まいど、こんばんは。
本日は、リチャード・リンクレイターの『ビフォアシリーズ』についてです。
たくさんの方が感想やレビューを書いている定番の作品ですが、やっぱりそれだけおもしろいということだと思います。私はイーサン・ホーク大好き芸人なので(過去記事参照→
イーサン・ホークもモソモソしゃべる)彼が目当てで観ました。でもびっくり。すんげえおもしろかった。
ではまずこのシリーズについて簡単に説明します。シリーズは、以下の三作品から成ります。
ビフォア・サンライズ(1995)ビフォア・サンセット(2004)ビフォア・ミッドナイト(2013)それぞれ9年を経て撮影・公開されていて、物語の中でも同じだけ時間が経過しています。つまり、一作目の『ビフォア・サンライズ』から三作目の『ビフォア・ミッドナイト』まで、登場人物も俳優自身も18年分歳をとっています。
一作目は、アメリカ人の男子学生
ジェシー(イーサン・ホーク)と、フランス人の女子学生
セリーヌ(ジュリー・デルピー)がヨーロッパを走る列車の中で出会って意気投合し、ウィーンで一緒に列車を降りて街を散策する話です。シリーズはこの二人の出会いから18年間の物語なのですが、映画はそれぞれ23歳、32歳、41歳の二人の半日(あるいはもっと短い時間)の出来事を描いています。
歩きながら、煙草を吸いながら、飲み物を飲みながら、二人がひたすら話すだけの会話劇です。たまにお店の店員などの第三者が会話に入ってきたりもします。ワンカットワンカットがものすごく長くて、実際に二人の男女の会話を端から見てる気分になるほど自然なのですが、なんと、
シリーズを通してアドリブは一切ないとのこと。本当かよ。イーサン・ホークとジュリー・デルピーは一作目から脚本の執筆に携わっていて、監督やスタッフと練りに練った会話をカメラの前で繰り広げているのです。たぶん彼らの実体験も盛り込まれていることでしょう。とにかくめちゃくちゃリアルです。
スマートな会話をする二人一作目の『ビフォア・サンライズ』の中で、こんなシーンがあります。
レストランで互いの友人に電話で近況を話すという体で、それぞれが電話の相手役(つまり友人役)をやります。セリーヌはフランスにいる友人に電話をかける、その友人役をジェシーがやるという具合です。仲のよい友人と話しているという設定をいいことに、二人は自分の素直な気持ちを打ち明けます。二人がセルフで発している電話の呼び出し音が若干異なるのもおもしろいところ。英語とフランス語の習慣の違いですかね。
セリーヌはフランスの友人に電話している体なので、フランス語で話し出します。ジェシーはフランス語がほとんどできないため戸惑った表情を見せますが、自分はフランス人であるという設定を忘れませんでした。
「私、最近英語を勉強してるから、英語で話さない?」とセリーヌに提案します。この機転の利かせ方はなかなかだと思いませんか。しかしセリーヌはお茶目やな。
ちなみに、このレストランの他のテーブルにいる客が「エゴン・シーレ」と言っているような気がする。エゴンはオーストリア出身の画家なので、あながち間違っていないと思うのですが、どうなんでしょうか。

ジェシーは、フランス人だけど英語が上手なセリーヌと比べて、自分は英語しか話せないし低能だと思われるんじゃないかと不安だった、というようなことをこのシーンでこぼします。しかし二人の会話を聞いていると、ジェシーもきちんと学があって自分の意見を持っている人間だということがよくわかります。
一作目、二作目で二人が繰り広げる会話の内容は、政治問題、環境問題、死生観、宗教観、恋愛観、様々な国や民族の話、他にもこんな研究結果があるといった話など、多岐に渡ります。たくさんの知識をインプットし、取捨選択をして自分の考えとしてアウトプットしているように見えます。
また一作目では23歳の学生という立場の二人ですが、元カレや元カノの話題も出てくるし、それなりに恋愛を経験してきていることが窺えます。下ネタ的な会話をしていても下品な感じにならず、二人とも相手との距離の保ち方を心得ているようです。
ジェシーが一緒に列車を降りようとセリーヌを口説くところは慣れてんなあって感じだったし、セリーヌも上品な感じに見えて結構積極的です。あらそんなこと言っちゃう?みたいな発言が飛び出したりします。どちらか片方でも男女の付き合いに慣れてなかったら、あれだけ二人の距離が近づくことはなかったのではないでしょうか。
ナショナリティについて二人は自分の生まれ育った国ではないところで外国人同士として出会いました。一作目の舞台はウィーン、二作目の舞台はパリ、三作目の舞台はギリシャ、毎回違った環境にいる二人は国際的な性格だと言えると思います。それを示すように、前述した通り、会話には様々な国や民族の話題が頻出します。
シリーズを通して、セリーヌは「フランス人はこういう傾向がある」「東欧はこういう感じだ」「アメリカではこうだ」というようなことを度々言っています。これは決して差別的なニュアンスはなく、単に国民性や国の特徴のようなものを指していると私は認識しました。
二作目の『ビフォア・サンセット』では、アメリカ人は感じがすごく良い、たとえそれが表面的なものであっても。というようなことを言っています。
「How are you?」「Great! How are you?」「Great!」という一人劇を朗らかにやるセリーヌ。
これは本当によくわかる。私も二度ほどアメリカに行ったことがありますが、会う人会う人、必ず「How are you?」とか「How’s everything?」って聞いてきますし、セリーヌがやったような会話をするのが決まりきった挨拶なんですよね。
他にもセリーヌは、ニューヨークに住んでいた時に、警察官に「ここはフランスじゃないんだから、君も銃を持ったほうがいい。やばい奴にいつかこんな風に頭に銃を突きつけられる日が来るぞ」と言われてぞっとしたと話しています。これはセリーヌ役のジュリー・デルピーの実体験でしょうかね。ジュリーもニューヨーク大学に進学して以来、ずっとアメリカに住んでいるらしいので。
うろ覚えですが、一作目でセリーヌは「アメリカに帰ってから、フランス女と知り合ったって言いふらすのは勘弁してね」的なことを言っていたような気がします。こういった発言は、つまりセリーヌが自分はフランス人であることを誇りを持っている表れなのかなあと。一方のジェシーは自らこういった類いの話をすることがほぼないので、自分の出身にはさほどこだわりがなさそうです。
攻めるジェシーと受け手に回るセリーヌジェシーはいつも自分の気持ちに素直で、それを行動に移してセリーヌに伝えようとしています。
列車の中で最初に声をかけたのも、一緒に列車を降りようと誘ったのも、再会する機会を永遠に失った二人がもう一度会えるようにきっかけを作ったのも、そして喧嘩が多くなり距離ができていく関係をどうにか修復しようと努力したのも、すべてジェシーでした。
セリーヌはとても賢くて自立した強い女性ですが、二人の関係においては常に受身だと言えます。恋愛で傷つくのが怖いというようなことは劇中のセリフでも言っています。つまりビフォアシリーズは、
離れて行こうとするセリーヌをジェシーがいつも捕まえる話という感じでしょうか。
以下、ネタバレしますが、二作目は全体を通してそれがよく表れていたと思います。二人の再会が突然のものだったので、初めは互いに自分を取り繕って静かに挨拶したものの、会話を重ねて行くうちに隠していた気持ちが漏れ始めます。
再会した場所はセリーヌが住んでいるパリで、ジェシーはアメリカへ帰る飛行機の時刻が迫っているので空港に行かなければならないのですが、最初に決めた別れのタイムリミットを、もう少し、もう少し、と何度も延長します。そして結局セリーヌの家まで来てしまって、「飛行機乗り遅れるわよ」「わかってる」という会話でエンドロールを迎えます。
なんてエモい会話。 ジェシーはセリーヌの手を離すことができないわけです。
しかしもし立場が反対だったら、つまりセリーヌがその場から立ち去らなければならない状況だったら、恋愛に関して保身的なセリーヌは去っていってしまいそう。いや、それこそ本当に、離れて行こうとするセリーヌをジェシーが捕まえる話になりますかね?でもそれじゃありきたりでつまらなくないですか?
ロマンチックな一作目はもちろんおもしろいし、それだけで完結していて完成度も高いです。でも現実に押しつぶされそうになりつつ踏ん張っている二作目、ロマンチックとはかけ離れてしまってもちゃんと愛がある三作目もおもしろいです。
個人的には、二作目の車内のシーンが切なすぎて泣いた。たぶん泣くようなシーンじゃないけど(びっくり)。二人があまりにもすれ違ってるもんだから。
2022年に四作目やらないかな。
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