FC2ブログ

気晴らし細論

三大三白眼女優と呼ばせてほしい


どうも、こんにちは。

美人な女優さんはこの世に数多おれど、クールでミステリアス、近寄りがたい雰囲気さえまとっている人は限られてきます。なんだか強そうで、ちょっと怖くて、只者ではなさそうな尋常ならざるオーラを放つ鍵は、そう、三白眼。というわけで本日は三白眼が魅力的な女優さんをご紹介したいと思います。この議題は結構前から考えていましたが、緊急事態宣言中につき最近ネタがないので今回採用することと相成りました(本音)。それではまず一人目。



シャーロット・ランプリング

60-70.jpg

この方は醸し出す威厳が半端ないのでミステリー作品だと重大な秘密を隠してたり、隠蔽工作してる系の偉い人役がお似合いになる1946年生まれの御年75歳になる大女優でいらっしゃいます。完全なイメージですけど、例えば田舎町に住んでたら、昔、旦那を殺して服役してたらしいとか噂される系の人です。あの人の家に入ったが最後、生きて出てこれないとかまことしやかに言われてる系の人です(役のイメージの話です)。恐れ多くておばさんとかおばあちゃんとか呼べません。そしてそんな大女優様の若い頃のお姿を拝見したら美しすぎてひっくり返りました。

f2e642783f708d754442bb0a00a26b2da.jpg

t02200267_0500060713311905595.jpg

p_38342_01_01_02.jpg

これ以上ない見事な三白眼である。

シャーロット・ランプリングの若い頃の作品はまだ『愛の嵐』(1973)しかチェックできてないので、これからもっとお勉強したいと思っております。なお、美しいお写真は他にもいろいろあります。気になった方はぜひ検索してください。では次に二人目。



エミリー・ブラント

Emily-Blunt-2.jpg

日本で彼女の出演作として知られているのは『プラダを着た悪魔』(2006)や『クワイエット・プレイス』(2018)でしょうか。アン・ハサウェイと並んでると三白眼具合がよくわかります。

d35bc34a1b27f100358cae9f07c7f47096c94fc6_xlarge.jpg

でも個人的には『オール・ユー・ニード・イズ・キル』(2014)や『ボーダーライン』(2015)のイメージがとても強くて、こんなに戦闘服の似合う女優さんが他にいるか? というくらい戦闘服が似合っている。ものすごく美人で、髪も長くて、それでも軍人や警察官の姿がしっくりくる。強く美しい女性の象徴みたいでとてもかっこいい。三白眼は凶相と言われたりもしますが、三白眼の役者は映画やドラマのキャラクターに独立性のようなものを与えてくれると思います。それが女性であればなお特異性が際立って、一匹狼的な誰とも馴れ合わない感じがはっきり出るんじゃないでしょうか。

borderline_large.jpg

o0618041214733839035.jpg



以上の二名が私の考える二大三白眼女優なのですが、ここに一名の日本人女優を加えて三大三白眼女優と銘打ちたいのです。その女優さんがこちら。



小松 菜奈

a544e9b46ca628732ab4ed73edf1b4ac.jpg

彼女は映画デビューした頃から目が特徴的だとか雰囲気があるとか言われていましたが、結局その「目が特徴的」って何なのかと言ったら三白眼というところに行き着くんじゃないの? って話よ。若い頃のシャーロット・ランプリングのあやしげな雰囲気に近いものがあると思うんですけどいかがでしょうか。アジア人だし目鼻立ちはどうしたって欧米人よりも平たいのでそこはスルーで。だってこれは雰囲気の話だから。

BB11yGLBimg_.jpeg

tw109.jpg

左の門脇麦ちゃんと比べると、目の形そのものがシュッとして切れ長なのね。デビュー作の『渇き。』(2013)こそ三白眼を含めビジュアルや雰囲気をフィーチャーされてましたが、それ以降は普通のラブストーリーや人間ドラマをやっているので少々もったいない気がしています。小松菜奈の三白眼を堪能する映画、撮らないか?

ひたすら罵り合うタイプの殺陣 『マルコム&マリー』


どうも、こんにちは。

本日はNetflix作品のこちら。



マルコム&マリー(2021)

main_2021021923222837a.jpg

映画監督のマルコム(ジョン・デヴィッド・ワシントン)は自分の作品のプレミア上映を終え、恋人のマリー(ゼンデイヤ)とともに真夜中に帰宅します。作品が好評を博したことに興奮冷めやらぬマルコムに対し、イベントに同席した恋人のマリーは憮然とした様子。やがて丁々発止の喧嘩に発展します。



登場人物はタイトルの通りマルコムとマリーのたった二人。コロナ禍で撮影された作品ということで、以前ご紹介したこちらの作品→ リモート撮影のお手本みたいな映画 『コーヒー&シガレッツ』 のような作りです。モノクロだし会話劇だし。まるで予言したかのようなドンピシャ具合。

簡単に言えばカップルが約100分間ひたすら口喧嘩してるだけのこの映画。私も最初こそおいおいこんな感じでずっとやっていくのか勘弁してくれと思いましたが、観てるうちに引き込まれてしまった。だって、ただの会話劇じゃないんで。口喧嘩というかもはや罵り合い。怪獣大戦争。今をときめくジョン・デヴィッド・ワシントンとゼンデイヤが長ゼリフ長回しをものともせず、それはもうバチバチの演技対決をしてるわけ。おもしろいに決まってるだろう。ある意味これは新時代の殺陣。あ、今傷ついたなとか、イライラしてんなとか、手に取るようにわかるのはやっぱり二人の演技力の賜物。

喧嘩の発端は、イベントにてマルコムのスピーチの中にマリーへの感謝の言葉がなかったことでした。欧米人はみんなパートナーに必ず感謝述べるよね。アイラブユーって言わないと死ぬんかってくらい絶対言うよね。それを忘れられたら確かにカチンと来るのかもしれない。知らんけど。まあ日本にはない文化なんでね。あってもいいのに。

さて、前半は特に売り言葉に買い言葉の応酬で、たびたびクールダウンの時間を挟んでは飽きもせずまた罵倒しに行くそのスタミナに脱帽する。怒るのって体力使うし、それが一方的なものでなく言い合いの喧嘩であれば余計に消耗しますからね。マルコムとマリーはお互いの性格や考え方をよく理解しているので、相手が何を言われたら嫌かもわかる。お互いの欠点をこれでもかというほど抉って、言われたくないだろうことをあえて言って傷つけて、ほとんど殺し合いみたいになってんだよね。

バスルームのシーンなんて二人とも泣いている。大の大人が泣くほど喧嘩することなんてなかなかなくないか。そしてこのバスルームでの応酬を経て二人のバトルはひと区切りつき仲直りしたかに見えたのですが、メンヘラの気があるマリーはマルコムが少し目を離した隙に再び臨戦態勢を整え、明らかにうんざりしているマルコムになおも喧嘩を売り続ける構図となっております。こんな風に言うとマリーが悪いみたいですが、正直どっちもどっちっす。

マルコムとマリーのバトルを見ていてふと思い出したことがあります。『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』(2019)の中で、ジョー(シアーシャ・ローナン)がローリー(ティモシー・シャラメ)からのプロポーズを断るシーンですごく印象的だったセリフがありまして、私たちが一緒にいると殺し合いになる、的なこと(正確じゃないけどニュアンスを拾ってくれ)を言ってたんですよね。ジョーとローリーは馬も合うし、仲良しだし、風潮やしきたりに抗う生き方をするジョーのこともローリーは理解していて、結婚するにはこれ以上ない相手のはずなのになんで? とちょっと引っかかっておりました。それがこの『マルコム&マリー』で腑に落ちました。

医者は人の殺し方を知ってるなんて言ったりしますが、要するに急所を知ってれば生かすことも殺すこともできるというか、つまり人間関係においても相手のことをよく知ってるということは、守って癒してあげることができる一方でズタズタにすることもできるんだよな。たぶん。だからきっと本当に仲のいいカップルや夫婦は、まったく喧嘩にならないか、マルコムとマリーのようにひたすら罵倒し合うか、どちらかでしょうな。言いたいことが言い合えるのは良い関係だと思うけど、あまりにも激しすぎると疲弊してしまう気がする。あのラストからは、マルコムとマリーがずっと一緒にいる未来は想像できなかった。たぶん別れるぞ。マリーがやたらと「あなたを叱れるのは私だけ」「私を書けるのはあなただけ」と唱えてるのは呪いみたいだったし。

チャッカマンで煙草に火をつけるゼンデイヤ、タンクトップに下着姿で部屋をうろつくゼンデイヤ、ジャンキー演技が度肝抜くほどうまいゼンデイヤ、そして喧嘩中の身振り手振りから全部クールでかっこよかったです。ただ、序盤でマルコムから仕掛けられるイチャイチャを躱し続けるゼンデイヤは薄目で口を横に引き結び、ひたすら不機嫌顔ですごくカエルっぽいなと思いました。

カエル

とてもチャーミングでした。なんか気にくわないことがあった時に真似しようかなと思ったけど相手の怒りをさらに買うだけになりそうなのでやめておきます。

カーチェイス中にミラーを見る演技選手権なら優勝できる 『スクランブル』


どうも、こんにちは。

本日はイケメンについての毎度おなじみ邪心たっぷりの浅い話をします。



スクランブル(2017)

9f1c07155d6928b5.jpg

高級車専門の強盗であるフォスター兄弟は、フランス・マルセイユにて37年型ブガッティを盗むことに成功します。しかしそれは地元マフィアのモリエールが所有する車だったため、二人は捕らえられてしまいます。絶体絶命の彼らが助かる条件は敵対するマフィアが所有する62年型フェラーリ250GTOを盗み、モリエールのコレクションに加えることでした。



さして評価は高くもない、そして2017年公開ということで旬も過ぎたこの作品を今更ながら観ようと思ったのはなぜか。フレディ・ソープを見たかった。ただその一心。

DMmEZAUUMAYcEkI.jpg

というのも、先日Netflixドラマ『ウィンクス・サーガ』を観てイケメンクズ男役のフレディ・ソープがなんかよくわからないけどめちゃめちゃツボにはまってしまい、初見の俳優だったので出演作を探してこの『スクランブル』にたどり着いたわけです。本作の主人公であるフォスター兄弟は、兄役がスコット・イーストウッド、弟役がフレディ・ソープという顔面レベル最高峰の組み合わせ。一般的な知名度からするとスコット・イーストウッドのほうが注目されるのも黄色い声援を浴びるのも間違いない。実際、いつかの私はスコット・イーストウッドが男前すぎると騒いだこともあったが、この作品では正直言ってフレディ・ソープしか見てなかった。

だってもうとにかくフレディ・ソープがイケててな。

車車車の映画なので運転シーンも盛りだくさんなのですが、フレディ・ソープが運転中にルームミラーやサイドミラーをちらちら見る演技がとても自然でしぬほどかっこいい。彼以外の他のキャストはミラー類をほぼ見てなくて、ガンギマリの目で前方を一心不乱に見つめてるか、あるいは完全に後ろを振り返るかしてるんですけど、カーチェイスの最中に前方から目を離して後ろ振り返るのはアウトじゃない? もしかしてクラシックカーにはルームミラーないとかそういうことなの? (追記:単純にフォスター兄弟が誰かに追われてる場面が多いからミラー見てる回数も多いようです。あとスコット・イーストウッドは "ミラー見てます感" がちょっと大げさだった)

自分が運転しない人間なので、彼がやりすぎなのか他のキャストがやらなすぎなのか正直まったく見当がつきませんが、でも運転中にミラー見るのって普通だよね? 飛行場のシーンで、ギャレットが少し顎上げてルームミラーを見ながらギア入れるところは特にしびれた。運転シーンをスタントなしで本人がやってるならフレディ・ソープは絶対に運転うまい。あれで免許持ってませんとか言い出したら私はもう何を信じればいいのかわかりません。

また運転中だけでなく助手席からミラー越しに後部座席の人をさりげなく見てるシーンとかもあって、もう、なんていうか、普段から車に乗ってる感がものすごく出てる。演出というか演技指導がどれくらい入ってるのかわかんないけど、私は助手席に乗っててもミラーで後部座席を確認したことなんて一度もないもんね。とにかく運転のうまい雰囲気がバチバチに出てたから実際に運転がうまいならカーアクション系の作品にたくさん出てほしいし、運転できないのにあれだけの演技ができるのならそれはそれでカーアクションのみならず幅広いジャンルの作品に出てほしいです。

ていうかそもそもね、出演作品が少なすぎるんだわ。映画はこの『スクランブル』だけ、ドラマは『ウィンクス・サーガ』だけってさすがに狂ってない? ウィンクスシリーズは続編の製作があるっぽいものの、このコロナ禍では撮影がスムーズに進むとは思えません。次にフレディ・ソープの姿を見れるのは何年後? 待ってる間に禁断症状が出そうです。



さて、ストーリーや設定に関しては可もなく不可もなくみたいな評価が多いようですが私はおもしろいと思いましたし、全体の流れとか車内カットがめちゃくちゃ多いところとかワイスピ2に似てんなと思ったらやっぱり脚本がワイスピ2のクルーでした。以前どこかで申し上げた気がしますが、私は『ワイルド・スピード』シリーズの中では1と2が好きなので。そういった点でとても好みの映画でした。また、主人公であり相棒の二人が仲良し異母兄弟っていう設定にもひと工夫あります。

兄がアメリカ訛りなのに対して弟がイギリス訛り。

キタ。これは言語学オタクとして黙っておれん。劇中では全然触れられてないんですけれども、二人の訛りが違うってことは育った国が別ってことでしょ。アメリカ英語とブリティッシュ英語はアクセントが異なるだけでなく、単語も違ったりして話が通じないことがあるとかよく聞くじゃないですか。でもこの兄弟は「15年離れてたけど50年仲良く暮らせ」というオヤジの言葉を律儀にまっとうしようとしていたり、ろくでなしだったけど最後に俺たちを引き合わせてくれた最高のオヤジまじリスペクト卍って感じですので、おそらくすでに何年か一緒に暮らしていて、会話における細かいすり合わせは済んでいるのでしょう。そのバックグラウンドを考えるだけでも飯食える。

では次に兄弟の性格について。兄のアンドリューはいつも渋い顔してる硬派なアメリカンガイで、弟のギャレットはマフィア相手にも軽口上等イケイケドンドンのブリティッシュガイ。アメリカ男は調子のいいパリピ、イギリス男はガチガチの堅物、というステレオタイプの真逆を行く設定がたまらんくない? しかもギャレットはパッパラパーのヘタレかと思いきや意外と冷静で度胸があったり、逆に兄貴のほうが保守的で恋人を人質に取られた時にはかなりの動揺っぷりを見せたり、非常におもしろみのある兄弟です。

二人とも甘みのある顔立ちでどことなく似てるので異母兄弟という設定が妙にしっくりくるんだけど、甘み以外の成分構成がちょっと違うのよな。スコット・イーストウッドが甘みとスパイスの同居するホットワインなら、フレディ・ソープは甘みとさわやかさのあるモヒートと言ったところか。何言ってるかよくわからないでしょうが、自分でも何言ってるかよくわかんない。例えがちょっとへたくそでした。忘れてください。

さて、人前で平気でキスをかますのは欧米人あるあるで海外ドラマや洋画でもよく見る風景ですが、本作でもそんなシーンが随所に盛り込まれています。フォスター兄弟に関しては仲の良さゆえでもあるのか、彼らの中では日常としてスルーされているが、観ているこちら側としては、およ? となる場面が散見されました。例えば、自分の恋人の弟にキスするヒロインとか(もちろん冗談、軽いノリではある)、帰宅するやいなや盛り上がっている様子で服を脱ぎ、おっぱじめようとする弟とその遊び相手をやれやれという風に眺めながらシリアル?食ってる兄とか、命懸けの大仕事中に目の前で熱いキスをする兄とその恋人に「急げよ」の一言で済ます弟とか、イマイチ掴めない欧米人の貞操観念。

あとはマフィアに鬼の形相で追われている最中にわざわざ車を停めてプロポーズし始めるところとかもあったな。そんな男とは結婚しないほうがいいんじゃないの、と思ったけどみんなゴリゴリに強盗しまくってる重犯罪者だからどうでもいいや。好きにしてくれ。でも価値観が一番乖離してると感じたのはやっぱり弟が女と盛り上がって服を脱ぎ捨てながら部屋に入っていくのを黙って見てる兄も、兄と暮らすアパートの共同スペースで女の服脱がせる弟も、なぜそんなに平然としてられる? ってところ。なあみんな、兄弟姉妹の盛り上がってる姿、見んの耐えられる? おれはむり。



フレディ・ソープにハマっていろいろ検索したり、こうやって記事を書いてみたりしたけど、なんかどうにもしっくりこないんですよね。フレディって感じじゃないんだよな。アダムとかアーロンとかアレックスとかAで始まる系か、ジェイク、ジェイミー、ジャスパー、ジェローム、Jで始まる系の名前のイメージが合う気がする。人様の名前にケチつけるとか罰当たりで申し訳ないんですが、どなたかわかる方いらっしゃいません? Netflixに加入している方はぜひ『スクランブル』と『ウィンクス・サーガ』を観てください。よろしくお願いします。

感性が芋なのは私か、それとも世間か 『ヤクザと家族 The Family』


どうも、こんにちは。

綾野剛好きとしてかなり楽しみにしてたんですけど期待外れだった。



ヤクザと家族 The Family(2021)

6fe65b9f3ba16dbe.jpg

父親を覚醒剤で亡くした山本賢治(綾野剛)は自暴自棄の荒れた生活の中で柴咲組の組長(舘ひろし)と知り合います。二人は父子の契りを交わし、山本はヤクザの世界に足を踏み入れます。1999年、2005年、2019年、3つの時代を生きたヤクザとその家族の物語です。



なんか世間の評判はやたらとよろしいみたいですけど、はっきり言っておきます。これをすばらしいというなら日本社会は終わっている。役者の演技はとてもよかったと思うのでそれは別にして、この映画の作品としての完成度や脚本を高く評価する人は常識もなければ神経も鈍い。この作品をみんなでチヤホヤするのは許せないので、ネタバレ上等で問題点を抉り倒していきたいと思います。



まず声を大にして言いたい。

14年前に豚箱ぶちこまれた男がその数時間前にこしらえていった子供がなんで14歳なんだよ。

たとえば、お勤めに行ったのが1月で、子供が生まれたのは10月頃で、出所が年末だとすると、入所が14年前でも子供も14歳になるんですよとかいう説明する気なら、そんなわかりづらくて小賢しい時系列設定はやめろ。大人しく13歳にしておけ。

そもそもですよ。山本の恋人である由香(尾野真千子)の描かれ方がひどすぎる。ホステスのバイトして学費を稼ぐ女子学生がヤクザと知り合って子供ができて、学校は辞めたのかそれとも休学復学を経て卒業したのか、いずれにしても他に家族もいないシングルマザーで14年間子育てなんて、並大抵の苦労ではないぞ。そんな鬼畜なキャラ設定をしておきながら、そのあたりの描写がまるでない。由香の覚悟や苦労を思えば山本と再会した時にもっと葛藤が見えてしかるべきなのに、わりかしすんなり受け入れたように見えました。私の目には。挙句、周りに山本が元ヤクザだってバレた途端に「あんたが現れるまではうまく行ってたのに」とか手のひら返したようにキレられても。

由香は子供を産んだことで自分が思い描いていた人生とは別の人生を歩むことになったと思うんですよ。産んだ場合の苦労を想像できないようなお馬鹿には見えなかったし、それでも産む選択をしたのは山本を愛してたからじゃないですか。14年後の暮らしぶりを見るに娘のことも大事にしてるのがわかるので、娘をもたらしてくれた山本にはきっと感謝もしてるはず。だけど山本に出会わなければ由香には別の人生があった。大学も普通に卒業して、ヤクザとは無縁の生活ができたでしょう。山本のことも娘のことも愛してるけど山本のせいで自分の人生は狂ったし、出所して何も知らずにのこのこ目の前に現れて、娘の存在も知らずに結婚しようなんて言ってきて、殺したいほど憎かったと思うんだよ。

なのでそこすっ飛ばしていきなり一緒に暮らし始めるのやめてもろていいすか?

山本だって娘がいますとか突然言われて戸惑ったろうに、なに普通に一緒に朝飯食ってんだよ。お前ら情緒ないの? 娘も娘でいきなり現れた薄汚れたおっさんを母親の恋人としてすんなり受け入れる始末。思春期って知ってる? こんなのファンタジー。幻想です。

また、山本と旧知の仲で、旦那が組の抗争で殺されて女手一つで焼肉屋を切り盛りしながら息子を育てる愛子(寺島しのぶ)というキャラクターもいますが、こちらも同様に並大抵の苦労ではないだろうにそのあたりの描写は一切なし。ただの肝っ玉母ちゃんです。というかこの愛子さんは寺島しのぶを使う理由がわからないくらい重要性のないキャラクターなんよ。旦那とのエピソードとかも特になく、息子に父親のことを語る場面があるわけでもなく、いっそ登場させなくてもよかったのでは? と思うくらいに。

なんか、あまりにも女性キャラクターの扱いがぞんざいすぎる。ヤクザが男の世界なのは言わずもがなだし、女の出番がないならないでもっとはっきり排除すればよかったのに。ここまで中途半端だと、監督兼脚本の藤井道人さんとやらって潜在的に女性蔑視みたいなところあるんじゃないかと疑ってしまうね。

その疑いが深まるシーンとして、山本と由香が出会ったばかりの2005年パートにて、山本が俺の家に来るってことはそういうことだろ、全部込みだろ的なことを言って由香に手を出そうとする場面があります。結局は由香がそれにブチ切れて拒絶したのでここでは未遂に終わります。相手の同意が得られなければ性交渉には及ぶべからず、みたいな標語が口すっぱくして言われるようになったのはここ数年のことだと思うので、まあ山本の不器用さを表現したかったのならこの場面はそこまで目くじら立てることはないのかなという気はする。しかしこんなシーンを入れること自体が趣味悪いよな。監督のセンスを疑う。

山本が刑務所行く前夜にしてもさ、由香が山本を受け入れたのは同意したっていうか拒否できなかっただけじゃん。だって、いつも横柄な態度の男が尋常じゃない怯え方してるんだよ。情けない顔して震えてるんだよ。好きな男がそんな状態になってて撥ね付けられるか? 無理だろう。聖母のような気持ちで受け入れてやろうと思うだろう。だからずるいんだよ。監督の女性観には闇を感じる。

あとは女性に限らず全体的にキャラクターの描写やセリフにリアリティがないんだよな。全員情緒が不安定で一貫性もない。例えば、山本の舎弟だった細野(市原隼人)なんかは特に意味不明な言動を繰り返しています。出所した山本と再会できてうれしそうにしておきながら、すでに組を抜けてカタギになっている細野は「兄貴と関わると俺まで反社、反社って言われるんすよ」と言って逃げるように帰っていく。だったら会いにくんなよ。さすがに山本が可哀想。そのくせ細野は山本が組を辞めて自分と同じところで働き始めたらまた仲良くやっている。組を辞めても3年(5年だっけ?)は人として扱ってもらえないって言ってたの細野だけど、自分で言ったこと忘れた? せめて3年間は山本と関わらないでいるべきだろう。最後も思いっきり逆恨みだし、一番キャラぶれしてて監督のおもちゃにされてたな。

唯一、2019年パートにて先述した愛子の息子・翼(磯村勇斗)が大人になって、時代錯誤の枯れたおっさんばかりの中で軽やかにしなやかに立ち回る姿は新しい時代の到来を象徴するキャラクターとして安心できた。ただ自分が子供の頃に殺された父親の仇を取りに行こうとするあたりはやっぱり短絡的で意味わかんなかったな。先述したように、愛子さんが翼に父親の話をしてる場面って一切ないんですよ。だから翼が父親の仇を取ろうと思うほど父親に思い入れがあるっていうのが伝わってこない。翼は舎弟の仇を取って刑務所行った山本のことをかっこいいと言ってたし、外見も10代の頃の山本にそっくりだったので、単純に山本に憧れてたがゆえだとしたらがっかりなんだよな。賢そうな子なのに。

あのね、ヤクザの義理人情だとか疑似家族だとかをテーマとして描くなら、翼に実の父親の記憶はないけど山本や柴咲や他のいろんな周りの人たちがみんな父親代わりになってくれて、俺は寂しいと思ったことなんてなかった、くらいのセリフを言わせてみろよ。結局血縁に縛られてるじゃねえか。なんだよ仇討ちって。せっかく翼がもたらす新しい風みたいなものが作品後半に彩りと勢いを与えてたのに、謎の仇討ちがそれらを全部潰した。なんてこったい。あ、ちなみに彼の背中には羽のタトゥーが入ってるんですが、きっとそれは名前が翼だからなんだよね? クソダサ。

こうして振り返ってみると、なんか山本がいろんな身勝手な人たちに振り回されてボロ雑巾のように捨てられた可哀想な話だったのかなって思ったけど、その山本も何考えてるのか全然わからないんだよね。家族がほしかったんだろうな〜ってことしかわからない。綾野剛がすばらしい表情演技をしてくれてるおかげで味がついていますが、綾野剛じゃなかったらマジで無味無臭だと思う。山本賢治という男の悲哀を描きたかったなら山本以外のやつの描写をもっと削ってよかったし、逆にヤクザに関わるいろんな人たちの悲哀を描きたかったなら全然足りなかった。何もかも中途半端だった。

そしてこのどうしようもない映画は、主題歌である「FAMILIA」のMVを観ることでようやく完成するので映画を鑑賞後にぜひどうぞ。映画ではわかりづらかった山本の感情や葛藤はMVでどうにかこうにか補完されています。映画だけで完結しろやとは思いますが、MVのおかげで映画が救われたというか成仏されたというか、監督の首の皮一枚繋がった感。





私ですね、先日ネットで漢字占いなるものをやりまして、これは性格とか仕事とかそれぞれの項目が漢字一字で表されているのですが、感性の欄が「芋」だったんですよ。ロマンチックさのかけらもない人間だし確かにそうだなって思ってめちゃめちゃ気に入ったし、大絶賛されているこの『ヤクザと家族』という映画をクソだと酷評することで感性が芋だと言われるなら、もう一生芋でいいです。

明治維新上級者向けムービー 『天外者』


どうも、こんにちは。

三浦春馬はいい俳優。それは間違いない。



天外者(2020)

4c60b77cdb2c1007.jpg

江戸時代末期、日本が攘夷か開国かで揺れ動く中、若き薩摩藩士・五代才助(後の友厚、三浦春馬)は遊女のはる(森川葵)と出会い、「遊女でも自由に夢を見たい」という彼女の思いに共鳴します。誰もが夢を見ることのできる国をつくるため、坂本龍馬、岩崎弥太郎、伊藤博文らと志を共にします。



私は近年の幕末を舞台とした大河ドラマは『西郷どん』も『龍馬伝』も『花燃ゆ』も『八重の桜』も観ましたし、五代さんが出てきた朝ドラ『あさが来た』も観ましたし、その他、幕末に限らず時代劇は好きですし、明治維新に関してもそこそこ知識のあるほうだと自負しています。しかしながら、本作を観るのは歴史に詳しい人ばかりではないでしょう。あんな悲しいお別れをしたんだもの。三浦春馬のファンであれば、幕末や時代劇にまったく興味がないとしても彼の姿を目に焼き付けようと、きっと観るんじゃないかと思うわけです。

ただし明治維新ビギナーにはいかんせん不親切な本作品。あの時代に関する知識がないと完全に置いてけぼりをくらいます。そういう容赦のない作りになっています。また全体的に情緒を無視したスピーディーな展開です。もうちょっと丁寧に描くことはできなかったのか。五代友厚の一代記を描くなら、あと20分長くても許されるよ。私はファンタジーやSF以外で尺が2時間を超える映画は基本許さない主義なんですけど、全然許すよ。

例えば、五代さんが薩摩藩の武士なので、少し知識のある人なら西郷隆盛や大久保利通が出てくるだろうことは想像がつくでしょう。しかし劇中では、この人が西郷さん!そしてこの人が大久保さん! と紹介してはくれませんでした。大久保さんはわかりやく苗字で「大久保さん!」と呼ばれてるシーンがありましたが、西郷さんは「吉之助(隆盛と名乗る前に使っていた名前)」とたった一度呼ばれただけでした。ご両名の登場シーンは少なかったし、それならいっそ登場させなくてもよかった気がするのですが。

そして勝海舟にしても、こいつ、たぶん、そうなんだよな…? って感じでやっぱりちゃんと紹介してくれない。私は ”坂本龍馬と話している、江戸弁の、たぶんそこそこ地位のあるっぽい海軍関係の人” ということで勝海舟だと判断しました。小説なら文脈とか行間を読むみたいなのもわかるんですけど、そんな風に人物の特定を状況判断的に強いる時代劇ってやばくない?(ちょっと、もし勝先生って呼ばれてるシーンがあったならごめんなさい聞き逃しました)

続きまして、坂本龍馬の幕引きがあっけないことこの上ない。史実があっけない終わり方してるんだから道理といえば道理なのですが、三浦翔平が演じて、ダブル三浦ってことで準主役的なポジションなのに、そんな終わり方ある? という雑さ。弥太郎や利助が悲しみにくれているところに龍馬の暗殺シーンが一瞬の回想みたいな感じでインサートされるだけなの。幕末好きなら坂本龍馬が暗殺されたことなんて別に改めて説明されるまでもないんだけど、明治維新ビギナーからしたら何が起きたのかわからないと思う。

また、結核の描写も不親切よね。幕末好きなら、幕臣派であろうとも維新志士派であろうとも、結核についての知識は絶対あるんですよ。なぜなら新撰組の沖田総司も、長州藩士の高杉晋作も結核で亡くなっているからであります。結核のことなんて、先述した坂本龍馬暗殺レベルの基礎知識。だから五代さんが血を吐いた時に妻の豊子に「俺から離れろ」的なことを言うのも、そうだよね濃厚接触するとうつっちゃうもんね、と納得できる。でもね、当時は結核が不治の病だったことも、五代さんが結核であることすらも、劇中でははっきり言ってくれないわけよ。だからその一切合切がわからない人は「えー! なんでそんなひどいこと言うの!」って絶対思うじゃん。しかも五代さんの死因って結核でしたっけ? と観終わってから疑問に思ってググったんですよ。そしたら史実では死因は糖尿病とのことでした。え? なんで結核にしたの?

あと森川葵の演じた遊女はるは字が読めないという設定でしたが、これは甚だ疑問です。まず、はるは丸山遊郭の遊女です。長崎の丸山遊郭といえば江戸の吉原遊郭や京都の島原遊郭などとも並び称される幕府公認の色街です。見世構えや訪れる客を見るに、はるはそこそこ格式のある遊女でしょう。それならお客さんと文や和歌のやりとりもするはずなので読み書きができなきゃ商売にならない。女子教育が一般的でなかった江戸時代において、遊女は読み書きはもちろん、琴や三味線、舞などを習い、かなり教養があったと言われています。吉原遊郭の遊女はほとんどみんな字が読めたらしいですけど、丸山遊郭は違うんでしょうか?

そもそもこの遊郭にまつわる描写は何もかも曖昧でね、遊郭って一応ランク分けがあって、どのランクの見世かで料金体系も大きく変わってくるんですよ。五代さんは見世の女将に貧乏侍呼ばわりされてたけど、そんな貧乏侍が通える程度の見世なのに、はるを身請けしたイギリス人はイギリス艦隊に手を回せるほどの力のある人で、見世のランクというものがイマイチ掴めない。しかも五代さんは金も払わずにはるの部屋を訪れるシーンとかもあったんだけど、そんなことできなくない? つまみ出されると思うんだけど。



さて、気づけばここまでディス一辺倒で来てしまったわけですが、よかったシーンもちゃんとあったんでお詫びに言っておくわ。五代さんが薩摩の生家にて髷を切り落とすところは胸が熱くなりました。ああ、武士の五代才助は死んだんだなって、もう自分は五代家の人間じゃありませんって、そういうことなんだなって。武士が髷を切り落とすのは死と同義であって、死人には手が出せない。また過去との決別、良縁も悪縁も一切のしがらみを断つという意味でもある。つまり五代才助がどれだけ不届者で後ろ指さされようとも、五代家とは関係なくなるから家を守ることにもなる。

そしてこのシーンではもうひとつの覚悟が見えるんですよ。物語の序盤、五代さんは抜刀できないように自分の刀の鞘と鍔を紐で縛ります。これは人を斬らないという強い意志の表れなのですが、その刀を叩きつけて鞘を割り、刀身を出して髷を切るんです。だから五代才助が斬った最初で最後の人物が自分なわけ。武士である自分との決別もそうだし、ある意味では武士の時代との決別でもある。

そんなこんなで、もう二度と帰らない覚悟で薩摩を後にした五代才助あらため五代友厚。なのに「お前は五代家の恥さらしじゃ! 腹を切れ!」とか言ってた兄上が数年後(十数年後?)に「ハハキトク スグカエレ」ってな電報を寄越してきたのはずっこけた。帰宅許すんかい。母ちゃんが息子に会いたがってたから冥土の土産に許したってことなのかもしれないけど、それなら髷を落とすなんてドラマチックなシーンは作らないでほしかった。台無し。



結局ディスってしまった。悪い癖。