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気晴らし細論

カテゴリー "映画" の記事

明治維新上級者向けムービー 『天外者』


どうも、こんにちは。

三浦春馬はいい俳優。それは間違いない。



天外者(2020)

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江戸時代末期、日本が攘夷か開国かで揺れ動く中、若き薩摩藩士・五代才助(後の友厚、三浦春馬)は遊女のはる(森川葵)と出会い、「遊女でも自由に夢を見たい」という彼女の思いに共鳴します。誰もが夢を見ることのできる国をつくるため、坂本龍馬、岩崎弥太郎、伊藤博文らと志を共にします。



私は近年の幕末を舞台とした大河ドラマは『西郷どん』も『龍馬伝』も『花燃ゆ』も『八重の桜』も観ましたし、五代さんが出てきた朝ドラ『あさが来た』も観ましたし、その他、幕末に限らず時代劇は好きですし、明治維新に関してもそこそこ知識のあるほうだと自負しています。しかしながら、本作を観るのは歴史に詳しい人ばかりではないでしょう。あんな悲しいお別れをしたんだもの。三浦春馬のファンであれば、幕末や時代劇にまったく興味がないとしても彼の姿を目に焼き付けようと、きっと観るんじゃないかと思うわけです。

ただし明治維新ビギナーにはいかんせん不親切な本作品。あの時代に関する知識がないと完全に置いてけぼりをくらいます。そういう容赦のない作りになっています。また全体的に情緒を無視したスピーディーな展開です。もうちょっと丁寧に描くことはできなかったのか。五代友厚の一代記を描くなら、あと20分長くても許されるよ。私はファンタジーやSF以外で尺が2時間を超える映画は基本許さない主義なんですけど、全然許すよ。

例えば、五代さんが薩摩藩の武士なので、少し知識のある人なら西郷隆盛や大久保利通が出てくるだろうことは想像がつくでしょう。しかし劇中では、この人が西郷さん!そしてこの人が大久保さん! と紹介してはくれませんでした。大久保さんはわかりやく苗字で「大久保さん!」と呼ばれてるシーンがありましたが、西郷さんは「吉之助(隆盛と名乗る前に使っていた名前)」とたった一度呼ばれただけでした。ご両名の登場シーンは少なかったし、それならいっそ登場させなくてもよかった気がするのですが。

そして勝海舟にしても、こいつ、たぶん、そうなんだよな…? って感じでやっぱりちゃんと紹介してくれない。私は ”坂本龍馬と話している、江戸弁の、たぶんそこそこ地位のあるっぽい海軍関係の人” ということで勝海舟だと判断しました。小説なら文脈とか行間を読むみたいなのもわかるんですけど、そんな風に人物の特定を状況判断的に強いる時代劇ってやばくない?(ちょっと、もし勝先生って呼ばれてるシーンがあったならごめんなさい聞き逃しました)

続きまして、坂本龍馬の幕引きがあっけないことこの上ない。史実があっけない終わり方してるんだから道理といえば道理なのですが、三浦翔平が演じて、ダブル三浦ってことで準主役的なポジションなのに、そんな終わり方ある? という雑さ。弥太郎や利助が悲しみにくれているところに龍馬の暗殺シーンが一瞬の回想みたいな感じでインサートされるだけなの。幕末好きなら坂本龍馬が暗殺されたことなんて別に改めて説明されるまでもないんだけど、明治維新ビギナーからしたら何が起きたのかわからないと思う。

また、結核の描写も不親切よね。幕末好きなら、幕臣派であろうとも維新志士派であろうとも、結核についての知識は絶対あるんですよ。なぜなら新撰組の沖田総司も、長州藩士の高杉晋作も結核で亡くなっているからであります。結核のことなんて、先述した坂本龍馬暗殺レベルの基礎知識。だから五代さんが血を吐いた時に妻の豊子に「俺から離れろ」的なことを言うのも、そうだよね濃厚接触するとうつっちゃうもんね、と納得できる。でもね、当時は結核が不治の病だったことも、五代さんが結核であることすらも、劇中でははっきり言ってくれないわけよ。だからその一切合切がわからない人は「えー! なんでそんなひどいこと言うの!」って絶対思うじゃん。しかも五代さんの死因って結核でしたっけ? と観終わってから疑問に思ってググったんですよ。そしたら史実では死因は糖尿病とのことでした。え? なんで結核にしたの?

あと森川葵の演じた遊女はるは字が読めないという設定でしたが、これは甚だ疑問です。まず、はるは丸山遊郭の遊女です。長崎の丸山遊郭といえば江戸の吉原遊郭や京都の島原遊郭などとも並び称される幕府公認の色街です。見世構えや訪れる客を見るに、はるはそこそこ格式のある遊女でしょう。それならお客さんと文や和歌のやりとりもするはずなので読み書きができなきゃ商売にならない。女子教育が一般的でなかった江戸時代において、遊女は読み書きはもちろん、琴や三味線、舞などを習い、かなり教養があったと言われています。吉原遊郭の遊女はほとんどみんな字が読めたらしいですけど、丸山遊郭は違うんでしょうか?

そもそもこの遊郭にまつわる描写は何もかも曖昧でね、遊郭って一応ランク分けがあって、どのランクの見世かで料金体系も大きく変わってくるんですよ。五代さんは見世の女将に貧乏侍呼ばわりされてたけど、そんな貧乏侍が通える程度の見世なのに、はるを身請けしたイギリス人はイギリス艦隊に手を回せるほどの力のある人で、見世のランクというものがイマイチ掴めない。しかも五代さんは金も払わずにはるの部屋を訪れるシーンとかもあったんだけど、そんなことできなくない? つまみ出されると思うんだけど。



さて、気づけばここまでディス一辺倒で来てしまったわけですが、よかったシーンもちゃんとあったんでお詫びに言っておくわ。五代さんが薩摩の生家にて髷を切り落とすところは胸が熱くなりました。ああ、武士の五代才助は死んだんだなって、もう自分は五代家の人間じゃありませんって、そういうことなんだなって。武士が髷を切り落とすのは死と同義であって、死人には手が出せない。また過去との決別、良縁も悪縁も一切のしがらみを断つという意味でもある。つまり五代才助がどれだけ不届者で後ろ指さされようとも、五代家とは関係なくなるから家を守ることにもなる。

そしてこのシーンではもうひとつの覚悟が見えるんですよ。物語の序盤、五代さんは抜刀できないように自分の刀の鞘と鍔を紐で縛ります。これは人を斬らないという強い意志の表れなのですが、その刀を叩きつけて鞘を割り、刀身を出して髷を切るんです。だから五代才助が斬った最初で最後の人物が自分なわけ。武士である自分との決別もそうだし、ある意味では武士の時代との決別でもある。

そんなこんなで、もう二度と帰らない覚悟で薩摩を後にした五代才助あらため五代友厚。なのに「お前は五代家の恥さらしじゃ! 腹を切れ!」とか言ってた兄上が数年後(十数年後?)に「ハハキトク スグカエレ」ってな電報を寄越してきたのはずっこけた。帰宅許すんかい。母ちゃんが息子に会いたがってたから冥土の土産に許したってことなのかもしれないけど、それなら髷を落とすなんてドラマチックなシーンは作らないでほしかった。台無し。



結局ディスってしまった。悪い癖。

パンケーキとコーヒーとおしゃべり。君と僕と建築 『コロンバス』


どうも、こんにちは。

2021年最初に取り上げる作品はずっと観たかったやつ! DVD出てやっと観れた!



コロンバス(2017)

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モダニズム建築の街として知られるアメリカ・インディアナ州のコロンバス。講演ツアー中に倒れ意識不明の建築学者の父を見舞うため韓国からやってきたジン(ジョン・チョー)は、地元の図書館で働く若い女性ケイシー(ヘイリー・ルー・リチャードソン)と出会います。父親との確執から、自分の仕事を差し置いてまでコロンバスに留まることに疑問を抱くジンと、建築の勉強をしたいと思いながらも薬物依存症の母を置いて街を離れる決心がつかないケイシー。二人はコロンバスの様々な建築物を巡り、互いの胸の内を少しずつ吐露していきます。



本作は建築物を軸に進み、BGMが生活音中心だったり、静かで起伏の少ない穏やかな映画なので眠気を誘う危険性も大です。しかしストーリーの本質は普遍的な親子の話です。大げさでなく、感情移入できて、わかりやすい。個人的には『ショートターム』(2013)のような、引き算の上手な映画だと思いました。参考資料→多くを語らない引き算の勝利 『ショート・ターム』

ジンもケイシーも親について話す時は口が重いのですが、人に容易に話せないのはつまりそれだけ胸の内に抱いてるものが複雑で重い証拠じゃないですか。例えばジンとお父さんの間に過去何があったのか、具体的なことは最後まで明かされません。それでもジンの言動を見れば確執の根の深さは想像がつきます。ジンは韓国系アメリカ人とのことなので、おそらくアメリカで生まれ育ち、大人になってから韓国へ移り住んでいます。親から離れて海外で暮らし、連絡もほとんど取っておらず、父の入院の知らせを受けて帰ってきたけど早く韓国に戻りたがっている。

韓国では親の臨終に立ち会わないと親の魂が成仏せず亡霊になってしまうという言い伝えがある、とジンがケイシーに話す場面があります。アメリカで生まれ育ってるからなのか、ジンはその考えがあまり身近でないというか納得できてないようですが、父親を見捨てて韓国へ帰ろうものなら周りから白い目で見られるのは理解していて、世間の慣習と自分の気持ちの間で葛藤しているのがうかがえます。

また、ケイシーのお母さんの薬物依存についてもケイシーが言葉少なに語るだけで終わります。ジンが尋ねるんだけどケイシーは明らかに話したくないのが態度に出ています。しぶしぶ質問に答えるうちに苦しくて涙が出てきちゃう感じがめちゃめちゃ自然で、ケイシー役のヘイリー・ルー・リチャードソンの演技が抜群にいい。ケイシーとお母さんが一緒にいる場面は序盤からたびたびあるのですが、薬物依存については中盤まで一切語られないので普通に仲のいい親子に見えます。

この、一見まるで問題のなさそうな親子っていうのが絶妙なんだよね。お母さんは立ち直って元気に生活してるけど、いつそれが崩れるかわからないからケイシーは自分の夢を追うことができないし、少し見方を変えると、お母さんとの関係が良好だからこそ再発させたくなくて離れられないとも言える。ジレンマというか、薄氷の上に乗ってる緊張感というか。もし親子関係が悪かったらケイシーも自分のことを優先するでしょう。つらいな。

そしてすごく人間的でリアリティがあると思ったのは、人の感情の多面性というか、何事も簡単に白黒つけられない曖昧な部分を描写しているところです。ジンは建築には興味がないと言いながら、コロンバス滞在中に父親の私物である建築関係の本を読んでいたり、憎んではいても少なからず影響を受けています。また、父親の助手(教え子?)であるエレノアとの関係にしてもそう。かつてエレノアに好意を抱いていたジンはコロンバスで彼女に再会し、少し気持ちが揺らぎます。ジンは独身っぽいですが、エレノアは既婚者。大抵のドラマや映画はそのまま不倫するよな。でも本作は一味違いました。そういうところ、めっちゃ信頼できる。加えてこの一連シーンはホテルの一室にて、鏡にうつる二人をカメラが捉えてるところが秀逸。なんと憎い演出。おしゃれすぎる。

本作のメインであるジンとケイシーの関係もね、親戚でも恋人でも上司部下の関係でもない年の離れた異性って存在がまず稀有で貴重ですよね。尊い。あまり近くなくて、だけど建築という共通項があって、適度な距離感だからこそ二人は互いのことが話せた。建築が人を癒す、というようなセリフが登場するのですが、二人がコロンバスの建築物を巡る時間はまさにカウンセリングのようで、生まれ持った文化も家庭環境も自分の置かれた現状も何もかも違うのにどこか共鳴し合っている。建物の前でパンケーキみたいなもの食べてるシーンとか超エモかった。『リアリティ・バイツ』(1994)の「タバコとコーヒーとおしゃべり。君と僕と5ドル」風味でよかった。恋人じゃないけど好意はある、みたいな人と朝ごはんを食べるの、ちょっと憧れるんだよな。



最後に。ケイシーが二番目に好きな建築物を訪問する場面、初めて見た時に感動したから好きなのだそうですが、その肝心の感動した理由を話すところは無音になります。まだまだ浅い私の脳みそでは推察もできず、えー! 教えてよー! となったのですけれども、こういうのがあるから何度も観て解明しようと思うんだよね。この映画はやっぱり演出が憎いわ。先ほど登場人物たちの関係性の話をしましたが、ケイシーと図書館の同僚ゲイブの関係も付かず離れずで絶妙でさ、憎いわ。

江戸川乱歩、B級パニック映画になる 『キラーソファ』


どうも、こんにちは。

話題作も多数公開されている中、世の中の潮流に完全に逆らってB級映画。



キラーソファ(2019)

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ダンサーのフランチェスカ(ピイミオ・メイ)は殺人事件の捜査をしている二人組の刑事から事情聴取を受け、切断された人の足の写真を見せられます。被害者と思われる人物はフランチェスカの元カレでしたが、破局後ストーカー化した元カレから身を隠すように生活していたフランチェスカは何も事情を知りません。そして同日、フランチェスカは呪われた曰く付きの古いソファを、そうと知らずに知人から譲り受けてしまいます。



世の中にはサメ系のパニック映画ばっかり観るマニアの方がいると聞きますが、最近その気持ちがわかるようになってきました。暗い映画も大好きだけどさ、アホくさいB級映画を観るのも楽しいよね。前回記事の「きみの瞳が問いかけている」のような作品はシリアスなラブストーリーと思って観るからちょっとしたアラが目立っていろいろツッコみたくなっちゃうけど、最初からゆるゆるな映画とわかってれば超えるべきハードルなどないに等しい。もはやスマホ片手に鼻ほじりながら眺めるくらいのノリ。

というわけで本作もB級パニック映画という肩書きに違わぬ適度なゆるさと若干の恐怖感で快調に進むわけですが、映画レビューサイトを覗くと5点満点中2.3とか目も当てられない低評価。あまりにも低い。低すぎる。確かに完成度は高くないけど、正直そんなにこき下ろすほどではないと思う。と、ここでふとある考えが私の頭によぎります。そしてその予感を裏付けるかのように、レビューサイトには「ソファが人を襲うというトンデモ設定!」「予測不可能な殺人ソファ」という文言が踊り狂う。


まてまて、もしかして、みんな、『人間椅子』というエログロホラーの傑作を知らんの?


ソファが人を襲うホラー映画だなんて、あらすじを読んだ時点で『人間椅子』かよって私はテンション上がったのに、『人間椅子』というワードは不自然なほどレビューの中に出てこない。嘘でしょ。『人間椅子』ってそんなに知名度低いの? 江戸川乱歩なのに? とか偉そうなこと言っておいて、私も江戸川乱歩の著作は友人に勧められた短編いくつかと『孤島の鬼』くらいしか読んだことないんですけれども、個人的には『人間椅子』が江戸川乱歩の最高傑作だと思ってるんで。やっぱり持つべきものは友だな。

さて、どう考えても物語の素地は人間椅子だと思うけどさ、そうでないならむしろ一体どんな設定なのか知りたいじゃん。答え合わせという意味でも観たさが余計に募るじゃん。そしていざ蓋を開けてみたら、ソファがまるで人格を持っているかのように動く。機敏に動く。フットレスト部分が足のように、肘置き部分が腕のように、ヘッドレスト部分が頭のように、およそホラー作品とは思えぬコミカルな動き。物理の法則を超えたオカルト映像。これぞB級の醍醐味。同時に、あれ、人間椅子じゃ、ない? と若干の不安を覚え始める。

※以下ネタバレあります。

登場人物がひとりまたひとりと順調にソファの餌食となりながら、物語は徐々に佳境に入ってまいります。フランチェスカの親友のマキシは祖父の営むアンティーク家具屋を手伝っており、祖父には除霊あるいは霊媒の心得がある様子。そんな祖父の協力で、どうやらソファには悪霊が取り憑いているらしいということが判明。悪霊を木箱に入れて燃やすことを計画します。

フランチェスカは木箱を持って恐る恐るソファに近づきますが、彼女自身は除霊師でも霊媒師でも何でもないのでソファから悪霊を分離させて箱に入れるなどという芸当は当然ながらスムーズに進みません。じれたフランチェスカは直接ソファに火を放とうと決意。ソファにガソリンを撒き、マッチを擦って前方にかざす。それをソファが息を吹きかけて消す。フランチェスカがマッチを擦って掲げてはソファが息を吹きかける。ひたすら繰り返される茶番。はよマッチ投げろや。擦ったら間髪入れずにすぐ投げろ。

時を同じくして、フランチェスカの元カレの事件の被疑者が取り調べを受けていました。その男は、協力はしたけど殺してないと言い張ります。足を切断したのも本人の意思で、頼まれてやったことだと必死にアピール。なぜ足を切断する必要があったのか問い詰める刑事としばし押し問答をしたのち、ようやく白状。

「どうせ信じない」
「言ってみろ」
「彼は収まろうとしてたんだ」
「何にだ?」
「ソファさ」


でしょうね。


むしろそうでなきゃ困るんだよ。そんなにもったいぶらなくてもわかってたよ。ていうか安心した。マキシのおじいちゃんが「悪霊は人間にしか取り憑かないはずなのに不思議だなあ」なんてつぶやいて、わかりやすすぎる下手くそな伏線を張ってはいたが、ようやく真相を聞けて安心した。マジでソファという無機物に魂が宿ってひとりでに動いてるとかじゃなくてよかった。だってメインポスターだと歯生えてっからね。デフォルメされすぎでしょ。



『人間椅子』を知らない方はこれを機にぜひ読んでみてください。ぶっちゃけ『キラーソファ』はどうでもいいから『人間椅子』のほうをチェックしてほしい。青空文庫でも読めますので。同じ江戸川乱歩作品なら『人でなしの恋』も耽美で大変よろしいよ。

リアリティを捨て去り、笑いを手に入れる 『きみの瞳が問いかけている』


どうも、こんにちは。

本日ご紹介する作品の予告をテレビで見た時、私はこう思いました。キックボクサーがこのふわふわパーマはちょっと違うだろ、こんなやついたらコーチに髪切れって絶対怒られるわ、と。思いはしたけど声に出さなかった。すると、隣にいた父は「ボクサーならもっと胸筋つけたほうがいい。貧相すぎる。リアリティがない」と言いました。父娘でリアリティの求め方が違った。



きみの瞳が問いかけている(2020)

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かつてキックボクサーとして将来を期待されていた篠崎塁(横浜流星)は、ある事件に関与したことからキックボクサーを辞め、日雇いのバイトで食いつなぐ生活を送っていました。そんなある日、人違いで話しかけられたのをきっかけに盲目の女性・柏木明香里(吉高由里子)と出会います。交通事故によって両親と視力を失いながら毎日明るく生きる彼女に塁は次第に心を開いていきます。韓国映画『ただ君だけ』(2011)のリメイク作品です。



泣けると巷で噂の本作ですが、私は元の韓国映画もまったく知らず、非常にフラットな気持ちで観て参りました。冒頭、横浜流星が横浜の野毛あたりで汗水垂らして働きながら「横濱屋」という印字の入ったトラックに乗るのを目撃した時点で確信した。これはネタ映画だな、と。申し訳ないが、泣くポイントなどひとつもなかった。『STAND BY ME ドラえもん2』(2020)のほうがよっぽど泣ける。おばあちゃんが登場したあたりからずっと鼻の奥が痛かった。

というわけで、号泣必至のラブストーリー『きみの瞳が問いかけている』の笑えるポイントをご紹介していきたいと思います。こんなバチ当たりなことをしているのはきっとこのブログだけでしょう。何事もオリジナリティが大事。以下、盛大にネタバレしておりますのでご注意ください。



二人の出会いからすでにツッコミ所は満載なんですけどね、明香里は足の匂いとか靴の匂いとかには敏感なのに、塁と管理人のおじさんの匂いは嗅ぎ分けられないんだねとか、声で年齢も大体わかるんじゃないのとか、そんなことまでツッコミ出したら回収しきれないので特におもしろかったところをピックアップします。

明香里が職場の上司に自宅までストーカーされて襲われてしまう場面、そこで取り出すのがなんと防犯ブザー! 外ならわかるが自宅で鳴らしたところで効果ある? せいぜいお隣さんに聞こえるくらいが関の山だし、お隣さんに聞こえたところで助けに来てくれるほど濃いご近所付き合いしてる? してないよね。一度もお隣さん登場しないもんね。そしてストーカー上司にうるさいから止めてくれと言われて素直に止めるものだから、これは笑うところなのだろうかと私は身構えた。するとそこへ鬼の形相で馳せ参じる塁。

なぜお前が来る。

防犯ブザーの音が外まで聞こえたのか、ちょうどそこに塁が通りかかったのか、いずれにしてもなんというタイミング。あまりにもご都合主義が過ぎる。もっとこう、例えば待ち合わせしてたのに来ないから心配になって家を訪ねてきたとか、直前まで一緒にいたんだけど忘れ物があったから届けにきたとか、家に来る自然な口実はどうとでもできるだろうに。それくらいのディテールはくれよ。きっとこの防犯ブザーはドラえもんの四次元ポケットから出した秘密道具なんだよね。塁にだけ届くSOSサインが出るんだよね。もうそう思い込むことにした。

また、自分の制止を聞かず、塁がストーカー上司をタコ殴りにしたもんだから、明香里は仕事をクビになるのではないかと心配して意気消沈します。あんなことされたのに仕事続けるの?の塁 VS 障害者が仕事見つけるのがどれだけ大変か知らないでしょの明香里で軽い言い合いになるわけですが、障害者にとって転職が簡単でないのもよくわかるし、明香里が心配だからあんなクソ上司から離れてほしいのもよくわかる。どちらの言い分もわかる。この時点では二人はまだ付き合ってないはずなのに塁が「俺が責任取るよ」なんて言い出すので、明香里が「もう帰って」と呆れる気持ちもわかる。しかし、だ。

明香里よ、お礼くらい言おうか。

間一髪のところを助けてもらったのだから、その後の塁の言動にちょっとイラついたとしても、ありがとうは言わねばならんだろ。人として。なんで言えないんだよ。助けてもらった直後の明香里の第一声「なんで私の言うこと聞いてくれないの?」だったからね。



では次に参ります。明香里が事故にあったそもそもの原因に自分が関わっていることがわかって、塁は激しく落ち込みます。また罪の意識から明香里に事実を言い出せず一人で抱え込むのですが、そんな折、明香里のかろうじて残っている視力が網膜剥離によって完全に失われるかもしれないことが発覚。手術をすれば視力は回復するんだけど、自分が運転していた車で事故を起こし両親を死なせてしまったことから、明香里は自分に罰を与えるような気持ちで手術を受けずにそのままでいたとのこと。

塁「なんで黙ってたの?」

いやお前がな。

隠してる内容の重さで言ったら塁のほうが上だぞ。もう洗いざらい全部話せって。手術を受けさせるべく「将来子供ができた時、子供の顔、見たくない?」と説得を試みるのもセコい。結局、塁は明香里には自分の罪を告白せず、手術費用捻出のために過去に手を出していた違法賭博の格闘試合に今一度舞い戻ります。せっかくキックボクサーとして再起をかけて練習に励んでたのに、全てをパーにするアホ。明香里には何も話さないくせにコーチには律儀に「違法賭博の試合に出ます」と言うアホ。そして見送るコーチもアホ。もっと全力で止めろ。ていうか手術で明香里の視力戻るのかよ。さっき転職のことで仲違いしてたのも無駄だったな。

試合の話を持ちかけてきた半グレのリーダー佐久間恭介(町田啓太)に、塁は「これで終わりにしてくれますか」とさも被害者のような口ぶりですが、最終的には金欲しさからその話に乗ったわけだし、一度足を洗った世界にまた足を突っ込むなんて自殺行為だよね。終わりにしてくれるわけがないじゃん。

そうして対戦相手として出てきたのはドレッドヘアのゴリマッチョの外国人。もうさすがに笑うしかない。誰なんだお前は。塁が勝てるわけない相手(塁の負け確の出来レース)としてのご登場なんだけど、そこまで強そうに見えない。体は二周りくらい大きいのに迫力ないし、試合シーンがめちゃくちゃ淡白で、ボクシング映画のそれを期待してると肩透かし食らいます。私は食らいました。試合のシーン、正味二分くらいだったでしょ。

そして試合のあと、塁の刺される場所もやばいよね。背中から腰のところを二回刺された。これは脊椎損傷パターンですね。二度と歩けなくなってしまう展開ですね。と思っていたら、二年後へ飛ぶ。またしてもご都合主義すぎるタイムスキップ。二年後もまだ入院生活&松葉杖があってやっと歩けるほどの大怪我ではあるが、歩けるのかよ。半グレのくせにツメが甘いな。というより基本的に全ての設定においてツメが甘い。



本作で唯一の見所は、塁を裏の世界に引きずり込む半グレのリーダー恭介役の町田啓太よ。とにかく顔がいい。チェリまほのスパダリ黒沢よりもこっちのほうが圧倒的にかっこいい。だってイケメンかマフィアしか着用を許されないタイプのサングラスが似合っちゃってますもん。

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この凄み。威圧感。声を荒げる場面は一度もなく、終始穏やかなしゃべり方。それでいて怖い。聞くところによると監督から金髪にしてほしいと指示があったところ、町田くんが黒髪の方がいいんじゃないかと提案して結果それが採用されたらしいのですが、黒で大正解。金髪じゃ軽薄さが出てしまう。この黒の短髪、それもまったく洒落っ気のないシンプルすぎる短髪によってどっしりとした重みが生まれている。

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黒の短髪しか勝たんってギャルみたいなこと言いたくなるくらいかっこいい。前髪とか結構短いから見ようによってはモンチッチになる恐れ大なのに、それがかっこいいってどういうことなの? 服装も黒のタンクトップに黒のジャケットというチャラとシックの間を行く絶妙なスタイル。ひとつだけ難点を挙げるならば、耳の後ろの十字架タトゥーはすごくいいのですが、胸の英字タトゥーだけはダサさがK点超えしてます。

リアル東洋スタイルのオークワフィナが好き 『フェアウェル』


どうも、こんにちは。

公開から少し時間が経ってしまいましたが、本日はこちらの作品です。



フェアウェル(2019)

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ニューヨークに暮らす中国移民のビリー(オークワフィナ)は祖母がガンで余命わずかと知り、久しぶりに中国へ帰郷します。中国の風習として両親や親戚たちは祖母本人には絶対に余命宣告してはいけないと主張しますが、その考え方に納得できないビリーは大好きな祖母と残された時間をどう過ごすか葛藤します。



本作は中国語セリフと英語セリフが6:4くらいで混ざり合うまさに私にぴったりのカオス仕様。主人公とその両親は中国からアメリカに移住して家族間でも日常会話が英語なのですが、おばあちゃんや親戚たちと話す時は中国語なので、二言語が常にごちゃまぜです。親戚一同で中国語しゃべってたかと思いきや、主人公とお父さんがいきなり英語で二言三言会話したりして、その間の取り方みたいなものにバイリンガル家庭のリアルネスさを感じた。

一般的に、劇中で複数の言語が使われる場合は字幕にも区別があって、メインの言語は普通の白字幕、もう一つの言語は字幕に括弧(あるいはダブルクォーテーションマーク)が付いてたり、字幕のフォントが違ったり色が違ったりするのですが、『フェアウェル』はなんにも区別がありません。途中、英語がわからない祖母の前であえて祖母にわからないように英語で会話するシーンとかは括弧付きの字幕でしたけど、他は全部一緒の普通の白字幕。

言語ごとに字幕を変えないっていうのはなかなか珍しい気がするのですが、私がちょっと前に観た『ファヒム パリが見た奇跡』(2019)も、フランス語、英語、ベンガル語(?)が全部ごちゃまぜで、しかも字幕には括弧が付いてたり付いてなかったり統一性が見られず、訳者は締め切りに追われて徹夜でやっつけたんかってくらいに雑な仕事っぷりをかましてたのでカオス度で言ったら『フェアウェル』の遥か上を行っておりました。

バイリンガルやトリリンガルであることは世界的に珍しくなくなってきてると思うので、それに伴なって一つの作品の中で一人のキャラクターが複数の言語を使う作品も増えてたりするのかもしれないよね。ただ字幕を区別しないことに関しては、いちいち区別してられないくらい会話の中に違う言語が入り混じってるせいなのか、単に訳者が諦めただけなのか、そもそも字幕を区別しないポリシーなのか、それはわからないけど。



さて、ここからは余談です。主人公ビリーを演じているオークワフィナは、つり目で丸顔。申し訳ないがアジアンビューティーとも言いがたいザ・東洋ビジュアルです。顔だけでなく背格好も東洋スケールなので正直カメラ映えはしない。でもそんな彼女が『オーシャンズ8』(2017)や『ジュマンジ/ネクスト・レベル』(2019)などの人気作にも出演して近年知名度を上げてるのって、我々に勇気を与えてくれると思わん? 私は自他共に認める猫背なのですが、オークワフィナも結構猫背なので、なんかそれだけで親近感増すわ。

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そして私の目にはもうオークワフィナはムーランにしか見えない。

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コロナ禍でなんやかんやあって劇場公開されることなく配信での公開になってしまった実写版『ムーラン』(2020)では、実際にはリウ・イーフェイがムーランを演じておりますが、なんだか元のアニメより可憐で守ってあげたくなるヒロイン感が増している。きつね顔というよりはたぬき顔。たぬき顔の女の子はかわいいんだよ。キムタクのとこの次女Kokiっぽい雰囲気もある。

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ディズニー感はもれなく薄れるけれども、リアルを追求するならばムーラン役はオークワフィナに軍配が上がるでしょう。悪くないと思うんだけど、どうだろう。おもしろくなっちゃうからだめかな。

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