIPHOPと言われているらしい)は、その傾向が強いです。

『21』においても、イントロ、サビのリズムの取り方、終盤にアドリブを多用するところに洋楽色が出ています。イントロの何かぽわぽわしたエフェクトの感じは、Groovy Room(韓国の2人組の若手音楽プロデューサー)の『Tell me』や、今回取り上げているアルバムの4曲目にフィーチャリングで参加しているJeff Bernatの『Bonjour』とも似てる。

K-HIPHOPは、洋楽が好きな人ならきっと気に入るはずです。KPOPアイドルのがちゃがちゃ感が苦手なんだよな、という人も、たぶん、いける。


そして『奥田民生になりたいボーイ〜』でヒロインを演じていた水原希子は、ちょうど20歳前後の無敵感をまとったまま年齢を重ねている気がする。

少女よ、教養を身につけろ 『17歳の肖像』


どうも、こんにちは。

近頃、セクハラやら未成年者へのわいせつ行為といった事件・報道がやたらと多い気がします。あまりにもタイムリーな作品を観たので、本日はそのお話を。



17歳の肖像(2009)

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16歳のジェニー(キャリー・マリガン)は、オックスフォード大学を目指す成績優秀な高校生です。しかし年上の男性デイヴィッド(ピーター・サースガード)と出会い、彼やその友人たちが導く大人の世界に夢中になっていきます。やがて厳格な父親や、特に明るくもない自分の未来にうんざりした頃、デイヴィッドからプロポーズを受けます。

いい大人が高校生に手を出すという、現代日本的倫理観から行くとのっけからアウトな話なので、なんか気持ち悪いなあと思って観ていたのですが、イギリスは18歳で成人だしな、やっぱりちょっと日本とは感覚違うだろうな、と想像していたところ、グーグル先生にご教示いただいて判明しました。この作品の舞台は1961年のイギリスです。なんと当時のイギリスの成人年齢は21歳(69年の法改正で18歳に引き下げられました)。ばりばりアウト……。

とはいっても、胸糞悪いシーンはありませんので(サムいシーンはあったけど)安心して観てください。主人公のジェニーがとても賢くて強い女の子ということがわかるラストに、私は少し感銘を受けました。

ネタバレ恐縮ですが結論から言ってしまうと、デイヴィッドは既婚者で、ジェニーとのことは遊びです。しかも過去にも同じようなことを繰り返していて、本妻はすべてを承知の上で夫婦生活を続けています。ジェニーはそれを知り、彼と自分の結婚は現実的ではない、叶わないことなのだと理解します。

このあたりのジェニーの心理描写が少ないのではっきりしたことはわかりませんが、ジェニーの現実を受け入れる早さは目を見張るものがありました。ジェニーは先生に啖呵を切って学校まで辞めてるし、やっぱり初恋で裏切られたらそれなりにショックなんじゃないかと思いますけども。

デイヴィッドが悪いのは間違いないとして、ジェニーは自分自身の過ちをきちんと認め、見栄を捨てて、高校に復学したいと直訴しに行きます(親を連れずに一人で!)。校長に断られても、ちゃんと次の手立ても考えています。今度は自分のクラスを担当していた英文学の先生の家を直接訪ね、大学へ進学したい、力を貸してくださいと嘆願します。

自ら努力して何かをやろうとする人のことを、周囲は絶対に好意的に受け止めます。そしてその普段誠実で努力を怠らない人が困って助けを求めたら、周囲は必ず力を貸してくれるはずです。英文学の先生は、ジェニーの嘆願に「その言葉を待ってた」と言って、喜んで協力してくれるのです。

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(どうでもいい情報だけど、制服が私の高校のものと似ていて妙に親近感を覚えてしまった)

ジェニーはデイヴィッドに対して、17歳になるまで体は許さないと決めていました(なぜ17歳なのかは謎なところ)。ジェニーが好奇心や欲望だけで突っ走る女の子ではないのは確かだと言えます。もし彼女が後先考えず行動していたら、もっと悲惨なことになっていたかもしれません。実際、デイヴィッドは過去に女の子を妊娠させたと本妻のセリフにあります。ジェニーを守ったのは、やはり彼女自身の教養の高さ、賢さによるところが大きかったように思います。

恋愛に限らず、知識がなかったり、冷静な判断ができなくて損をすることは往々にしてあります(出るところへ出れば勝てたのに法律を知らなくて泣き寝入りしたりとか)。騙される方が悪いとは言わないまでも、知識があれば避けられたことで被害を被るのは、悔しいしもったいない。

この作品の原題は『An Education』です。タイトルとしてはおそらく「ためになる経験」というような意味なのでしょうが、個人的には単純に「教育」という意味でも、その重要性を再確認させてくれる作品だと感じました。それなりに勉強もしてきた一人の大人として、勉強は論理的な思考を身につけるため、知識は蓄積してこそ活きるのだ、と私は少年少女に説きたい次第です。






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ジェニー役のキャリー・マリガンはオードリー・ヘップバーンの再来とか言われているらしい。

日本語話者でも日本語字幕がほしい究極のガラパゴス邦画 『シン・ゴジラ』


どうも、こんばんは。

ゴールデンウィークが明け、土日休みの一般企業で働く方々には「7月半ばまで連休がない」というのが合言葉になっているのではないかと想像します。

本日は、第40回日本アカデミー賞をはじめ、各映画賞を総なめにした作品についてしゃべくります。公開時に当作品を観に行った私の友人(東京駅近くの会社に勤務)は、東京駅が壊された場面でこう思ったそうです。

「あっ明日会社行かなくてよくなった」



シン・ゴジラ(2016)

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東京湾アクアライン付近に突如として巨大不明生物〈ゴジラ〉が出現し、日本列島に上陸。一般人を含む多数の犠牲者を出し、首都圏が大混乱に陥る中、内閣官房副長官の矢口蘭堂(長谷川博己)は、巨大不明生物特設災害対策本部(通称:巨災対)事務局長を拝命し、事実上の責任者としてゴジラとの戦いに身を投じます。

この作品には熱烈なファンがたくさんいて、その魅力はすでに他所で語り尽されています。浅いことしか言わない私のしゃしゃり出る幕はないでしょう。というわけで、今回私が言及するのは、おもしろさにかけては折り紙付きだけれども、そのおもしろさって日本語話者にしかわからないんじゃないの?という点です。

ゴジラシリーズは、日本国内外で制作され、世界中にファンを抱えていますが、『シン・ゴジラ』は今の日本社会で暮らす日本人のための作品と言って相違ないでしょう。私は初見の時点で、これは外国人に理解させる気はないなと感じました。

なぜなら、何を言っているか全然わからない。

もちろん話の展開は理解できます。その点は問題ありません。ただ、ひとつひとつのセリフに注目すると、さっき、矢口、なんて言ってた? みたいなところが数え切れないほどあって、私はこれまで3回観ましたが、たぶん登場人物の役職とか6割くらいしか把握できてません。

今年の大河ドラマ『西郷どん』の放送が始まった時、「薩摩訛りが強すぎて何言ってるかわからない」「字幕出して観た」という視聴者の声が上がりました。時代劇だし、薩摩(鹿児島)ことばは訛りがきついとよく言います。わかりづらいのも無理はないですね。

しかし、『シン・ゴジラ』はその比ではない。現代日本語の標準語なのに、字幕を出さないと聞き取れない。なぜか。

①早口すぎる
特定のキャラが、ではなく、みんな早い。聞くところによると、政府関係者はみんな早口なんだそうです。出演者たちは実際の議事録を聞いて、作品も本物に近づけようと努力したんだとか。

②セリフが難解すぎる
軍事用語、政治用語、略語のオンパレードです。特に厄介なのが略語で、観る側は特に序盤は何も情報がありませんから、「緊参チーム」「三管本部」とか(どちらも序盤に出てくる用語)言われても??????って感じです。せめて漢字がわかれば大体の意味も想像がつきますが、音だけでは「キンサンチーム」「サンカンホンブ」と、なんのこっちゃさっぱり。

③テロップが多い
セリフでは略語になっているものを正式名称で表示したり、キャラクター個々人の役職を表示したり、とにかくテロップで説明しようとしてきます。テロップが出ている間もキャラクターたちは早口でしゃべり続けます。テロップを読むとセリフが頭に入らない。セリフに集中するとテロップが読めない。

字幕を出せば、セリフ聞き取れないよね問題は解決できます。しかし今度は、字幕で画面の半分が埋まる問題テロップと字幕が同時に表示されることになって結局追いきれない問題、などの二次被害が発生します。どないなっとんねん。

『シン・ゴジラ』が何カ国語に翻訳されているのかは知りませんが、外国語の字幕をつけるのは地獄のような作業だろうと容易に想像できます。文字だけでは、あの膨大な情報量の半分も伝わらないんじゃなかろうか。かといって何もかも全部翻訳したら、それこそ画面がすべて文字で埋まるでしょう。

巨災対
(巨災対のメンバーたち。尾頭(市川実日子)が環境省の人間ということしか私は把握できてない)


さて、日本人のための作品と評したのは、言語の問題だけではありません。政治の問題や3.11との関連についても『シン・ゴジラ』を語る上で大事な要素です。

まず政治の問題です。頭でっかちな高官たちは「前例がない」と言って何を決めるにもノロノロ、「そんなことは起こりえない」と言って楽観視し、被害を拡大させていきます。前半の内閣の無能具合には目を覆いたくなるものがあります。フィクションなので誇張されてるのはもちろんですが、実際も近からずも遠からずというところなんじゃないかと思ってしまいます。

最後、赤坂(竹野内豊)のせっかく崩壊した首都と政府だ。まともに機能する形に作り変える」というセリフもブラックユーモアがたっぷりだとは思いませんか。風刺映画としても抜群です。

次に3.11との関連についてです。ゴジラが川を遡上して船や車が川の水に流されたり、それによって逃げ惑う人々、ゴジラが放出する放射線の影響など、明らかに東日本大震災を想起させる演出が多数あります。震災当時、テレビには津波から逃げる人たちのショッキングな映像がよく流れていました。放射線量に関しても必要以上に敏感になり、特に漁業や農業では大きな風評被害が起きました。

3.11は被災者だけでなく、日本全国の人を巻き込んだ大災害でした。あれを経験した人には、放射線量が予想値を超えている、核を打つな、そんな作品の中の状況が身近でリアルなものに感じられたはずです。しかし、逆に言えば、あれを経験していない海外の人たちにとっては、『シン・ゴジラ』は単なるスペクタクル映画でしかないのでしょう。

例えば『ダークナイト ライジング』(2012)のラスト、核爆弾の爆発が止められないとわかり、バットマンが海上へ運んでそこで爆発してOK平和です、みたいな展開には驚愕したよね。いやいや全然OKじゃねえよ、と。結局、海外では放射線や核の脅威を日本国民ほどには身近に感じられていないのだと思います。



そして最後に、日本のテレビを見てなかったら日本の芸能人なんてわかりっこないので、キャストが豪華なのも伝わらないはず。おそらく海外の人は、防衛大臣は余貴美子、じゃなくて、女性の大臣、という覚え方をするのでしょう。役名すらもよくわからないままに、入れ替わり立ち替わり出てきては死亡していく有名俳優たち、バイプレイヤーだらけ。

私は何度観ても斎藤工が出てくるところで笑ってしまう。

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夏の風の通り道を感じる話 『君の名前で僕を呼んで』


どうも、こんばんは。

先日「果たしてディカプリオは何回再来して、何人現存しているのか」の冒頭で言及したこちらの作品を観てきました。



君の名前で僕を呼んで(2017)

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主人公のエリオ(ティモシー・シャラメ)は、毎年、家族とともに北イタリアの別荘で夏を過ごします。アメリカで大学教授をしている父親がひと夏につき一人のインターン生を呼び寄せるのが恒例となっていて、1983年、エリオが17歳の夏にやってきたのは、24歳の大学院生オリヴァー(アーミー・ハマー)でした。自信家で横柄な態度のオリヴァーと最初こそ距離を取るものの、次第に二人の距離は縮まっていきます。

とにかく美しい、という評判を聞いていたのですが、本当でした。おしゃれ上品な映画でした。私が勝手におしゃれ映画認定している『シングルマン』(2009)や『キル・ユア・ダーリン』(2013)ともまた違ったジャンルのおしゃれ映画でした。

この映画で一番驚いたのは、実際に自分がその場にいるような圧倒的な埋没感です。日差しの暑さも、草の匂いも、手に取るように想像できます。特に、昼間の屋外のシーンが開放的な清々さを感じるのに対して、夜中の室内のシーンではこれでもかというくらい狭窄感があって、ちょっと意味わからないくらいすごかった。

きっと家のテレビで観る時にはあの埋没感は味わえないのではないか…? と思いましたので、ぜひ劇場で観るのをおすすめします。本当に、大げさに聞こえるかもしれないけど、北イタリアに行った気分を味わえること請け合いです。個人的には、同性同士の恋とかいう要素はマジでどうでもいいと思いました(重要でないという意味で)。

劇中での「扉」の使い方が非常にユニークで、半端ない埋没感に一役買っている気がするので、例を二つ挙げてご紹介します。


その①家の中を風が吹き抜けている

そっと扉を閉めたつもりなのに、風の勢いでバーン!と閉まってしまうという経験はないでしょうか? まさにあんな感じのことが冒頭から終盤まで何度も起きています。夏なので、別荘じゅうの窓やら扉やらが開け放してあり、扉を閉めるたびにどでかい音が響きます。

普段はエリオもオリヴァーもみんな扉を閉める時に大きな音がすることには気を払ってないのですが、2人が初めて関係を持つ夜、静まり返る家の中に扉を閉める音が響いてしまって、やっちゃったー!!!という感じでエリオが頭を抱えるというか、悶絶するような仕草をします(かわいい)。

また、エリオの部屋に洗濯物を持ってきた家政婦さんが部屋を出て行く時に、エリオが「そのまま扉開けといて」と声をかけるシーンがありました。すごくあるあるなセリフでしょ。

ちなみに余談ですが、そもそも別荘の中のありとあらゆる扉がでかい。それが欧米では一般的なのか、あの建物だけの話なのかわかりませんが、日本の住宅の扉の2倍はあるんじゃないかっていうでかさ。おそらく扉は高さ2.5メートル、幅は1メートルくらいあるでしょう。しかも重そう。


その②エリオとオリヴァーの部屋

手書きで大変恐縮ですが、下の画像はエリオとオリヴァーの部屋の位置関係です。

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(扉の向きなどは間違っている可能性がありますのであしからず)

二人(おもにエリオ)が部屋を行き来したり、お互いの部屋を隔てる扉(バスルームの扉含む)が開いていたり閉まっていたり、そういう部分で二人の関係や距離を示しているように感じられました。ただ、あまり語るとネタバレになるのと、一回の鑑賞では「ここのシーンでは扉がこうだった!」という考察がなかなか難しいので深く言及するのは避けます。

これから観るよ、という方は、この部屋の位置関係がわかっているとより楽しめるのではないかなと思います。ぜひ扉の状態にご注目を!


さて、私はおしゃれ上品な映画と前述しました。何といってもやっぱりビジュアルがね、ティモシー・シャラメのお顔、佇まいの品のよさがとんでもなくおしゃれです。上半身裸でいてもどこか上品だし、ぼさぼさの髪に長袖シャツにジーパンという格好でもおしゃれに見えてうっとりします。馬鹿みたいにおしゃれという言葉を連発していますが、おしゃれとしか形容できません。無理です。

一方で、アーミー・ハマーは彫刻のような男前、正統派ハンサムですけれども、全体的にあまりにも強すぎて胃もたれしますね。アーミー・ハマーの身長がほとんど2メートルなので、1メートル80センチ以上あるティモシー・シャラメが小さな少年に見える現象が起きてしまってます。

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左のサングラスがオリヴァー(アーミー・ハマー)で、右がエリオ(ティモシー・シャラメ)。


それから、もうひとつのおしゃれポイントです。エリオの家族は全員がマルチリンガルで、ナチュラルに英語、イタリア語、フランス語を混ぜて話すもんだから、ひとつひとつのセリフが何語なのかわかりません。あれはリモコン片手に何度も巻き戻さないといけない。巻き戻したい。そしてできれば台本を手に入れたい。

家政婦さんはイタリア人だし、現地人と話すときはイタリア語が多いです。しかし、エリオといい感じのマルシアという女の子はフランス出身で、彼女とエリオはフランス語で会話します。また、大学教授であるお父さんとインターン生のオリヴァーは当然学術的な会話をするし、その一環でアプリコットの語源とか話し始めるのでね、ギリシャ語だとかアラビア語だとか出てきます。そしてお母さんはドイツ語で書かれた小説を翻訳してエリオに聞かせる。なんなの。この一家。手に負えないよ。


最後に、タイトルについて言及しますね。

タイトル、おかしいじゃないですか。『君の名前で僕を呼んで』って、意味わからないですよね? これは実際にオリヴァーがエリオに言うセリフなんですけれども、原作者のアンドレ・アシマンは、エリオ、オリヴァー、そしてエリオの父、この3人のキャラクターに自分自身を投影して書いているのではないか、と映画評論家の町山さんは言っています。

つまり、エリオも、オリヴァーも、同じ人物であると。だからどちらの名前で呼んでも同じなんですね。どうやら「バラと呼んでいる花を別の名前で呼んでも香りはそのまま」ということではないようです。君は僕だ、と、そういうことのようです。


なお、監督は続編の制作を予定しているらしいのですが、やめたほうがいいんじゃないかと思う。ひと夏で終わるからいいのにね。