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気晴らし細論

0と9を行ったり来たりして最終的には宇宙 『ワイルド・スピード/ジェットブレイク』


どうも、こんにちは。

大人気シリーズの新作です。遅ればせながら観てきました。ネタバレありますのでご注意あれ。



ワイルド・スピード/ジェットブレイク(2020)

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レティ(ミシェル・ロドリゲス)と息子のブライアンと共に穏やかに暮らすドミニク(ヴィン・ディーゼル)の前に、実の弟ジェイコブ(ジョン・シナ)が刺客となって現れます。ドミニクとジェイコブの確執やそのきっかけとなった父ジャックの死について明らかになるとともに、ジェイコブの企てを阻止するためドミニクはファミリーと一丸となって立ち向かいます。



シリーズのスタートから20年が経過し9作目となった今作はドムの若かりし頃についても尺を割いて描かれており、つまりは1作目よりさらに前の、いわばエピソード0としての側面もあります。5作目あたりからやや様子がおかしくなり始めたやりすぎアクションはさらにパワーアップし、おまけにそこへ加わるエピソード0の原点回帰。この二つのハイブリッドによりジェットブレイクは劇薬と化しています。やりすぎアクションについては後述するとして、まず先にエピソード0について話そうではないか。

ストックカーレーサーだったトレット家の父・ジャックとのエピソードで始まる冒頭に『フォードvsフェラーリ』(2019)を思い出しつつ、手に汗握るレースの緊張感で近年のワイスピとはちょっと違うテイストであることを察知する。唸るエンジン音と紙一重の勝負の世界。そこにあるのは人間ドラマ。だってワイスピの原点はやっぱりストリートレースじゃん。

トレット兄弟のゼロヨンシーンなんて、もう、エモとかいう次元の話ではない。これをずっと待ってたんだよ。1作目2作目の頃の溢れ出る熱気とアングラ感。流れる曲もまた最高で、帰宅して即行調べちまったよ。ここで流れるのはThe Prodigyの「BREATHE」。劇中ではリミックス版が使われているわけですが、原曲がリリースされたのは1997年。つまりトレット兄弟のゼロヨンシーン当時に流行ってた曲ってことなんだよね。


特に0:40〜のサビが流れるタイミングが神。

ていうかジェットブレイクのサントラ全体がとんでもないのよ。主題歌(?)の「FAST LANE」はドン・トリヴァーでしょ。トレンドの最先端じゃねえか。

トレット兄弟のゼロヨンは1作目のドムとブライアンのゼロヨンを彷彿とさせるし、意図的にそういう撮り方してるもんね。仮にトレット兄弟のゼロヨンが1997年の出来事とすると、そこから4年後の2001年にドムとブライアンが出会うわけだ。4年前にすでにドムのレーススタイルは確立されているというのもわかる。また全体的に1作目のオマージュというのか、そういう演出が多くてブライアンの描かれ方もすっごい粋。映画の中でこれほど愛のある扱い方されてるのはポール・ウォーカーか渥美清くらいですよ。

そもそも論を言ってしまうと実はドムに弟がいましたは唐突感あるが、まあ許そう。サイファーがジェイコブに対して「トレット家には北欧の血筋はない」と言っていたり、ドムとジェイコブの母親が違うことを示唆するセリフもあるので、家庭の事情がいろいろあったということでいいでしょう。シリーズの中で母ちゃんの話は不自然なほどさっぱり出てこないからな。

ジェイコブ役のジョン・シナについては、ジェットブレイクよりも先にスースク2を観ていたせいで、申し訳ないけどおもしろくて笑っちゃう。そんな真面目な顔されても。だってこの前は変な鉄仮面にブリーフで歩いてましたやん。よもやジェットブレイクでも変なことをしでかすのではないかと私は戦々恐々だった。でも最後までちゃんと真面目だった。クライマックスのカーチェイスでの「俺がやる」はアツかったな。観ていただければわかると思います。アツいです。

さて、アクションシーンはほぼ全部やりすぎなんだけど、要点をまとめると三つです。やりすぎその①、地雷原を突破するなんて正気の沙汰とは思えませんが、せめてレティも車に乗せてあげてください。バイクは死にます。やりすぎその②、磁力を使えば何でもできる。やりすぎその③、宇宙まで行ったらもう他に行くところねえぞ。ワイスピシリーズは確か全11作と決まったはずなので残すところあと2作ですが、次は一体どこまで行くのでしょう。ステイサム様もいることだから、深海に行ってメガロドンと勝負します?



良くも悪くも変化し続けるワイスピシリーズの中で、初期からずっと変わってないのは音楽のテイストとローマンのキャラだけ。推せる。

スタイリッシュな逃亡と女装の代役(疑惑) 『アルティメット』


どうも、こんにちは。

何の脈絡もないけど、本日はこちらの作品をどうぞ。



アルティメット(2004)

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近未来のパリ。危険地区バンリュー13で生まれ育ったレイト(ダヴィッド・ベル)は街からドラッグを一掃しようとするもギャングの逆襲によって妹を連れ去られ、自身は警察に逮捕されてしまいます。6ヶ月後、何者かの企みでバンリュー13に時限爆弾が持ち込まれたことを知った警察は、潜入捜査官のダミアン(シリル・ラファエリ)に爆弾の解除を命じます。案内役のためにレイトを解放し、二人はバンリュー13へ乗り込みます。



本作の魅力はもちろんアクション。W主演の二人がどちらもスタントマン出身の俳優ということで、CGなしワイヤーなしのナマモノガチアクション。急ごしらえのバディなのになぜか滲み出るニコイチ感、息の合った相棒感、俺たちは言葉じゃなくて動きで会話します的な二人一緒のアクションシーンもアツいんだけど、やっぱり私はパルクールが好きよ。レイト役のダヴィッド・ベルがパルクールの開祖ということで、冒頭にてたっぷりとそのパルクールをご披露してくださっています。こちら。



かつてこれほどまでにスタイリッシュな逃亡シーンありました?

抱え込み跳びできない勢からするとパルクールの動きは異常。私の運動神経のピークは小学3年生であの頃は何でもできたんだけどね、抱え込み跳びだけは無理だったわ怖すぎて。てかレイトがドアを蹴破るとともに流れ出すダブステップ系のBGMがもう格別なのよ。

映画『るろ剣』シリーズのアクション監督としても知られる谷垣健治さんいわく、ここのアクションはダヴィッド・ベルが上裸なのがすごいのだそうです(マツコの知らない世界より)。ごまかしが効かないし、怪我したら撮影止まるし、「俺(本人)がやってるぞ!」というアピールというか、アクションにかける本気度がすごいんだってさ。確かに服を着てないということは体を防御できるものがないからな。要所要所で顔がアップになるから本人がやってるというのもはっきりわかる。

本作と同じくリュック・ベッソン作品の『ヤマカシ』(2001)でもパルクールは全面に押し出されていたけれども、スタイリッシュさではまちがいなく『アルティメット』に軍配が上がるね(映画『ヤマカシ』は実在のパルクール集団「ヤマカシ」をモデルにした作品で、メンバーら本人が出演。ダヴィッド・ベルもヤマカシの創立メンバーだが、映画『ヤマカシ』には出演していない)。



さて、もう一人の主人公・ダミアン役のシリル・ラファエリについても触れておきましょう。シリル・ラファエリのアクションは東洋武術系のそれです。機敏でテキパキ、たまに体操選手っぽい動き。『トランスポーター』シリーズのステイサム様のアクションと似た雰囲気があります。まああれもリュック・ベッソンなのでさもありなんという感じでしょうか。シリル・ラファエリはもともとスタントマンとしてリュック・ベッソン作品に数多く携わっていて、本作のアクション振付も担当しています。

でもね、アクション以外にも注目ポイントをみつけた。それは変装。

いろんな裏組織に潜り込む潜入捜査官という役を体現した見事な変装っぷり。わからなすぎて戸惑う。映画の展開としてはまず先にレイトが出てきて、その後でダミアンのターンに移るのですが、最初マジでどういう話なのか誰が主人公なのかわからなくて混乱したもんね。シリーズ二作目の『アルティメット2  マッスル・ネバー・ダイ』(2009)では女装までしてるからな。絶対スタッフがおもしろがってやらせたでしょ。でも普段はハゲのマッチョなのに(失礼)顔立ちが端正だからメイク映えがすごい。めちゃくちゃ美人。さすが潜入捜査官。

たださすがに腕太くてバレるんじゃない?と思ったけど、どうなんだろう。顔が映らない場面では女の人が代役やってるように私の目には見えたんですけど。アクションでは代役使わないのに女装シーンで使ってたら超おもしろい。

マ・ドンソクというジャンル


どうも、こんにちは。

Netflixの浸透によって『愛の不時着』やら『梨泰院クラス』やら韓国ドラマがお茶の間の支持を獲得したのは記憶に新しいところです。そんなわけで韓国俳優と言えばヒョンビン、パク・ソジュン、最近だとソンガンあたりがいま日本でも人気なのではないでしょうか。いずれも整った顔立ちで、高身長で、体もがっしりしている。韓国ドラマにありがちな理不尽に降りかかる多くの危険や困難も、彼らと一緒ならば乗り越えていけそうな気はする。しかし、何かあってもこの人といればきっと大丈夫という安心感において、彼の右に出るものはいないであろう。

マ・ドンソク-2

1971年韓国生まれ、50歳(2021年8月現在)のマ・ドンソク。フィットネストレーナーやボディビルダーを経て俳優デビューしたということでその肉体を生かしたアクション作品に出演することが多いのですが、その見た目とは裏腹にファンには「マブリー(マ・ドンソク+ラブリー)」というキュートなあだ名で呼ばれています。

人間もゾンビも向かってくる者はすべて腕力でねじ伏せ、岩のような肉体はナイフも銃弾も弾き返す。強面だけど年下の美人な奥様いがち。わかる。韓国俳優で結婚するならマ・ドンソクだよな。というわけで、そんなマ・ドンソクが濃厚に味わえる作品を二つご紹介します。



『無双の鉄拳』(2018)

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誘拐された妻を助けるべく、己の拳を頼りに犯人を追い詰めるというド王道の痛快アクションです。昔は暴れまくっていた男が結婚を機に拳を封印し、年下の奥様に愛想をつかされないよう不器用ながらひたむきにカタギとして頑張ってたのに、その最愛の奥様が誘拐されちゃったものだからもう怒り爆発よね。キレたら誰にも止められない「雄牛」の異名を持つという設定がハマりすぎてておもろい。これはマ・ドンソクのための映画。

慎重な行動、緻密な作戦などという言葉はこの作品には存在しません。ただ拳でなぎ倒すのみ。襲いかかってきた敵を抱え上げて天井に突き刺してローラーするところが最大のハイライトだと思う。余談ですが悪役のキム・ソンオが結構好きなので二人の共演も楽しかった。キム・ソンオは気持ち悪い役がピカイチなので普通にいい人の役やってるとすごく疑ってしまう。あと目の色がびっくりするほど明るい。



『悪人伝』(2019)

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ヤクザの組長とはぐれ者の刑事が一時的に手を組んで連続殺人犯を追うサスペンスアクションです。マ・ドンソクは連続殺人犯に襲われるも一命を取り留め復讐に燃えるヤクザの組長役なのですが、マブリーを襲ったらダメなんだって。自殺行為なんだって。あの巨体を包むパツパツの高級そうなスーツ、ギラギラの腕時計、指輪、ネックレス。いや首輪と言うべきか。100メートル先からでもわかる。絶対に近づいてはいけない種類の人間。

こちとらマブリーがやられるわけないって思ってるから、たとえ殺人犯にナイフでメッタ刺しにされても落ち着いて見ていられる。むしろ殺人犯に同情する。なんで狙おうと思った? とんだ命知らず。これをサイコパスと言わずして何と言う。ちなみにマブリーとタッグを組む刑事役のキム・ムヨルは武井壮にしか見えませんでした。



他にもマブリーの魅力が発揮された作品を挙げればきりがなくて、『新感染 ファイナル・エクスプレス』(2016)では妊娠中の年下奥様の体を気遣いながらゾンビと肉弾戦。前にも言ったけど、緊急事態であんなに心強い人いない。『ザ・バッド・ガイズ』(2019)では、殺人犯が立てこもる部屋のドアが開かない!中にいる女性が危ない!となってる時に満を持して登場するマブリー。勝った。マブリーには鍵など不要。ドアをぶっ壊すだけ。

『犯罪都市』(2017)はマブリーだけでなく悪役含めキャストみんな最高なのでおすすめです。言語学オタク的には、舞台がソウルのはずなのにみんな訛ってるように聞こえるのが気になって仕方ない。朝鮮族の面々が訛ってるのはわかる。でも刑事も街の人も軒並み訛ってる。「野郎」という意味の「새끼(セッキ)」が「쉐끼(シェッキ)」と聞こえる。あれかな。日本語で言う「お前」が「おめえ」になるのと似た感じかな。東京だって下町のほうは江戸弁とかあるし、たぶんそういうことなんだろうと思う。べらんめえ。



さて、みんな大好きマブリーがマーベル作品『エターナルズ』(2021)に出演するということで、いま最高の盛り上がりを見せているファン界隈。私も出演を知った時はマジ!? となったけど、マブリーって英語もしゃべれるんだってさ。なんなら米国籍持ってるんだってさ。18歳の時に家族揃って渡米し、俳優としてのデビューもアメリカでのミュージカル作品だったそう。ディーン・フジオカのずっと前から隣の国には逆輸入俳優がいたというわけだ。ギャップの塊。





『悪人伝』の中で、殴るのではなく張り手を繰り出す場面が多いことに関してインタビュアーに聞かれたマブリー。

「拳で思いっきり殴ると、危険すぎるんです。命に関わる可能性がありますから」

もはや次元が違う。

ついに「玉の小刀問題」について重い腰をあげてみた


どうも、こんにちは。

先日金曜ロードショーで放送された『もののけ姫』(1997)を観ました。DVDを持っているのに観てしまう不思議。なんなら一カ月くらい前に観たのにまた観てしまう不思議。何度観ても新しい発見があるからすごい。

『もののけ姫』大好き芸人の過去の足跡はこちら↓
2回押し通るアシタカ 『もののけ姫』
宮崎駿は大事なことを端折りがちである、としっかり肝に銘じる
映画館は音を聞きに行くところ



さて、ジブリ作品は国民的娯楽なので、テレビで放送されればツイッターで関連ワードがトレンド入りするのがお馴染みとなっています。『天空の城ラピュタ』(1986)が放送されれば「バルス!」で大盛り上がりするし、『もののけ姫』が放送されれば毎度毎度ある問題が持ち上がるのです。

それが玉の小刀問題。

宮崎駿作品は大事なことさえとにかく端折りまくる傾向があるため、作品には数多くの解説されない謎が存在しますが、『もののけ姫』は長年愛されている作品ゆえにその謎もかなり紐解かれてきていると思うのですよ。にも関わらず未だに燻り続ける玉の小刀問題。恋愛観が絡むパーソナルな部分だから余計にこじれてるのやもしれぬ。

一応、改めて「玉の小刀問題」について簡単に説明しておきます。

アシタカは村を襲ったタタリ神を討つと同時に祟られてしまい、村を出ることになります。その際、見送りに来た許嫁のカヤは黒曜石でできたペンダントのようなもの、通称・玉の小刀(ぎょくのこがたな)をアシタカに贈ります。カヤは「兄様をお守りするよう息を吹き込めました」と涙をこらえていじらしく言うのですが、アシタカはこの玉の小刀を、後にサンにあげてしまいます。

これによって、元カノから貰ったものを今カノに横流しかよ、アシタカこの野郎! とお怒りの方が一定数いるそうです。また怒るとまでは行かずとも、毎回トレンド入りすることを考えると、やはり多くの人が観ていて「ん?」となる場面なのかもしれません。私はというと、横流しとかそんな情緒のないことを言いなさんな、とは思いつつも、じゃあどういうことなんだと言われるとなかなか自分でも納得できる説明ができずにいたわけです。それが今回の金ローの放送を観ていてやっと腑に落ちたので筆を取りました。

まずカヤがアシタカへ贈る場面、そしてアシタカがサンへ贈る場面、二つに分けて考えます。



①カヤからアシタカへ
村を出るに際して、アシタカは髷を落としてるし、村の長老たちは泣いちゃったりしてるし、祟りを解く方法を探しにちょっと出かけてくるわというレベルでなく、事実上の追放です。もう二度と村に戻ることはないという前提です。それを踏まえて以下の会話を見てみましょう。

カヤ「どうかこれを私の代わりにお供させてください」
アシタカ「大切な玉の小刀じゃないか」
カヤ「お守りするよう息を吹き込めました。いつもいつも、カヤは兄様を思っています。きっと、きっと」
アシタカ「私もだ。いつもカヤを思おう」

アシタカの村では、玉の小刀は乙女が生涯変わらぬ心の証として異性へ贈るものとされています(スタジオジブリ公式設定)。カヤはアシタカに対して「私は生涯あなたただ一人を愛し続けます」と誓ったということになります。でも思い出してください。二人はもう二度と会うことはない。今生の別れです。つまりこれはカヤからアシタカへ贈った時点で完結していて、見返りを求めるものではない。私はあなた以外の誰も愛さないから、あなたも他の女を愛さないでね、なんてそんな昭和歌謡のごとき呪いではなく、あくまでも自分の気持ちを伝えるピュアな贈り物です。

カヤの気持ちは、玉の小刀の意味するところよりも、むしろ「お守りするよう息を吹き込めました」のほうに表れていると思います。要するにお守りよ。いつもあなたのことを案じている。無事を祈っている。もう二度と会わない人を送り出す場面なんだから、そう捉えるほうがしっくり来ます。となればアシタカの「いつもカヤを思おう」という言葉は、生涯あなたしか愛さないということに対する返答ではないことも明白です。カヤも達者でな、くらいの感じです。

太宰治の『斜陽』にバイロンの詩を引用した「ご無事で。もし、これが永遠の別れなら、永遠に、ご無事で。バイロン」というセリフがあるのですが、まさにこれよ。もう会うことはなくても、消息が一切わからなくなるとしても、永遠に無事でいてほしい。そういう思いだよ。この一節は大学時代の友人に教えてもらったものなんですけど、すごく好きでよく思い出します。友よ、教えてくれてありがとう。感謝。



②アシタカからサンへ
玉の小刀が「乙女の操立ての印」と思うから、元カノから貰ったものを今カノへ横流しかよ、アシタカこの野郎!という怒りが生まれてしまうのであって、単純に「お守り」と考えれば、サンへ贈るアシタカの心理はそう理解しがたいものではないはずです。①での解釈の通り、あなたの無事を祈っているという気持ちを伝える贈り物と仮定して見てみましょう。

アシタカからサンへ贈る時は特にメッセージがなく、しかも山犬に「サンにこれを渡してくれ」と玉の小刀を預けるので直接渡したわけではありません。結果、非常にわかりづらくはあるのですが、これから人間と森との戦いが始まって、生きて再び会えるかわからないという状況でのことなので、無事を祈るお守りとしての意味合いがやっぱり大きいと思います。また、瀕死の傷を負った自分を看病してくれたサンにその感謝を込めて、というのもあるかもしれません。

それでもなお元カノから今カノへ横流しかよ派の怒りが収まらなければ、あの場面のアシタカの置かれた状況を鑑みてください。元々かなり身軽な状態で故郷を出たアシタカですが、石火矢に撃たれて命からがらタタラ場を後にして、ほとんど荷物を持っていません。アシタカが身につけていたものの中でサンに贈れるのは玉の小刀しかなかった、というのがまずひとつ。そして玉の小刀は黒曜石でできた装飾品なのでサンにも価値がある、というのもひとつ。アシタカはたぶんお金(砂金)持ってるけど、山で暮らしててお金なんて使わないサンにそんなものあげても意味ないでしょ。

あと、これについては根拠のない完全なる私の想像ですが、アシタカがサンに玉の小刀を渡すのは、お母さんやおばあちゃんから受け継がれてきた婚約指輪(あるいは結婚指輪)を恋人に渡してプロポーズする的なことに近いのではないか、と。再三言っていますが、アシタカとカヤはもう二度と会うことはないのよ。実際どうなったかはわからないけど、少なくともアシタカが村を出る時には二人ともそういう覚悟なんよ。だから生きてはいるけど扱いとしては死者みたいなもので、お互いに何かを期待するものではない。つまり玉の小刀は相手を想う気持ちのメタファーであって、そこに個人的な思い出は宿っていない。

人からもらったものを別の人にあげるのがアウトなのは、贈ってくれた人の気持ちを受け止めずに流してしまうからなので、玉の小刀の場合は①で言ったようにカヤからアシタカへ贈った時点で完結しています。だからまったく問題ないと個人的には思うわけです。みなさん、どうか、アシタカをチャラ男と思わないでください。

テールスライドするタクシー 『ボーン』シリーズ


どうも、こんにちは。

自分はやらないくせにスケボー映画を観るのが好きな私は、今朝も東京五輪の男子パークの中継を観戦してバイブス上がりました。スケボーは見る分にはめちゃくちゃ楽しいけど自分では絶対にやりたくないスポーツNo.1です。なぜなら転倒した時の怪我のリスクが半端じゃないから。そして転ける気しかしないから。

さてそんな私は最近、記憶喪失の元CIAエージェントであるジェイソン・ボーン(マット・デイモン)を主人公とする『ボーン』シリーズを観ています。何年遅れ?

今のところ『ボーン・アイデンティティー』(2002)、『ボーン・スプレマシー』(2004)、『ボーン・アルティメイタム』(2006)まで履修済みです。マット・デイモンって宇宙に行きがちな男だと思ってたけど、よくよく考えたら、いやよくよく考えなくてもこのボーンシリーズが出世作なんだよね。武器なんてなくても人ひとりくらい簡単に始末できる凄腕の元スパイ。一度ならず二度三度とCIAの包囲網をかいくぐって逃げおおせてしまう機動力。そしてどうやって身につけたのか意味不明の語学力。劇中で一体何カ国語披露してるんだろう。好きに決まってるだろう。

世間から約20年遅れでジェイソン・ボーンかっけーとなっているのは当ブログだけだと思いますが、作品の公開から年月を経てシリーズを一気に観るからこそ気づけることもあると思うんですよ。例えば一作目と二作目以降(といってもスピンオフの四作目と最新の五作目はまだ観ていない)は作風がちょっと違う。それはきっと二作目から監督が変わってるのが大きな理由でしょう。アクションシーンによく表れています。

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一作目のジェイソン・ボーンは記憶も情報も人脈も武器も何もない持たざる者なので、襲いかかってくる敵と身一つで格闘したり、ボールペンを千枚通しよろしく武器に使ってみたり、オンボロのレトロな軽自動車でカーチェイスしてみたり、アクションシーンはいずれもユニークな仕上がりです。切羽詰まった場面でデュクシ効果音が派手に足されているのは失笑を禁じえないけれども、それくらい目をつぶってもいいかなと思えるくらいには楽しい。

なにせ主人公が何者なのかまったくわからない状態からのスタートですから、名前もわからなければ、なぜ追われてるのかもわからない。どうやら自分の名義らしいスイスの貸金庫から複数のパスポートが出てくるので、国家機密レベルのやばいことやってたんだろうなという嫌な予感だけはする。ジェイソン・ボーンとは何者かということを含め、何も知らない主人公と一緒に手に汗握りながら真実に迫っていくハラハラ感が一作目にはある。

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一方の二作目、三作目は、相変わらず記憶喪失ではありますが、自分がどういう仕事に関わっていたのかは判明しているため、ジェイソン・ボーンには少々余裕が見受けられます。何人もの追っ手を差し向けてくるCIAを毎度毎度出し抜く華麗なる手腕には脱帽する。ただし、躍動感を出すためなのかアクションシーンでは手持ちカメラが暴れまくる。ブレにブレる画面。何を映したいのかよくわからない。

カーアクションの派手さもスケールアップ。普通さ、いや何が普通かわかんないけどカーアクションって、主人公の類まれなドライビングテクニックによって、追ってくる敵の車が次々と横転したりぶつかったりして戦線離脱していって最終的に主人公が生き残るじゃん。車というものは一回激突したら止まるじゃん。それがカーアクションのセオリーじゃん。ちがうのよ。ぶつかるのが主人公側。しかも何度も何度も激突してなお爆走し続けるジェイソン・ボーン。三作目のニューヨークでのカーチェイスシーンでは、ジェイソン・ボーンの運転するパトカーは最終的に中央分離帯のコンクリ壁をテールスライドしていました。そんなことある?