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気晴らし細論

手が使えないなら口を使えばいいじゃない 『るろうに剣心 最終章 The Beginning』


どうも、こんにちは。

2年間心待ちにしていた作品なので本日の記事は超長いです。先に言っておきます。



るろうに剣心 最終章 The Beginning(2021)

Beginning.jpg

幕末の京都。緋村剣心(佐藤健)は長州藩の桂小五郎(高橋一生)に剣術の腕を買われ、暗殺者として彼の下で働いていました。血も涙もない人斬り抜刀斎として恐れられる一方、人斬りの現場を目撃され仕方なく側に置くことになった雪代巴(有村架純)との交流によって、剣心は平和のために人を斬るという正義に迷い始めます。シリーズ完結となる5作目です。



しつこいほど繰り返しておりますが、何度でも言います。映画『るろ剣』シリーズにおいて観るべきはアクションと剣心が憑依した佐藤健(のビジュアル)である。それは今回のBeginningも同じです。作品全体の感想は山ほどあるんだけど、おそらくBeginningを観たほぼ全員の総意であろうことをまず言わせてくれ。


冒頭の対馬藩邸のシーンが最高。


何事も最初が肝心だということを『るろ剣』シリーズのスタッフはよくわかっている。冒頭にいつも印象的なアクションを持ってきて一気に引き込む手腕はさすが。シリーズ5作目となるBeginningの剣心は現役の人斬りなので、流浪人になり不殺を誓った剣心(1〜4作目)とはまったく別人だということを示すため、冒頭にインパクトのある殺陣を持ってきたのだとアクション監督がおっしゃっていました。というわけでここからネタバレ全開なので、まだ本編をご覧になっていない方はご注意ください。





後ろ手に縛られ、周りを敵に囲まれた四面楚歌状態でスクリーンに登場する緋村抜刀斎at対馬藩邸。そこらへんのボンクラならあとは嬲り殺されるのを待つだけの完全なる詰みですが、抜刀斎はニンジャアサシンなのでここから抜け出すことなど赤子の手をひねるようなもの。まずは不用意に近づいてきた輩の耳を噛みちぎっていっちょ怯ませ、体当たりと蹴りで敵を散らすと、おもむろに刀の柄を咥えます。


首をひねって鞘から抜刀するその凄まじい色気。


開始早々、ほんの5分足らずでハイライトシーン。邪心しかない見方しててごめんな。何はともあれ、この口に咥えた刀で三人くらい秒殺。一気に劣勢に傾いた対馬藩士たちがやべえやべえと動揺する中、絶命した敵の刀の鋒でサクッと器用に縄を解き、あれよあれよと言う間にその場の全員を斬り捨てる。的確に急所を狙う必殺仕事人。まったく無駄のない動き。惚れ惚れするぜ。ていうか抜刀斎、顎の力、強いね。

ちなみにこのシーンについてのアクション監督のお言葉「手が塞がれているので、足の指で掴むか、口で咥えるかですよね」っていうのが手練れの剣客の思考で笑った。素人考えなら、まずもってどうにか手の拘束を解こうとするもんね。でもこれがまさに剣心の思考そのもので、剣心ほどの実力者なら手が使えなくても人を殺せるということです。腕の拘束は焦って解く必要がないから、口に咥えた刀で敵を減らしながら、その流れの中のちょうどいい頃合いで解いて、自由になった手で暗殺を完了させる。だから動きに無駄がない。

さっき邪心しかないって言ったんですけどね、冷静になってよく考えたのよ。漫画やアニメならいざ知らず、真面目な実写映画で刀を口に咥えるという絵面のインパクト、佐藤健のその所作に色気を感じたのはもはや言い逃れすまい。でもそれだけじゃなくて、口に咥えた刀でも人を殺せてしまうほどの剣術の腕、それを敵に囲まれた絶体絶命の状況でやってのける余裕、流れ作業よろしく次々と人を斬り殺していく迷いのなさ、この狂気としか言いようのない一切合切がつまり色気なのよ。のちに劇中で桂が語る「長州藩の狂気の急先鋒」たる人斬り抜刀斎の姿そのものです。剣心のやってることは現代でいうとテロリストなんだけど、殺陣が美しすぎてため息が出ちゃう。

狂気つながりでもう一つ言わせてもらうと、この時点において対馬藩内は佐幕派と倒幕派に分かれていたのですが、上記の通り冒頭で剣心が佐幕派を全滅させました。これはおそらく桂の指示による暗殺です。そしてこの対馬藩邸のシーンは映画オリジナルです。問題は、史実によると桂は池田屋事件の際、対馬藩邸に匿ってもらって命拾いしているということです。他所の藩の敵対派閥を皆殺しにして同調派閥の人と仲良くしてる桂、控えめに言ってもサイコパスじゃない? 吉田松陰の言葉の引用然り、このあたりは非常にすばらしい追加設定だと思います。



では次にビジュアルの話です。人斬り現役時代の若かりし剣心を演じるため、Finalの撮影から約2週間後に行われたBeginningの衣装合わせの日には体を絞った状態で現れたという佐藤健。本当に細いの。線が細いの。もちろんポニーテールにしてる(1〜4作目よりも髪を結う位置が高い)というのも若く見える演出のひとつだけど、線が細いだけで少年らしさが出る。スタッフから注文されてないのに体を絞るって、それだけこの作品にかける思いが強かった証拠でしょ。さすがに14歳には見えないけど、10代には余裕で見える。映画『るろ剣』シリーズでは剣心の年齢は名言されてないので、漫画より少し上で18、9歳っていう設定でも全然ありだと思います。そのほうが巴とのラブストーリーにも違和感がないし。

そして巴に関しては賛否両論ありますが、有村架純ちゃんの演じる巴は所作がたおやかで本当に美しい。漫画の巴よりも表情があってかわいらしかったので、私はすごく好きです。愛想はないけど思いやりがあるやさしい人なのはよくわかる。そのバランスが絶妙でした。



さてここからようやく作品全体の話です。映画、漫画、OVA、それぞれを比較してどうこうというのは他の人がやると思うので、私は映画オリジナルでよかった点について述べたいと思います。1〜4作目までは原作漫画の大体5、6巻分の内容をそれぞれまとめてる感じで駆け足感が半端なかったのですが、5作目に関しては漫画では2巻分くらい。だからすごく丁寧に描きこまれています。

例えば、長州藩が京都で利用している旅籠・小萩屋の中がすごく作り込まれていてよかった。藩邸や屋敷のように、襖、襖、襖で空間が細かく区切られている建物と違って、小萩屋の中心は吹き抜けになってて空間がひらけています。これによって画面の中にたくさんの人がいて、それぞれが会話して動いて生きている生活感があります。この時代の日本家屋の階段ってすごく急だから上り下りが窮屈そうで、細かいけどそんな点もすばらしい。だって、巴が階段を上がる時に着物の裾から見えるふくらはぎの色気。これだよ。これが着物の品だよ。さっきから色気ばっか言ってる。

また小萩屋の中には川から引いた用水路が流れてて、そこから水を組むシステムになっています。時代劇でたまに見るけど、個人的にすごく好きなんだこの造り。川端(かばた)というのとはまた違うのかな。剣心が汚れてもいない手をやたらと洗うシーンがちゃんと入ってたのもよかったです。映画の剣心は無口で心情がわかりづらいけど、血の匂いが取れなくて病んでるのが伝わる重要なポイントなので。

OVAの追憶編にあやかったのか、草花や風景をよく映して四季を描写している点は映画でも同様でした。それにプラスして音の演出がとてもよかった。それこそ剣心が人を斬って帰ってきて手を洗ってるシーンでは剣心と巴の会話の後ろで水の流れる音がずっとしてたり、二人が剣心の部屋で会話してる場面では風の音や鳥のさえずりが聞こえたり、足が畳を擦る音だったり、小さな生活音ひとつひとつが時代劇の情緒を醸してて最高。ぜひ音量が大きめの映画館で観ることをおすすめします。映画館によってシアター内の環境やスピーカーの音量がかなり違うので。お気をつけあれ。



Beginningは時代劇でラブストーリーで情緒たっぷり、号泣必至とか言われていますが、当方、感性が芋な人間なので正直言って剣心と巴のラブストーリーは特に何も思いません(え?)。

親や恋人の仇を愛してしまうというのはよくある話だし、最愛の人を殺してしまったことがきっかけで二度と人を殺さないと誓うというのも、幕末に限らず万国共通でありえるシチュエーションです。ただ剣心のすごさは、巴を斬ってしまった後も3〜4年は人斬りを続けてるというところな。それはつまり自分のやっていることは新時代を開くためっていう信念がブレなかったからだし、そして「あなたはたくさんの人を斬るけど、その先の未来で斬った人の数よりも多くの人を救う」っていう巴の言葉を裏切らないためでもあるでしょう。

だからこそ、鳥羽伏見の戦いが終わった後に発した「来たか。新しい時代が。やっと」というセリフの「やっと」にものすごく重みがあって、斉藤一に「これで終わりだと思うなよ」と言われて無言で刀を地面に突き刺すというのも、俺はもうここで降りるぞっていう強い意志が感じられる。

幕末史って超複雑で、各藩の中でもいろんな思想や派閥があって、ある時期までは尊王攘夷論が強かったのに途中で開国に方針転換したり、藩としての立場なども忙しなく変化します。剣心が属する長州藩だって、最終的には幕府を倒して新政府の中枢に食い込んだわけですが、一度は天皇のおわす御所に攻め入るという罰当たりの極みをやらかし(禁門の変)、朝敵として日本の中で孤立、同時期に外国からも藩都の萩を攻められて壊滅状態に陥りました。何かひとつ違ってたら長州藩が朝敵のまま終わる可能性もあったわけです。

Beginningではちょうど長州藩がバチボコにやられて身を隠す時期が描かれて、その後、剣心は巴を失っても信念を曲げずに人斬りを続けて幕府に勝ったわけでしょ。剣心も長州藩も、その執念すごくない? 先述したように剣心のやってることはテロリストだし、佐幕派と倒幕派の戦いは内戦だし、最終的に幕府を倒すのはクーデターなんだけど、幕末の、少なくとも日本人同士の争いは、人種差別でもなければ宗教戦争でもなく、みんなが日本の未来を思ってのことなんですよ。辰巳たち闇乃武にしても、民の暮らしを守ってきたのは幕府で、幕府が倒されたら社会がめちゃくちゃになってしまうから俺たちは幕府を守るんだって考えもよくわかります。

そういうことを思うと本当に胸がいっぱいになっちゃってさ。剣心と巴のラブストーリーには特に新しい発見もなかったし泣きもしなかったのに、まさかワンオクのエンド曲を聴きながら維新志士や幕臣の信念の強さに思いを馳せることになるとはね。Beginningを観てこんな気持ちになるとは思わなかった。わたしの情緒どうなってんの?



非常に長くなりましたが、最後にどうしても気になってツッコまずにはいられない部分が三つほどあります。

まず池田屋に向かって走る剣心が狭い路地の角を曲がる時にスライディングするのが二回あったのですが、あれは何だったのでしょうか。シリアスな場面なのに笑うところなのかどうなのか迷いました。次に闇乃武との戦いで剣心に仕掛けられる罠がちょっとお粗末です。切り株が上から降ってきたり、木が倒れてきたり、昔の無茶苦茶なバラエティか。え、やめてやめてって焦ったもんね。闇乃武との戦いはシリーズを締めくくる最後のアクションシーンなのに、全体的にエモーショナルに振り切りすぎた気がします。そして三つ目。予告で場面映像を出しすぎた感も否めません。大事な場面はおおかた予告映像で出てしまっていた。以前の記事→改めて観返したら剣心の大人の余裕がすごかった で言いましたが、奇兵隊員オーディションでの抜刀術も、あれは公開前にテレビで出していい映像じゃなかった。おかげで映画館で観たときにはもう驚きがありませんでした。悲しい。

でもこれから何度も観返しては佐藤健の動きやばいって一生言い続けると思う。

青春なのでやりたいことやったもん勝ち 『スケート・キッチン』


どうも、こんにちは。

自分はまったくやらないくせにどういうわけかスケボー映画が好きなわたくしです。思えばこのブログの最初の記事もスケボー映画だった(こちら→スケボーブームの始祖はクソガキ(最高)『ロード・オブ・ドッグタウン』)。



スケート・キッチン(2018)

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ニューヨーク郊外に住む17歳のカミール(レイチェル・ヴィンベルク)は、スケボー中の怪我が原因で母親から大好きなスケボーをやめろと言われてしまいます。しかしそれに反発するようにカミールはスケボー好きの女の子たちが集まるスケート・キッチンというサークルに参加し、スケボーにますます熱中していきます。



スケート・キッチンはニューヨークで実際に活動しているサークルで、劇中に登場する少女たちはそのサークルのメンバーだそうです。つまりスケボーシーンも全部本物。正真正銘のスケボー少女たち。フィクションとドキュメンタリーのハイブリッド。最近のスケボー映画ですと『行き止まりの世界に生まれて』(2018)は完全ドキュメンタリーだし、『mid90s ミッドナインティーズ』(2018)も監督を務めたジョナ・ヒルの半自伝的な作品だし、『ロード・オブ・ドッグタウン』(2005)も現在のスケボーカルチャーの始祖の人たちの話だし、スケボー映画はいつもリアルとともにあるようです。

さてイメージとして、スケボーといえば少年。悪ガキ、チンピラ、そんなレッテルを貼られても何のその。スケボーに魅入られ、のめり込む少年たちの姿がいつもそこにあったわけですが、ジェンダフリーの進む現在、ついにスケボー少女の物語が発信される世の中になったということなのでしょう。でも今日は別にジェンダーとか差別とかそんな話がしたいわけじゃないんですよ。彼女たちがとにかくキラキラしてて眩しいのよ。言いたいのはそれだけなのよ。

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上半身はスポーツブラみたいな、ぺらぺらのハーフトップしか着てなかったりするんだけど、バキバキの腹筋がこんにちはしてるので露出度が高いのに全然軽薄な感じはない。ボトムスにはショートパンツやハーフパンツ履いちゃったりしてるけど(ショーパンでスケボーやったら転けた時に擦りむいてめっちゃ痛そうとか思うけど)不思議と子供っぽくもない。とにかく元気100%。輝いている。こんな健康的な脚出しへそ出しを見ていると、なぜ自分はこのファッションをやってこなかったのだろう、なぜ何の疑いもなくお腹を隠してきたのだろう、いやむしろ今からやってもいいのでは? という危険思想にすら至りそうになるのです。

なんだろうな、この、彼女たちの無敵感。スケボー映画じゃないけど、浮き草たちはきれいな服を手に入れた! 『浮き草たち』 を観た時と同じような気持ちになってしまった。自分がこういった経験をすることはもうないのだという若干の切なさがこみ上げてきた。こちとら、もう、アラサーなので。でもまあこの夏はとりあえずハーフパンツくらいは履こうかなと思っています。きれいめハーフパンツ、流行ってるしちょうどいいだろう。



ちなみに、本作を観ていてひとつの疑問が生じました。スケボー集団にはなぜ必ずカメラ担当の子がいるのでしょうか。スケート・キッチンの中にはルビーが、スケート・キッチンとバチバチしている男の子の集団にはデヴォンがいました。さらに『行き止まりの世界に生まれて』ではビンが、『mid90s ミッドナインティーズ』ではフォースグレードがカメラ担当でした。そういう決まりでもあるんですか?

サメを躱す時はドッジボールの心得 『ディープ・ブルー』


どうも、こんにちは。

最近なんだか無性にパニック映画が観たい衝動にかられています。特にワニとかサメが出てくる系のサバイバルスリラー。疲れてんのかな? (ちなみに私はこれが好き→家の中でワニさんと握手 『クロール -凶暴領域-』

昔はサメ映画なんて怖くて観ようとも思わなかったのに、年を食ったせいでしょうか。もう全然平気。むしろ楽しい。こういったパニック映画は、再三申し上げておりますように大抵が迂闊と軽率の大合戦。天下一なにしてんねん大会なので、不可抗力で襲われるというより自ら襲われに行ってるパターンが多いのです。つまり自業自得であって、危機管理をしていればワニやサメに襲われることはないでしょう。自分とは無関係のフィクションとして楽しもうではないか。というわけで、『ジョーズ』シリーズに次ぐ名作と言われるこちらを観てみました。



ディープ・ブルー(1999)

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太平洋上に建造された海洋医学研究施設(アクアティカ)では、生涯脳が老化しないと言われているサメを研究し、アルツハイマー病の治療薬開発を進めていました。しかし、研究を急いだスーザン博士が遺伝子を操作したせいでサメの知能が発達してしまい、研究所の職員たちに襲いかかります。



冒頭、研究所を囲むように設置された2.4mの柵をサメさんが乗り越えた疑惑が発生。そんな折、台風の接近情報が入ります。

「10mの高波に注意」


オワタ


遺伝子操作によってサメの知能が高度に発達してしまったのは想定外であっても、台風が来て高波に煽られて研究所に危険が及ぶというのは想定できると思うのだが。今までこういう事態はなかったのだろうか。この研究所、海抜0mぞ。いくらなんでも危機管理がヘボすぎる。いけすの中に設置されてる囲い(人が中に入って様子を確認できる)も見るからに脆弱で、サメの体当たりですぐにひしゃげる。金網じゃない。もうほとんど網。ただの網レベル。

そしてそこに何のためらいもなく入っていくサメの番人ことカーターの肝の座り具合は鬼。劇中でも「お前はタマがデカイ」とか言われてますが、サメさんからしたら人間側にカーターがいたのが運の尽き。なんてったって、水中でサメを二度も躱しているカーター。逃げられないと悟った瞬間、サメを正面から待ち構えてタイミングよく避ける。お前はサメとドッジボールでもしとんか。

カーターは度胸だけでなく、知識、洞察力、体力までも兼ね備えており、研究所からの脱出を先導します。こんな緊急事態に一緒にいたら吊り橋効果でうっかり惚れてしまいそうですが、こういうやつは一生危険とスリルを求めて生きていくので触らないのが吉です。研究所に来る前は密輸で捕まって刑務所にいたとかなんとか。演じるトーマス・ジェーンはかの有名なパニック映画『ミスト』(2007)の主役でもあるのでもはやサバイバー俳優と呼んでもいいかもしれない。でも私ならマ・ドンソクのほうがいいな。緊急事態にあんなに心強い人いないでしょ。なんなら『新感染 ファイナル・エクスプレス』(2016)でも死んでないと思ってるから。

さて脱線したので話を戻しまして、この作品が名作と言われる理由として最終的に意外な人物が生き残る展開のおもしろさが挙げられるようですが、個人的にちょっと邪推が働いてしまったシーンがあります。それは終盤でスーザンがサメを感電させるために自分のウェットスーツを脱いで絶縁体の足場にするところ。スーザンが白のビキニ姿になるんだけど、ハラハラドキドキの展開だけで充分おもしろいのに唐突なお色気サービス。公開当時、このシーンが話題になったとかない? 中高生の男の子がこのシーン目的で友達と観に行ったみたいなの、絶対あるでしょ。今のように簡単にエロ漫画やエロ動画が見れる時代じゃなかったから、映画がそういうのを担ってたみたいなことは聞いたことがある。

あとこれも私だけかもしれないけど、パニック映画はサバイバル術を学べるのでいつか自分が危険な目に遭った時に役立てようと心して観ている。迂闊なやつといいやつは大抵死ぬ。意地の悪いやつも死ぬ。賢さと度胸を兼ね備えたやつだけが生き残る。これは定石なので。なお、アルツハイマー病を治すためという高尚な目的のもとの研究および研究所だったのに、「こんな仕事やめてやる」「早くスラムに戻りたい」でゴリゴリラップのヒップホップナンバーがかかるラストは逆説的で最高です。



最後に。たて穴の中で海水とともに下からサメが迫ってくるやつ、昔テレビで見かけて勝手に『ジョーズ』シリーズのワンシーンだと思っていたのですが、『ディープ・ブルー』だったんですね。垂直バージョンのクラッシュバンディクー。逃げ場がなくて迫力あるよね。考えた人には特許をあげてもいいと思う。

2021年のGWはASTROの『ONE』を延々と聴いていた話


どうも、こんにちは。

本日はK-POPのお話です。いつぞやの記事でK-POPは最近NCTとモネクぐらいしか聴いてないと申し上げました通り、長らく新規開拓していなかったのですが、先月末に三度目の緊急事態宣言が出たし(私の住んでる地域は宣言地域外ですが)どこに遊びに行くこともなく、あまりにも暇すぎてついに手を出してしまった。そのグループの名はASTRO(アストロ)。

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私もK-POPオタクの端くれなのでね、ASTROのチャウヌが全部持ちのイケメンなのは知ってたんよ(上の画像、後列の右がチャウヌ)。文武両道で家柄も良く、英語ができて人格もすばらしい完璧なイケメンだと噂には聞いておりました。逆に言えばASTROについてはそれだけ。他のメンバーのことも曲も一切知りませんでした。2016年デビューのグループなので新人でもないASTROを、なぜ今になって履修し始めたのか。先月5日に2ndフルアルバム『All Yours』をリリースしてのカムバ、タイトル曲の『ONE』が良すぎました。


正直に言いましょう。MVを見た時点ではまだそうでもなかった。K-POPオタク歴も長くなり、自分なりの楽しみ方を見つけた私としては、MVは曲調や活動の雰囲気を掴むためのものなんで。なんとなく好きか嫌いかの判断材料に過ぎない。なんとなく好きだったら、次に各音楽番組でのパフォーマンス動画を見漁ります。そしてこの音楽番組が沼の入口です。幸か不幸か、私が『ONE』を初めて見た時にはすでに活動が終盤だったので、音楽番組出演時の映像が出揃っていたわけです。もう全部一気見っすよ。

K-POPってね、曲調、歌詞の内容、ダンスに加えて、衣装やヘアメイクも徹底してるんですよ。曲やアルバムの雰囲気に合わせて別人かってレベルでヘアスタイルを変えるし、なんなら一度の活動期間の中で変えることも珍しくないし、前髪下ろしてたり上げてたりというマイナーチェンジで言えば音楽番組に出るたびに違います。メイクだって、今日はちょっと濃いめだなとか、今日はあっさりめだなとか、アイメイクメインの日があればリップメイクメインの日があったり様々です。

衣装もまたそれぞれの音楽番組で毎回違うので(もちろん一つの衣装を2回3回使うこともある)たぶん一つ活動曲につき10種類くらいはあります。K-POPが世界中に輸出されたことでワールドワイドになったファンダムから支持を得るための戦略なのか、最近は有名なハイブランドの服を衣装に使っているのもよく見ます。私の好きなモネクことMONSTA Xはヴェルサーチの衣装をよく着てるし、NCTの所属してるSMEは事務所全体でグッチの衣装をよく使ってる気がする。ASTROは今回の活動でプラダやバーバリーの衣装を着ていました。

音楽番組に出るごとに毎回ビジュアルが違うなんて、そんなの沼に決まってるだろう。たった一曲で何度でも楽しめて、もはや一石二鳥どころではない。三鳥も四鳥もそれ以上もある。この『ONE』の場合、衣装とヘアメイクでハマったと言っても過言ではありません。というわけで衣装やヘアメイクも込みで好きだった『ONE』のパフォーマンス三選です。




これが先述したプラダの黒の衣装です。プラダの衣装は他にもトップスが白のバージョンというのがありましたが、私は断然こちらが好きです。特にムンビンの衣装が戦闘服みたいでたまらん。逆向きに被ったキャスケット?もベレー帽っぽく見えるし、靴もごっついコンバットブーツでミリタリー感が増し増し。そしてこの衣装でチャウヌも結構ガッシリした体型なのを初めて知りました。もっと細いかと思ってたので意外性があってよかった。ただひとつだけ、みんなカジュアルなのにMJだけスーツっぽくて動きづらそうなのが気になる。




こちらはオールホワイトの衣装。この日はムンビンの髪がサラストでなんかすごく新鮮だった。あと体でかいのにこの衣装だと細く見えるのも新鮮。さっきからムンビンのことばっかり言及していますが、曲のスタートと共にどーんとアップになるのがムンビンだから、ムンビンのビジュアル次第みたいなところはあるよね。そしてこの日は生歌がはっきり聞こえるので(被せだけど原曲の音声は小さめ)非常に聴きごたえがあります。若干苦しげな息遣いが聞こえるのもまた一興。踊りながらこのクオリティで歌えるグループがごろごろしてるK-POP界はちょっと怖い。「特殊な訓練を積んでいます」ってテロップが必要なレベル。




これはテレビの音楽番組ではなく、ダンスパフォーマンスに焦点をあてたYouTubeチャンネルのコンテンツです。4Kの高画質でぬるぬる動くから超楽しい。そしてラキのビジュアルが最高。実はわたくし最近ちょうどウルフカットにしようかといろいろ画像漁ってましてね、そこで突如現れた理想形のウルフに撃ち抜かれてしまった。もう美容室にこの黒髪ウルフのラキの画像持って行って「この髪型にしてください」って言いたいくらいとてもいい。ていうか今回の『ONE』で初めてラキを見てきれいな顔した男の子だなと思ったんですが、元々の系統としては眉毛とか濃くてかなりはっきりした男っぽい顔立ちですよね。それがヘアメイクでここまで女の子みたいになるのすごくないか?



以上、独断と偏見で選ぶ『ONE』パフォーマンス三選でしたがいかがでしょうか。私が一番好きなのはやっぱりプラダの黒ですね。気持ち悪いことを言うとね、ムンビンの体型がストライクなんよ。水泳選手みたいな、肩幅があって全身にしっかり筋肉がついてるけど脂肪も適度にあって(実際ムンビンは水泳やってたらしいですね)、ムンビンの体型にはこのプラダの黒衣装が一番似合ってると思う。この衣装で二回音楽番組出てるし(両方M COUNTDOWNだっけ?)、リレーダンスもこれで出てるし、1位取った後のコメントもろもろ、他にもこの衣装で残ってる映像が多くて合掌。

さて、ビジュアルに関してはムンビンとラキのことしか言ってねえじゃんと気づいた方、正解です。ムンビンとラキのヘアメイクは特にバリエーションが豊富だったので、正直二人のビジュアルで選んでるところは、ある。ていうかダンスがうまいのも二人だし、音楽番組は二人を中心に間接視野で残りの四人を見るって感じだった。ごめん。一曲の中で一番好きなのもラスサビのV字に並んでムンビンセンターになるパートなんだ。ごめん。一度も名前を出さなかったリーダーとユンサナごめん。



最後にどうでもいい話ですが、ASTROはメンバー6人全員が1〜3月生まれ。しかもそのうち4人は3月生まれなのおもしろい。韓国は年度の切り替わりが日本より1ヶ月早く、3月〜翌年2月が同学年というくくりになってたはずなので(ちなみに2003年生まれからは同じ年の1月〜12月が同学年に変わったらしい)、日本とは感覚が違うわけですが、シンプルに誕生日がそこまで固まることある?

剣心の動きは人斬りというより忍びでサーカス 『るろうに剣心 最終章 The Final』


どうも、こんにちは。

前回からそのまま『るろ剣』続きです。待望の新作、観て参りました。



るろうに剣心 最終章 The Final(2021)

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かつて幕末の動乱において “人斬り抜刀斎” と恐れられた緋村剣心(佐藤健)が主人公のシリーズ4作目です。志々雄真実との死闘の末、神谷道場で平穏な日々を送っていた剣心でしたが、ある日、剣心に関わりのある人たちが何者かによって次々と襲撃されます。首謀者である上海の武器商人・雪代縁(新田真剣佑)は過去のある出来事から剣心に強烈な恨みを持ち、剣心への復讐を企てていました。


本日はちょこちょこネタバレありますので、まだ観てないよという方はどうぞご注意ください。緊急事態宣言発出地域は映画館も休業していますのでね。観たくても観れねんだよという方、心中お察しいたします。どうか長く上映されることを願います。もしくは劇場によっては再上映などあればいいなと思います。





わたくし、前回こう申し上げました。映画『るろ剣』シリーズはアクションを楽しむ作品なのだと。そして剣心が憑依した佐藤健を楽しむ作品なのだと。それは今回のThe Finalに関しても言えることです。つまりどういうことかというと、こういうこと。


剣心以外の戦闘シーンいらね。


シリーズで登場してきたキャラやアクションの見せ場を作るためとしか思えない後半の大乱闘オールスター感謝祭やめれる? 操や斎藤はまだいいとして、宗次郎が出てきた時には商業主義に敗北したなと思いました。蒼紫にいたってはほとんど戦ってなくて出オチ感すらあった。お前、必要あったか? ていうか操は土屋太鳳ちゃんが演じたことによって確実にシーン増えてんのよ。だって動けるもんな、太鳳ちゃん。わかるよ。使いたいよな。でもいらね。

前作から約5年開いて今回の最終章の撮影に入ったということで、良くも悪くもたくさんの人の目に触れて話題になった結果、第三者の余計な期待や願望に応えるような、応えざるをえないような制作になってしまった感じが切ない。なんだろうこの寂しさ、って考えてみたら、たぶんあれだわ。『ワイスピ』シリーズの変遷と似たケースだわ。人気が出たがゆえに資金も潤沢になって、アクションがどんどん派手に、ストーリーも現実離れしたものになっていくあれですわ。

そもそも原作における人誅編はかなりボリュームがあります。よって映画の尺に収めるためにいろいろ端折るのは仕方がない。でも余計なものを付け足すのはなしでしょ。原作にないものを付け足す、あるいは改変する場合は、ストーリーをわかりやすくするためとか、作品の完成度を上げるためだけにしてほしいのよ。鯨波さんとか八ツ目とか乙和瓢湖とか強烈なビジュアルしてんのに完全なる尺の都合によってその辺りにはまったく触れられず、ただやられて散っていくだけだから、正直無駄なシーンは省いて省いて宮崎駿並みに省くくらいでないと彼らが浮かばれないよね。剣心が巴を斬るシーンも3回くらいあったけど、普通に考えてくどい。どうせこれからThe Beginningで追憶編やるんだから1回にしておけよ。

そして最も省いてはいけないシーンが省かれてたのもいかん。薫の偽装死(縁が企てた)によって剣心が生きる目的を失って廃人になるくだり丸々カットはだめだろう。再び大事な人を失ったことと、誰も殺さずに自分の大事な人を守るという逆刃刀の意義さえも砕かれたことによるダブルショックで絶望した後、そこから這い上がるからこそ巴への悔恨と縁との因縁、その両方に決着がつくんだよ。それはボクシング映画さながらの感動、栄光とどん底とそこから這い上がるチャンプの図、もれなく感動するドラマチックな展開なのになんでカットしてんすか。



佐藤健以外はどうでもいいとか言っておきながら佐藤健以外の部分への愚痴を長々と綴ってしまいましたので、ここから佐藤健についてお話します。

まず正直に言うね。乙和瓢湖とのバトルシーンとか、暗すぎて動きがよくわかんないのよな。 つい先ほど佐藤健のYouTubeチャンネルに上がったアクション練習の動画見て、「あっこんな動きしてたんだ」ってやっとわかりました。人間じゃない動きしてて草。あんなにスタイリッシュな受け身、初めて見た。ダッシュからの壁に向かってスライディングからの前転して受け身、なんすかあれ。人斬りってか忍びやろ。あと佐藤健って走り方めちゃくちゃクセあるよね。

The Finalは一作目よりも確実にすごい動きしてるのはわかるんだけど、あんまり印象に残らなくてさ。期待値が上がりすぎたのがいけなかったのかな。ただ、クライマックスの剣心と縁のバトルシーンはBGMがなくって、アクションだけで魅せてやるという並々ならぬ狂気じみた気合いを感じた。佐藤健のアクションが一級品なのは言わずもがなとして、シリーズで過去に剣心と刃を交わしてきた相手役の中でもまっけんは一番若くて一番動ける役者だったはず。二人して壁走ったり空中舞ったりしている様はほとんどサーカス。

さて、前回記事で剣心の大人の余裕について語り散らかしましたが、The Finalでは佐藤健ご本人のまとう余裕みたいなものが剣心を通して現れているように見えました。なんだか若さが消えた。老けたというのとはちょっと違う。落ち着きがあるというのか、笑顔にも何か含みがあるというのか、心なしか髪の色も過去作より暗くて赤みが強くなった感じがします。最終章の二部作は確か同時並行で撮影してて、武井咲も「人斬り時代の剣心を演じてるからか、健さんがものすごいオーラを放ってて話しかけづらかった。ビビってました」と言ってたので、やっぱり最終章の剣心にはどうしても陰の感じがつきまとってるんだろうなと思います。

The Finalにおける私のイチオシ剣心は、徹夜で東京の街を駆け回り、乙和瓢湖を片付け、縁とのうれしくない再会を果たして神谷道場に帰ってきた後のシーン。弱ってる男の色気やばない? 心身ともに疲れ切って虚空を見つめる剣心に、佐藤健の色気の真髄を見た気がしました。



原作以上に縁がただのイカれたシスコンだったり、ストーリーに関しては正直The Beginningへの繋ぎとしか思えないほど残念だったので、The Beginningにすべてがかかっています。終わりよければすべてよし。緊急事態宣言でも何でもいいけど、The Beginningはどうにか公開してくれ。情報解禁からもう2年も待ってんだこっちは。